運命のシャッフルと本来の魂の回復 |  ZEPHYR

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ネイタルは魂が地上に押し込められたものをご一読の上で、お読みください。

関連記事に

未来を創造するのは意志と選択

幸せになるために「意志と選択」以上に重要なもの

地上での最大の縛り=時

などがあります。

 

シリーズの最後の記事です。

ここで結論的なことを書かせていただきます。

「運命のシャッフル」と「本来の魂の有り様を取り戻す」ことについて。

 

「時」というものは、願いを叶えたい者にとっては、かなり残酷な側面を持っています。

今すぐ幸せになりたいのに、その訪れを待たされてしまうからです。

 

ホロスコープにはそのときというのは表示される。

 

では、その「時」は本当にがっちりと「地上に押し込められた魂」を縛り付けて離さないのでしょうか?

 

 

「通常はそうである」

ということは、私は占星術研究家として言えます。

 

しかし、実は例外があります。

というよりも、「時」そのものは変えがたいのですが、起きる出来事、中身を替えてしまうことはできるのです。

 

例外の一つの事例を私自身、経験しています。

 

実は、私は非常に危ういアスペクトの中で婚約→結婚をしました。

すべてではないのですが、「こりゃあ、いい時期(婚期)ですよ」と明言できるような時ではありませんでした。

 

しかし、結果的に不幸な結婚になっているかというと、そういうわけではありません。

むろん、ここでは詳しくは語りませんが、妻にはすごく苦労させました。とくに経済的な問題では。

つまり結婚時にあった情報は、確かに表現されてはいるのですが、決して不幸ではない。

 

これはなぜなのか?

 

一番大きな要因は、婚約→結婚の時期に、私は精神的に破綻寸前まで追い詰められるような出来事が別にあったからです。

もうすぐ57才になろうかという私のこれまでの人生の中でも、「もっとも精神的に逼迫した時期」でした。

私は笑いを忘れ、数ヶ月間、くすりともできずに過ごしていました。

 

それほど、ダメージの大きかったものなのですが。

つまりそのときに存在したハードアスペクトは、結婚とは別なところで表現されたのです(この精神的ダメージは、後の仕事の凋落にも関係したと思われる)。

 

つまり、誰にとっても最良の婚期みたいなものはある(どの程度、最良なのかということは、やはり個人差はありますが)。

しかし、絶対にそこでなければならないわけではない。

そこでないと幸せになれないわけでもない。

デンジャラスな運勢の時でも、幸福な結婚に結びつくような縁を得ることはできる。

 

これがつまり、中身を変える、ということです。

ただ、これはその場の勢いや無自覚な選択では、なかなかに達成できません。

やはり相当な意志や決断を持って、断固としてハードアスペクトが表現する問題が、結婚なら結婚に影響することを排除しなければなりません。

 

そういう観点では、意志と選択も「時の不具合」に対して、完全に無力ではなく、ある程度の力を持っています。

ですが、意志と選択以外に、もっと必要なものがあります。

 

それは「行動」です。

(行い=サンスクリット語のカルマだとも言えます。カルマは本来、悪い業だけを指すものではない)

 

それが「運命のシャッフル」という奇跡を引き寄せる第一歩なのです。

 

 

 

本来、結婚をダメにしそうな運気を、別なものに置き換えてしまうとか。

社会的な成果を脅かす運気を、違うところで表現させてしまうとか。

そういう効果を「運命のシャッフル」と、私は呼んでいます。

 

ハードアスペクトがもたらす苦難は、なかなかにすべてをキャンセルすることはできません。

同程度のものを体験しなければなりませんが、「ある部分についてだけ絶対的に死守することは可能」となることがあります。

 

その最初の段階は「意志と選択」です。すべてはそこから始まる。

ただ、普通に「こうなりたい」「こうしたい」「この人と幸せになりたい」「その職を選ぶ」などの意志や選択は、誰でも行います。

それだけで何もかもうまく行くわけではないことは、私たちは知っています。

 

運命のシャッフルのためには、意志を働かせるだけでも選択を行うだけでも不十分です。

本当に強い決意を持って、具体的な行動をしてこそ初めて、シャッフルへとつながっていきます。

 

なぜなら。

この世は現実なのだから。

物質的で現実的な地上世界に私たちは生きています。

だから、意志と選択に沿った具体的な行動こそが、起きる出来事を変える。

 

未来を変える。

 

そのとき、本来危険なはずの項目が、シャッフルされる可能性が出てくる。

 

無自覚に生活していると、このシャッフルはなかなか起きにくく、チャートが示しているとおりの出来事の発生につながりやすいようです。

ただ、たまたまうまくこのシャッフルが発動する人も、中にはいらっしゃることはご報告申し上げておきます。

 

ただ、その「たまたま」に乗っかるというのは冒険です。

 

この運命のシャッフルを引き起こすためには、おそらく二つのことが重要です。

以下は、現段階での私の考えですが。

 

 

一つは、十全に体験を味わうことです。

 

ホロスコープは、「その人が感じるところの人生」が表現されています。

喜怒哀楽もそこに表示されているわけです。

 

だから、かつての私のように、全身全霊で打ち込んだ仕事が成就せず、絶望的になるような体験であれば、そこで心底落ち込めばいい。

失恋したら、本当に心の底から泣けばいい。

悔しいことがあったら嘆けばいいし、凹めばいい。

むろん喜ばしいことは、思いっきり喜べばいい。

 

それらの感情が、本当に深いものであれば、ホロスコープ上に示されているものは「消化」されていきます。

ごまかさないことです。「自分は傷ついてなどいない」とか「こんなのたいしたことじゃない」とか。

そこが大事。

 

