『へうげもの』第24話『私を北野へ連れてって』感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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千利休「詰まるところ、茶の湯には台子も何もないのです。全て各人のつくった作法、趣向でもてなせばよいのです。決まりごとなどない、これぞ、極意にございます。関白さまはその本質が判らぬゆえ、台子手前を許可制になさい、茶の湯に格をつけておられる。此度の大茶湯も感心致しません。なりだけの『侘び』の美が日の本に溢るるは何も広まらぬより性質が悪うございます」

織田長益(……やっばい。こんなことが世に伝われば関白の面目丸潰れではないか。聞かなかったことにしよう。如何に関白の趣向が薄っぺらかろうと、このやばい老翁の本音は汲み取らぬが吉よ)


今回の主役は実は織田長益ではないかと思ったり。


上記の宗匠の本音を聞かされた時の顔芸といい、織部の『侘び飛鳥』型茶室の物理上&政治上のヤバさを逸早く察したりと、相変わらず、危険を感知する能力は人一倍。織部や宗匠が無意識に踏み越えてしまうデッドラインを絶対に渡らないのが長益の戦国武将としての長所でもあり、そして、侘び数寄者としての限界でもあります。時に権力者の機嫌を損ねてでも、己の信念を追求する覚悟がない者は真の美の発信者にはなれない。今回は織田長益という絶妙のバランサーの視点から、美を極める者の覚悟を描いた回になったと思います。


豊臣秀吉「今度の大茶湯で利休に代わる茶頭を決めるつもりぞ。博多の者なら一番よいがの。明・朝鮮進出を控え、堺衆の役目は終わりつつある。本能寺の一件を持ち出して抗うなら、口を封じねばならぬ」


北野大茶湯に隠された秀吉の意図。勿論、フィクションですが、実際に秀吉政権下での経済基盤が堺衆から博多衆に移行した事実を考えるとまるっきり考えられない話ではありません。そして、秀吉の更なる目途は宗匠との決別。劇中で秀吉が宗匠のことを父親のように思うと述べていた時期があったことを思うと、これはある種の『父殺し』とも考えられます。


石田三成「感心しませんな古田殿。世捨て人如きに武人が頭を垂れるとh……」

古田織部(これで役者は揃った。宗匠にノ貫殿。公衆の面前でこの怪物たちを越えて見せねば、真の名声は得られん)


聞いてないから。

台詞は原作とほぼ同じですが、三成の台詞が途中から織部の独白でかき消されてゆくというのは映像ならではの手法。ここは地味に笑った。


民衆甲「このまま、立って飲めと?」

細川忠興「左様! 無駄を省いた小さき茶室こそ、侘び数寄の要。最早、半畳で充分というのが細川忠興の茶ぞ!」

細川幽斎「忠興!」


(゜゜()☆○=(-"-)バキッ!


細川幽斎「馬鹿息子め! これ以上、細川の恥を晒すでない!」


相変わらずのスパルタ親父ぶり。しかし、先回の『万年葬式態』の屋敷で充分に恥を晒してしまっている気も……あぁ、だから、これ以上なのか。納得。


上田佐太郎「窓を開ければこの絶景……止まり木に憩う燕が如く、何か、

ツピィーッピィッ!

と鳴きとうなり申す。これが侘び数寄。何と、何と胸躍る遊戯。天下一にござる! 古田殿は如何なる数寄者にも勝っておりまするぞ!」


私個人もなかなか面白い茶室に見えました。『侘び』ではありませんが、客を楽しませるという点では『数寄』であると思います。侘び数寄の頂を目指す茶室=高い処に設置という安直さも含めて面白い。しかし、危険。物理上(人が動くだけで茶室が揺れる)も政治上(秀吉や公家衆を見下ろす)も危険。それを諭しに現れた三成とのいざござで茶室は全壊。南無阿弥陀仏。佐太郎のツピィーッピィ! の台詞の声の張りようも面白かったです。佐太郎役の金山一彦さんといい、織部役の大倉孝二さんといい、俳優さんは擬音の表現がうまいのか?


そして、番組冒頭では伊達政宗登場。

戦国DQN四天王の筆頭であり、侘び数寄の世界では、銘刀をムリヤリ脇差の長さに斬り落とす、戦利品の掛け軸を細川忠興と文字通りの真っ二つにして分けあう、他人が見せびらかしにきた名物の茶杓を本人の目の前でヘシ折る(あとで代わりの名物で弁償したらしい)など、文化財クラッシャーの名を恣にするまーくん。歌舞伎風の台詞回しもうまい。今後の活躍が期待できそうです。



さて、今回、久しぶりに登場した加藤ちょっちゅね清正。

劇中で述べていたように実際に宗匠の茶の席に招かれたことがありましたが、端緒、清正は茶道などという軟弱な遊びは武士のやることではないと考えており、そんな遊びに主君の秀吉を耽溺させた宗匠を憎んでおりました。そんな時に誘われた宗匠の茶会。清正は少しでも気に食わないことがあれば宗匠をぶった斬るつもりであったらしく、本来、茶室の外に置いておくべき脇差を帯びたままで茶席に臨みました。宗匠が大小は茶室の外へと促しても、


加藤清正「刀は武士の魂である。一時といえども手放すわけにはいかん」


とまるでいうことを聞きません。子供か。

ところが、いざ、茶会が始まると宗匠の手並みは見事なもの。ぶった斬る口実をつけかねた清正はイライライライラ。すると、清正の気の揺らぎを見透かしたかのように、宗匠は突然、柄杓の湯を炉にブチ撒けたのです。当然、茶室の中は灰神楽。清正は慌てて外に飛び出しました。灰が治まるのを見計らい、再び、茶室に入った清正に対して、宗匠は床に残されていた脇差を指しながら、


千利休「加藤殿、魂を置き忘れていましたよ」


とキツイ一言。これには清正もグウの音も出ず、以降は宗匠や茶道への認識を改めたそうです。


今回のタイトルの元ネタはこちら。

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