今朝の蟻峰山系の日の出。
おお、参道の正面に太陽が入ってきたぞ。
このような状態だと、ちょうどこの参道に入るときに熊野神社の鳥居があり、そこをくぐるとに帽子を脱ぎ、軽く頭を下げるのですが、
毎朝、太陽礼拝をしているような感じになって、これもまた気持ちよし、なのです。
で、今日の〝開運の秘訣2〟なのであります。
霊的な存在(力)と、よい意味で相思相愛になってください。
はあ? と思われるかもしれませんが。
スピリチュアルな領域にあるものから良い影響を受け取って下さい、ということです。
もうしつこく繰り返していますから、ご周知のこととは思いますが。
私はスピリチュアル鈍感です。
ですから、神仏の声も聞くこともできませんし、何も見えません。
こういう仕事をしている人の中には、相談者の何かを受け取ってしまうことも多いのです。
それは、自分にもないわけではなく、出張鑑定時にお腹を下しやすいのは、どうやらこのせいらしい。
でも、心理面で影響を受けることはないし、まるでどこ吹く風です。
そんなスピ鈍でも、
神仏が存在する(神仏と人に認識されている存在がまさに存在する)と感じざるを得ない瞬間というのは、過去に幾多とありました。
地震が起った地域の神社に行き、祝詞を上げていると、その時にすごい風が吹いて来て、一瞬にして土砂降りになり、祝詞を終え、しばらくすると、嘘のように雨が上がるとか。
他にも大江山付近の元伊勢での衝撃体験。
そんなにすごいものではなくても、これ偶然? と思うようなシグナル、サインの数々。
この物質世界だけが、世界のすべてではないし、そこには人を導こうとか守ろうとか、見守って下さっている存在がおわします。
それは、いかにスピ鈍でも確信しています。
こうした霊的な存在は、いわゆる神仏と認識される存在だけではない。
人を迷わし、恐れさせることを喜びとする存在もあるように思います。
(私は感じない)(というか、私はたぶん全スルー)(そこに自分のプラグを繋がない)
こうしたものの実在、そして大いなるものの偏在も、私は確信していますが。
これは、言い換えれば、この世界や地球や、宇宙と共に生きるということでもあります。
できれば、〝喜び〟〝笑い〟〝幸福〟〝光〟〝真理〟といったものとつながってください。
この〝喜び〟ですが、他者を害する喜びではない。いじめて楽しいとか、マウンティングして満足とか、極端に言えば人を殺すのが喜びとか、そんな喜びではない。
〝笑い〟も心からのものであって欲しい。心からの笑いは、やはり他者を害するところには生まれません。
人を嘲け貶める「嘲笑」とかは、ここでいう〝笑い〟ではない。
〝幸福〟も自分だけが得してOKではない。
〝光〟も〝真理〟も、偽物が存在します。
偽りの光、偽りの真理が、世には無数に存在します。
偽りのものには、心からの喜びと笑いがありません。
そこが選別基準になりやすいし、わかりやすい。
〝恐れ〟で縛る、〝不安〟を煽る、エゴだけを満足させる、などは、偽りのものの特徴と言えます。
また、こういったケースでこそ、神仏とつながっているアピールをしたがります。その上で、〝自分に従えば幸せになれるぞアピール〟も強い。
場合によっては、他者を攻撃します。
こういった偽りからそもそも距離を取ることが大事で、その上でこの世界と宇宙を構成している、本来のところとつながることです。
それが、一般的には〝神仏〟とか〝天使〟とか、表現されているに過ぎない。
私個人の経験的に言えるのは、やはり〝うまく行っている人〟は、神仏が大好きで、神仏にも愛されている。
これは、あくまでも日本的な信仰?というのか、すでに海外の宗教の信仰とは違うのですが、日本人の場合、一種の備わった感覚の中で行っていることで、氏神様を大切にするとか、心引かれる神社に参拝するとか、そういう行動の中に出てきます。
特定の宗教の神を熱烈信仰するとか、入れあげるとか、そういうものとは違い、この地上の自然と共に存在するスピリチュアルな存在に、慣れ親しむといういうこと。
たとえば、育ててくれた親のことを敬愛するように。
普通に愛する。
その気持ちを持つことが、回路を開く。
すると、神仏(といわれる存在)からも恩寵が流れ込みやすくなる。
ただ、この回路は自分側からしか開けません。
おそらく神仏は、様々な手段で加護を行い、メッセージを送ってくださっているのですが、これを受け取りやすい人間と受け取りにくい人間が存在し、
悲嘆、不安、恐怖、憎しみ、恨み、否定(自己否定も含む)、嫉妬……
などに浸っていると、受け取りにくい。
神仏は毎日毎日、あなたに贈り物を届けてくれているのに、チャイムに気づけないので、受け取れない、へたをすると不在配達表すら見過ごす!
