捧げ物を天に |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

今年の春分チャートは、新しい喜びに向かわせるものです。

だから、それぞれの喜びとするものを意識したり、楽しいことをやったり、新しい体験の中に今まで味わったことのない喜びを見いだすなどの方向性はあっていいものです。

 

人によってはセンスを磨けたり、自分の中に新しい才能を見つけ出したりできるでしょう。

真面目に手堅くやるだけでは、今年という海を、うまく泳ぎ渡れないかも知れません。

 

それだけ新しい局面が目の前に現れて来やすいとも言えるでしょう。

 

 

ただ、うれしい楽しいことだけでは、少々不足するところがあるかもしれません。

 

生命は歓喜なので、そこへ入っていくのは良し。

 

しかし、現世は魂磨きの場なので、安直な楽しみごとだけにうつつを抜かしていると、新しい局面はあなたに厳しさを突きつけてくる可能性もあります。

 

その後、いろいろと観測を進めるうちに、こうではないかと思うところがあるので、追記しておきます。

役立てようと思う方だけ、読んでくださったら良いので。

 

 

じつは今年、私はある種の「犠牲」を求められるのではないかという印象を持っています。全体の話です。

全体の話ですが、大きな流れなので、個人でもそれは受ける方がある程度いらっしゃるし、個人でもそのような対応をしておいたほうが、より今年の流れを歓喜へと向かわせることができるような気がします。

 

犠牲というのは、ちょっといやな感じがするかも知れませんが。

対価と言ってもいいですし、捧げ物と言うべきかも知れません。

 

要するに、自分が大切にしているからこそ、その大切なものを人に与えたり、あるいは執着しているものだけれど、この際すっぱりと諦めてしまうとか。

 

つまり「痛み」を伴うようなもの、です。

それはものとかではなく、「行為」でも良いのですが。

 

わかりやすくいうと、神様をお祀りしたり何かを祈願するときに、何かお供えをしますよね。お賽銭だけでなく、お酒とか米とか、作物とか。

聖書なんかにもありますが、主である神に最上の子羊を捧げていたりします。

 

最上のものだからこそ、自分が食べたいけれど、それをあえて捧げる。

 

日本も昔は米や収穫物というのが、とても大切なものだった。今でもそうですが。

そういった大切なものを捧げ、感謝する。

 

つまり何かを得ようとしたり、願ったりするのが、人間ですが。

 

その前に感謝を抱き、個人的に何か対価を捧げるというやり方をしたほうが、今年はよりよいと感じるのです。

「これを払うのは痛いな」と、ある程度感じるようなものや行為のほうが、効力が大きいはずです。

 

それは世の中に対してでも良いですし、周囲の人たちに対してでも、神仏に対してでも結構です。

 

個々にそうした動きが広がると、大きな流れの中で払う犠牲もまた少なくなるように思えます。

 

自分にとって価値のないものを人に渡しても喜ばれませんし、価値のないものを捨てたふりをしても、そんな態度は天は見通しておられるでしょうし。

 

そうした個人の捧げ物は、どこかで巡り巡って、大きな恩寵となるはずです。

 

それぞれにできること、考えてみてくださいね。

 

 

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