取り戻したいおおらかさ(江戸期は離婚率が高かった) |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

以下の記事は、自分なりの考えです。

浅学故に不足しているところもあるはずですが、大筋においては間違いないと思います。

占星術研究家・作家としての、小さなメッセージとしてお受け止めくだされば幸いです。

 

 

我ながら無知だったというのか。

思い込みというのは恐ろしいものだと思うのですが。

 

今、日本では三組に一組が離婚に至ると言われています。

これは統計的なデータで、よく言われているものです。

離婚先進国(?)のアメリカは二組に一組とまで言われます。

 

昔は離婚が少なかった。

つまり日本人の貞操観念が固く、現代よりもずっと忍耐強く、少々のことでは夫婦関係を解消などしなかった。

さらに!

これは特に男の考えの中に潜在的にあると思われますが、当時の女性は貞淑で謙虚で、男がずっと主導的で権威を持っていた。

 

というような、思い込みはどこかにありませんでしょうか?

これは、一面の事実としてはそうです。

 

これが、実は長い歴史の中では、あほみたいな思い込みであったということを、あるとき知りました。

 

ここでちょっと占星術の方に迂回しますね。

 

離婚・離別しやすいホロスコープの特徴というのが、いくつかあります。

例えば典型的な例は7ハウス(結婚・対人運)の状況だったり、特定の天体間のハードアスペクトだったりします。

これらが発生する確率は、現代も昔も変わらないのです。

 

にもかかわらず、昔は離婚が少なく、現代は多い。

これは日本に限っての話ですがーー。

昔はこうしたハードアスペクトで、妻は夫を戦地に送り出して亡くしていたり、また医学も進んでいなかったので配偶者を病気で亡くしたり、事故が起きたときの死亡率も現代より遙かに高かったため、「死別」という形で起きていたと考えられます。

 

しかし、現代の日本は戦争もせず、社会は世界的に見ても相当に安全性が高く、医学も進歩した。簡単に人は死なない社会の中で、私たちは生きているわけです。

そんな中で、この「離別」をもたらす特徴は、離婚というものがもっとも出やすい形になってしまっていると考えられます。

 

日本ではね。

現代の他の社会、外国の制度や風習の中ではまた違っています。

ホロスコープの特徴というのは、どの国でも一律に同じ形では表現されません。大本のアスペクトは同じですが、誰もが、どの国もが、自分なりに変換して受け取っているのです。

 

つまり今の日本の離婚率の高さというのは、こういう観点からは、全く悲観するようなものではないということ。

なかなか離婚しなかった昔の方が、人間として上等だったとか、そういうことではない。

離婚率が高くなることが、私たちはややもすると、いけないことのように受け止めがちですが、占星術的にはこのような社会では当たり前、ということになります。

 

いや、

むしろ健全です。

 

でないと、それらのアスペクトは別な形を取って表現されるはずだからです。

 

ところが。

上記のことは正しいのですが。

 

江戸時代、日本は離婚大国だったのです。

 

江戸時代の正確な統計はありませんが、明治に入ってしばらくの状況は、まだ江戸期の生活習慣を強く引きずっていたと思われますから、そこから推定すると当時の世界の中では屈指の離婚率の高さだったようです。

 

これを私は、わりと最近まで知りませんでした。

そして、「古い時代ほど離婚が少ない」という思い込みは、幻想だったと知りました。

 

実は私たちの世代、それから私たちの親の世代、つまり昭和に生きてきた私たちの感覚の出所は、明治民法のようです。

これが家制度(家督制度)というものを強く打ち出し、結果、平たく言えば、女性は男性とその家の中に組み込まれて生きるしかなくなってしまったというのが、リアルな現実としてあった。

そのため離婚など、なかなかできなくなってしまった。

 

離婚しようとすると、それを「悪」として糾弾されたり、「我慢が足りない」とか「考えがおかしい」とか、周囲から言われたりする出所は、日本人が持つ美質とかではなく、ただの「法制」の縛りだった。

 

それが、私たちの思い込みを作ったし、離婚はいけないものだとか、離婚率が増える社会は悪くなっている的な思い込みも作っている。

 

でも、そのような風潮ができたのは、長い歴史の中でも明治民法(明治31年制定)以降の、きわめて! 短い!! 時間の中でしかない!

 

それ以前の江戸期はどうだったのかというと、夫婦は別姓、女性も経済力を持つことが珍しくなかったため、女性の自立性がある程度確保されていた。

いわゆる「三行半」のやりとりもありきたりだった。その三行半(離縁状)は、お互いの次の再婚の権利も保障するものとして機能し、

 

なんと、すごく再婚率も高かった。

 

第二第三のパートナーというのも、別に珍しいことではなかった。

前のパートナーがいけない、合わないというのなら、別な誰かを探せば良かったのです。

 

私は、日本人が持つ美質というのは、離婚するかしないかというような問題とは無縁と考えていて、もっと他に誇れるものがたくさんあると感じています。

それはさておき。

 

江戸期というのは、現代とかなり類似したところがあります。

一番大きな要素は、戦国の世の後の太平の世という時代が、今の日本の長い安寧の時代と強い関係を持ちます。

 

今の日本では、天王星の表現が離婚につながりやすい、というのと、全く同じ背景があるのです。

だからこそ、江戸期には離婚が多かった。

 

そして、それが健全な表れであったということ。

 

考えてもみてください。

災害や戦争で、生命の危機があるとき、生きるか死ぬかというようなときには、夫婦間の少々の問題など消し飛んでしまいます。

力を合わせて生き延びねばなりません。

 

しかし、そうしたものがなくなってしまうと、互いの持つ問題というのが浮き彫りになってきます。

 

私たちの意識は、こうした社会的な法制度や常識、宗教観、様々な時代の持つ枠組みや出来事の中で、それぞれの人生を選択しています。

 

 

大前提として!

 

戦争のない、平和な社会というのを、これを是としましょう。これに反対する人は、ほとんどいないと思いますので。

この社会を前提として考えたとき、私たちがもう一度見直すべきは、明治民法以後の女性を縛り上げた社会ではない。

 

江戸期の社会や風潮なのではないか。

それが天王星(他の離別に関する相)を健全に生かす社会。

 

私は作家でもあるし、大学の講義で使うこともあるので、江戸期の文学についてはある程度調べたりしたことがあります。

 

文学的な観点からは、江戸期は自由闊達、奔放です。

文学とその時代は深くリンクしており、その時代の人々が実におおらかであることが窺えます。
 

離婚で肩身の狭い思いをしたり、生きにくさを感じたりする女性が多い現代。

私たち一人一人が、極めて短い時代に作られた偏狭な思い込みから自由になることが大切に思います。

まずは自分が。

そして世間の風習や観念を作る多くの大衆が。

 

そのとき、自由闊達な人生を取り戻せる。

新しい人生を選択できる自由。

その思いを当たり前として受け取れる社会。


古い時代の良さという観点でなら、江戸期のおおらかさを取り戻すほうが、ずっと価値があり、幸せのような気がします。
 

 

※ 江戸期はあきらかに男性優位の封建社会です。すべてが良かったという意味ではありません。この論点の部分において、という意味です。

 

 

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