こうなってしまうのは、チャイムに気づけないからで、それだけ〝雑音〟ばかりに耳を傾けているからなのです。
この雑音から、私たちは離れなければなりません。
さて。
長くなっていますが、もう少しお付き合いください。
物質世界と霊的世界を切り分けるというのは、きわめて乱暴な話で。
霊的な世界もいろいろのはず。
神仏と認識されるような存在もおわしますし、そうではない前述の〝負〟の役割を果たしている存在もいる。
現世的な理解でわかりやすくいえば、霊的な世界も実に多くの階層が存在し、
その中には神仏ではないが、先祖の霊なども存在しています。
(その中には、すごく高いところへ昇っている存在もいるかも知れないが)
こういった祖霊は、多くの場合、子孫たちの発展を願っています。
断絶しろ、などとは考えないはずで。
つまり、〝うまく行っている人〟は、やはりこういった先祖に敬意を払っている人が多いのです。
もうすぐお盆ですが、事前にちゃんと墓掃除をするとか、お盆にはお参りするとか。
毎日、仏壇に向かっているとか。
霊的な存在を認めるとするならば、ですよ。
神仏だけではなく、祖霊もちゃんといるはず。
ですよね?
祖霊にも同様に回路を開いたほうが、祖霊の援助を受けやすいのが当たり前で。
こういった神仏や祖霊の加護がある人は、危ういところで事故を回避できたり、重要な選択で不思議な導きを受けたりしやすくなります。
〝うまく行っている人〟〝成功している人〟
こういった方々が、神社・仏閣によく参拝する、先祖を大切にしている、などとよくいわれますが、これは根も葉もないものではないと、私個人は感じています。
むしろ、当然じゃないかと。
先祖供養しなさい、そうしないと開運しない!
と、人を脅すのは、前述の〝負〟のスピリチュアルに入りやすいのですが、当たり前に祖霊を大切にする、敬う気持ちを持つことは大事です。
そういうのは、特別なグッズを買わなくても、〝気持ち〟とそれに伴う〝行動〟でできます。
なぜって……?
だって、弥生時代やもっと古い縄文時代には、今のような供養の方法はなかった。
「このやり方でないとダメ」だったら、日本列島、不成仏霊だらけですよ。(笑)
縄文は1万年。
いかに人口が少なくても、この累積はタイヘン!
(その時代の人が、いわゆる成仏していないのならね)
でも、古くから祖霊は、私たちに力を貸してくれています。
そして。
今日の最後ですが。
神仏、祖霊以外にもスピリチュアル的な〝力〟は存在します。
これは……スピ鈍の私ですら、感じざるを得ないときがあります。
相談者の方の、なにがしかの〝負〟の想念やカルマ。
鑑定後、こういったものの影響と考えざるを得ない体験が、私にもあります。急に足が痛くなるとか。
(逆に言うと、受けやすい人はこういったものを無数に受ける可能性がある)
人の意識、その想念。
これはリアルなパワーです。
生き霊という言葉がありますが、良くも悪くも、想念の力は働きます。
死んだ人でも、生きている人でも。
想念だけではない。
私はたとえば会社の創業者の持つものが、その死後も会社の命運に関与することを確認しています。
こういった人(生死を問わず)の想念やカルマは、私たちの今に影響を与えます。
つまり、
すごく平たくいうと、
すっごく人に恨まれていると、それは影響する可能性があるのです。
そして、これは、逆の見方をすれば、
多くの人に愛されていると、当然、なにがしかのプラスの影響を受けるのです。
そのために人に媚びて生きろ、というのは、まったく論旨が違います。
神仏にも、周囲の人たちであれ、なんであれ。
〝喜び〟
自他を喜ばすこと。
自他ですから、
それは他を害さないことであり、自分も害さないこと。
卑屈にならぬこと。
多くを愛し、多くに利益をもたらす。
そうした生き方ができれば、自然と。
その人は愛されます。
今この地上に生きる人々にも。
むろん、100%はない。
どのように生きたとしても、難癖を付ける人、細かな揚げ足を取る人は、必ず存在しますが、
総体としてプラスの作用が大きくなれば、結果的に
その人を助けます
幸せに導きます
守ります
このような物質次元を越えた援助は、必ずあります。
いかにスピ鈍でも、そこは確信しています。
また違った観点で、明後日、できたら記事にします。明日は、来月の12星座の予定。
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