私の場合は、当時の失意と自己慚愧がこれに該当し、ここでとことん落ち込んだわけで、これが結果的には体験を強制的に味わわされることになったのです。

 

そこまで極端なものではなくても、この現世の、この地上でしか体験できない様々な出来事を、しっかりと受け止めて感じ取っていくことのほうが、長い目で見たときには未来を好転させやすい。

そういう意味では、理性よりも感情のほうが大事な部分もあるのです。

 

私たちはここでしかできない体験をするために生まれているのですから。

それを精一杯生きる、ということで良い。

 

これによって、シャッフルの可能性はさらに開きます。

 

 

もう一つは、意識を広げることです。

これについては、過去に関連する記事を書いています。

 →意識が広がれば広がるほど幸せになる

 

ホロスコープはその人が感じるところの人生ですから、その人が意識するものが広がっていれば、その広がった範疇で出来事が起きます。

たとえば、すごく小さな自我の中で生きている人物と、イエスや仏陀とまではいかないまでも、大我を持って生きている人物とでは、見るもの感じるものが違うのは当然です。

 

前者は自分個人の体験の中に、喜びも痛みも怒りも悲しみも感じやすい。

後者は他者の喜びを我がことのように喜び、他者の悲しみや痛みを我がことのように感じます。

 

ホロスコープに表示される、「自分が感じるところの出来事」は、小我的な感覚では、もう自分の個人体験ですべて出てきますが、大我的な生き方ができていれば、自分個人ではなく世の中での出来事としても出てきます。

 

これは大我的な意識になれば、自分のハードアスペクトを他人に押しつけることができるようになる、という意味では決してありません。

自然と、人の痛みを我がことのように感じられるようになっているので、自分自身にあまり起きる必要もなくなってくる、ということです。

 

人生を十全に体験する、というのも、小我的である場合と大我的である場合では、経験の仕方がまったく違ってくるということなのです。

 

だからこそ、小さなエリアで生きていると、幸せも小さくなりがちなのです。痛みもまた、自分個人の問題に限定される。

「エリア」というのは地域とか、そんな話ではありません。

つまりは「意識のエリア」で、自分の意識がどこまで広がって、どこまでをカバーしているか、ということです。

 

もし、すごくすごく意識が広がった人が存在しているのなら(そんな方もいらっしゃると思います)。

その人のチャートのその時々で表現されるハードアスペクトなども、もはやその人にはあまり意味がなくなってきます。

 

つまり、その人はこの地上に生きながら、魂の自由を回復しているような状態なのです。

 

それはつまり、

 

ホロスコープは無意味に近くなる

 

ということです。

 

縛りもなくなる

 

ということです。

 

私はかつて、「ホロスコープが語ることが当たらない人物」に遭遇したことがあります。

これは、希有なことです。

 

でも、おそらくそういう人は存在するのです。

その段階になると、もはやシャッフルですらないでしょう。

「解消」といってもいい。

 

なかなかそこまでは行けないかも知れない。

 

でも、近づくことはできる。

 

私たちが幸せになる道。

地上に降りた魂を縛るありとあらゆるもの、肉体、DNA、性格、環境、能力、そして「時」――。

 

本来の自分を回復すれば、それらはチャラになる。自由になる。

すべてそこへ至らなくても、少なくとも生き方(意志と選択、行動)と意識の持ちようで、運命のシャッフルは可能になる。

 

こうした「魂本来の有り様を取り戻す」作業は、この現世では、多くは苦しい体験を通じることが多く、悲しみや苦しみを乗り越えることが必要となります。

が、今、世の中にはこういったプロセスではなく、何らかの霊的なイニシエーションのようなものでそれを実現する、あるいはサポートするということもなさっている方々が大勢いらっしゃいます。

 

こういった事例について、一つ一つ、私は何も判断はいたしません。

真実こういったことを為しておられる方もいれば、そうでない事例も存在すると思いますので、ここは慎重にご自分自身で判断ください。

私は、自分で見出し、つかみ取った浄化のプロセスと「魂の回復」のほうが、まあ、納得するし確かなものだとは思っていますが、こういった能力を持つ方のお力を借りなければなかなか解決しない問題も現に存在するということも知っています。

 

いずれにせよ、本来の魂を取り戻していけば、この世の縛りは低減する、あるいはなくなる。

ただ、それはエゴによる願望では成し遂げにくい類いのものです。

 

こうなってやるんだと思えば思うほど、そこへ執着し、膠着してしまいます。

それは私の過去の挫折と同じです。

 

むしろ今ある自分のすべてを受け入れた方が、大きな転換があるように思います。

執着を手放してしまった方がいいということです。

 

手放せば、不思議に

通らなかったものが通るようになる

からです。

 

大きな逆転が起きる。

 

人間にはそれだけの大きな可能性がある。

地上のありとあらゆる縛りさえもチャラにしてしまえるだけのポテンシャルがあるのです。

 

あなたにも、私にも。

 

 

これで、このシリーズの筆を置きます。

また時を置き、違った角度からの提言を行うことはあると思いますが、ひとまず。

 

このシリーズでご報告したことには、強い確信があります。

そうでなければ、わざわざ長い記事を書くことはいたしませんでした。

(客観的な視点を持っていただきたいので申し上げておきますが、これは一占星術研究家の提言なので、信じたくない人は信じなくて良いし、そもそも信じていただく必要もありません)

 

 

最後になりますが。

 

このシリーズの中で、デリケートな琴線に触れるような痛みを感じた方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。

しかし、この最後の記事までお読みいただかなければ、真意は伝わらないはずで、しかもできるだけわかりやすい事例を取り上げないと理解してもらいにくいという流れでこのような構成となりました。

 

 

この記事が、皆様の未来の幸せのお役に立ちますように。

 

長い記事にお付き合いいただきました皆様には、感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

 

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