秋の夜長に思う |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

「義母と娘のブルース」が終わってしまった。

そして、もう一つ、このところ熱心に観ていた「この世界の片隅に」も終わった。

ちょっと寂しい……

 

などという感想を抱けることが、あらためてありがたい。

 

先日、夜、家族のいるリビングで過ごしていると、夜がすごく長く感じた。

その日は晩酌もしていなかったこともあり、なおかつ夜に仕事もしていなかった(私は夕飯後も仕事や研究をやっていることが結構多い)。

お酒を飲むと、やはり意識は無自覚的になります。

仕事をしていると、そっちへ意識が向いてしまい、いつの間にか時間が経過してしまいます。

 

この頃、時が過ぎるのが異様に早く感じていたのですが、実際、気づくともう秋。

今年もあと3ヶ月ちょっとしかないわけです。

 

年を取ると、一年が過ぎるのも早いと、多くの人がおっしゃいますが、それを痛感していたところ、珍しく秋の夜長的なものを感じてしまったのです。

 

時間と意識の間には、面白い相関関係のようなものがあるように思います。

相対性理論みたいな?

本当は量子理論なのかもしれませんが、科学的な詳しい判定はできません。

 

この世界が意識で成り立っているなら、時間も空間も意識のありようで伸び縮みするというのか、そんな印象を持っています(世界が意識で成り立つという説は量子理論)。

より意識的、自覚的であった方が、時間はたっぷりとあるように思います。

無自覚的に過ごせば、湯水のように垂れ流され、いつの間にかなくなっている……

 

ただ無自覚にスマホのゲームに没頭していれば、いつの間にか時間は流れてしまっている。当たり前ですね。

しかし、家族と過ごす時間を意識してリビングで過ごせば、秋の夜長となる。

(秋に限りませんが)

 

ゲームが良くないとかそういう話ではなく、わかりやすいたとえです(私もスマホにいくつかのゲームは入っています)。

ゲームが何よりも大切なら、それを選択する人生もありなので。

 

ただ個人的には、やはりゲームで失われる時間というのは浪費感が強い。

かといって、息抜きもなしに仕事ばかりに時間を使うのも、どうなん?という気がします。

 

しかし、リビングで感じた秋の夜長は、無駄になった感はありませんでした。

仕事もしていないので、商業的な観点では何も生産していないのですが。

 

家族と過ごしたということもあるし、仕事をしていなかったということもあるし、酔ってもいなかったということもあると思うのですが、たぶんその時間を意識的に過ごしたからだと思うのです。

 

そこにいる自分。

夕食。

だんだんと帰ってくる家族たち。

ティータイム。(という言葉の響きほど、上品な世界ではない)(笑)

テレビ放映されているドラマ。

 

時間の使い方に無駄がないか、ということではなく。

どのような状況でも意識的に過ごしたから、そこにたっぷりとした時間があり、その時間を過ごせていたという実感があった。

 

そんなふうに感じました。

 

こんなことを感じることは、6年以上前にはあり得なかった。

なにせ、夜も働きに出ていましたから(ホテルに)。

 

ドラマが観られるようになっているということではなく、今の時間の過ごし方ができるようになったことに感謝。

 

もう少し、もうちょっと、意識的に過ごしたいと思います。

そうしたら、あとの人生の時間を、もっとたっぷり味わえそうに思います。

 

 

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