恋に落ちるとはどういうことなのか |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ガラにもなく……

 

映画「ナラタージュ」を観てきました。(笑)

ガラにもないのかどうなのか、皆さんにはわかりにくいと思いますが。

 

私は小説でも純文学というのはあまり読まないですし、映画にはわりとエンターテイメント、面白さを求める傾向があります。

「ナラタージュ」のような「一生に一度の恋」みたいな謳い文句の映画を観ることは、本当にここしばらくありませんでした。

 

ちなみにナラタージュ(narratage)というのは、とくに映画ではある人物の語りと回想によって描かれていく技法を指すようです。

小説だと、倒叙がこれに近いかな。

 

実際、そのような映画でした。

この内容については、ほとんど触れません。

ネタバレもよくないですし。

 

ただ一つだけ。

セリフの中に「あれは恋ではなかった」的なものがありました。正確なセリフは覚えていませんが、そんな内容でした。

恋愛ということではなく、その時の自分が相手を必要としていた、という内容でした。

 

映画を観終わって、帰路の車の中でぼんやりと考えていました。

 

やはりそれは「恋」であろう、と。

 

というのは、人が誰かを好きになる、恋に落ちるというのは、まったく理屈ではありません。

 

たしかにその時の自分をわかってくれたとか、救いになってくれたとか、そういうのは後付けの理屈としてはあると思います。

物事を整理して考えると、そういうことだったんだな、と。

 

ただ。

好きになる理由は、実に様々です。

 

普通にホロスコープで相性を鑑定していても、気が合うというのは、相性が良いチャートの特徴があり、その親和性ゆえに引かれます。同調するからです。

しかし、真逆もあり、まったく違うがゆえに惹かれることもあります。

 

自分と同じ人間は、双子も含めてこの世に1人もいないのですが。

そういった同調性が極めて強い人間から真逆の人間までの間には、無限の段階があります。

私の見るところ、結び付く縁の多くは、どこかに同調性も持ちながら、違った要素もある、というのが多いように思います。そこはミックスされている。

 

人にはそれぞれ、魂の計画があり、この世に生まれるというのは、自分とは違う人間と出会うため、という目的がそもそもあります。

その中でも深い恋愛関係に落ちるとか、夫婦になるとか、そんな関係性というのは、魂の計画の中でも特別。

重要なものです。

 

人はなぜ恋に落ちるのか?

そもそも、なぜ恋などという感情がこの世にあるのか。

 

恋愛関係に落ちる二人というのは、チャート上にもその因果関係をほとんどの場合、ちゃんと見つけ出すことができます。

その理由を、ホロスコープは語っているのです。

 

その理由は、しかし、

とても多様です。

 

たとえばある時期に、まったく同じ星のアスペクトを共有しているとか。

ネイタル・チャート同士で、あきらかに相性が良いとか、縁の深さを暗示するものがあるとか。

 

また。

 

過去生の縁が垣間見えることもあります。

 

 

それらが今生の中で、その時に相手を必要としていたから好きになったのであったとしても、「それは恋ではない」という理由にはならない。

恋が生まれる理由は、ものすっごくたくさんある。

 

それはいろんなバリエーションが、じつは用意されている。

その人の人生の中で。

 

一生に一度の狂おしい恋愛をするというのは、得難い経験でしょう。

 

それに外的な後付けの理屈はいらない。

あ、いや、本人が心の整理をするためにあってもいい。

 

でも、実際は「恋」という感情は理屈を超えて生まれます。

 

相性が良いからこそ好きになるのかもしれない。

尊敬の気持ちや、あるいは庇護したいという想いがそこへつながることだってある。

傷ついた自分を慰める何かを相手が持っているからかもしれないし。

相手との関係の中で、自分の心の穴が埋められる何かがあるのかもしれない。

 

そうやって結びつき、相手にこがれる想い。

それは

 

やはり、すべて「恋」であろうと思う。

 

 

 

 

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