レースの記憶 | ゼファオス~アラカンライダー~

ゼファオス~アラカンライダー~

ゼファーな日々とバリオスな日々とたまに仕事の日々

老犬 自分ではレースどころか

サーキットも走れません

若い時にはチャンスはありましたが

今となっては 観る事すらなくなりました




今、速い方や強い方は 皆様からのブログなどで知る事が出来ますが



昔からカワサキカラーの柳川明さんは

何度もテレビで拝見いたしました






でも もっと昔

老犬が 免許を取ったばかりの頃は

レーサーといえば TZ




ヤマハが 一般向けに 販売してたレーサーです


近所のオッチャンも 125を買って ノービス優勝なんて偉業を成し得てました(←レストラン自営)


あの❗️ プリンス片山も 最初はTZでしたよね






その頃は プライベート用に販売する一方で

ヤマハワークスも TZでしたが






やがて ワークスはワークス用を

YZRとし



キングケニーや ローソン  レイニー

片山 金谷 平など 錚々たるチャンピオンを生み出していきましたよね~(●´ω`●)




ところが この頃から老犬は

車に興味が移り



その頃は グループ5

シルエットフォーミュラーに釘付けとなりました

白い稲妻

星野一義のシルビア

星野選手のインパルは このホイールでボロ儲けしたって逸話つき~(●´ω`●)


柳田春人の ブルーバード




そして 長谷見昌弘の

有名すぎる鉄仮面



イカつすぎる…

街には ここまで改造する奴は正月ぐらいでしたが

西部警察バージョンは ちらほら見ましたね~(´-ω-`)




でも いっちゃんカッチョ良いと思えたのは

ケン アカバの乗ってた(←マンガやんけ)

BMW635


もう このカラーと 
ポルシェのマルティニカラーが 印象深いです

(*`・ω・)ゞ


それから しばらく

レースカテゴリーが ABCDと分類され


グループAで なかなかフォードに勝てない日産が


勝てる車を造って出したのが




スカイラインGT―Rでした


グループは 排気量別に

123 と それぞれ別れてて(←Fも同じですがKやMは違う)

ターボ係数 1.7をかけた排気量の 重量制限に合わせるための 2,600cc

年間販売のホモロゲーションを 遥かに上回る販売実績を残した 名機RB26DETTは


300馬力トリオで 売り出そうとしたZやインフィニティより あっさり先に パワーと耐久性をクリアしたエンジンでした

A-1 カテゴリーでは 他の車を全て駆逐して ワンメイク化してしまったのが 逆に衰退化してしまった要因でした

が、市販のRとは違い アテーサの前後配分を任意で設定できるこのマシン

各チームのセッティングなので走りが変わる面白いレースでした~(●´ω`●)


さらにグループB といえば

グループAより 改造範囲が広いカテゴリーで

レースより ラリーが有名

アウディ クアトロ(←4の意味)
が 一躍有名になり フルタイム4駆を世に広げましたが




危険すぎるカテゴリーとして 衰退し

グループAに とってかわり

トヨタ スバル 三菱と日本のメーカーが活躍してくれました~(●´ω`●)




そして 老犬が 最も好きだったのが

グループCです


ル・マンでの最高速は400㎞を越え

富士スピードウェイでは F1より速いラップを刻む怪物マシン



プロトタイプ、つまり試作機とも呼ばれる車には ヘッドライトや指示器なども装着してますが

基本 自由 Σ(O_O;)


ポルシェなどは 一般発売もしてたので

金さえあれば参加できるCカーですが

予選ブーストで 1,300馬力 

スピンしたらリアウイングが羽と化して空を飛ぶ

(↑セナの前日に亡くなったラッツェンバーガーも映ってる)



下手こきゃ 真っ直ぐ走ってるだけで空を飛ぶ




ディトナを制した日産

ル・マンを制したマツダ


この頃のグループCは 面白かったですけど


高すぎる費用で 衰退

今の GTレースへと代わっていきました




今の自分は 速さを競う事よりも

自由に楽しく走りたい

もちろん 上手くなりたい欲求はありますが

バイクなら エクストリーム





車なら ケンブロックのような




こんなシーンに目を奪われますv(・∀・*)