このところ、火星のアピールがあまりにも度が過ぎてきているように感じます。
そして、こんな時はやっぱり自衛しなければ、と思いを新たにします。
非常に顕著なのは、アメリカのカリフォルニア州でのとんでもない規模の山火事。
過去、最悪の被害、そして死者です。
またポルトガルとスペインでも同様な大規模な山火事。
新燃岳の噴火。(これは自然現象なので、仕方ないとしても)
米軍のヘリの炎上、自衛隊のヘリの墜落。
大坂では小学生児童の列に車が突っ込むという事故が(今のところの情報では死者はないということですが)。
一昨日だったか、テレビなどでも報じられていましたが、「ロードレイジ」=運転中にキレるドライヴァーが取る報復行動についても、この中旬になって急に話題になっています。
思い出したことがありました。
じつは私は以前、このロードレイジに見舞われたことがあります。
先日書いた、小さな娘が同乗していた時のトラブルではなく、大学時代。
バイクで通学していた時のことです。20歳くらい??
まさにそれが、ロードレイジを取り扱ったスピルバーク監督の「激突」みたいな話で。
ある日、私はいつも通り、大学の講義を終えて帰宅の途上にありました。
250ccのバイクで通学していたのですが、ちょうど岡山の混雑した市街を出ようとする手前で。
プァッパー!!
と、いきなり背後から、クラクションを鳴らされました。
めっちゃくちゃ威嚇するような鳴らし方で。
バックミラーにはでっかいトラックが、ぶつからんばかりの近さで迫っていました。
たぶんですが。
いや、間違いはないと思うのですが。
私は何もしていません。
私は、普通に走行車線を走っていました。
(二車線あるのですが、追い越し車線ではなかった)
そして、そのトラックに対してもほかの車に対しても、とくに迷惑になるような行為をせず、ただ流して走っていました。
しかし。
そのトラックは怒り狂っているのです。
(たぶんそのトラックのドライヴァーの、何かの誤解があるのではないか? あるいは、ただ自分の前をバイクが走っているのが気に入らなかったか)
バイクを弾き飛ばすくらいの勢いで迫ってきます。
身の危険を感じましたが、さすがに接触・追突するようなことはするまいと、私はこの危険なトラックから逃げることにしました。
なにせ、ほとんど接触寸前まで迫ってきます。
そうはいっても、バイクのほうが小柄で機敏です。
私は何台かの車を抜き、間に何台も車を挟んだので、これで大丈夫だろうと思っていました。
車線は一車線に絞られていました。
ところが。
ところが、ところが。
なんとそのトラック、怒り狂った操舵で、対向車線にはみ出て、危険なすれ違いを冒してまで、私に追いすがってきたのです。
いや、本当に危ないのです。
対向車が路肩によけるくらいの勢いです。
これは、恐怖以外の何物でもありませんでした。
「激突」の被害者の恐怖心は、他人事ではありません。
狂気を感じました。
あまりに常軌を逸しています。
その当時、「キレる」というような言葉はなかったと思うのですが、ドライヴァーは完全にキレていました。
私はその後も、バイクの機動性で距離を置こうとしましたが、すぐにあきらめました。
「このドライヴァーは異常だ」と。
このままでは、ほかで事故が起きるかもしれない。
後ろにつかれたら、本当にぶつけてくるかもしれない。
(そこまでのことはするまいという考えは、もう消えていました)
私は安全な距離を保っているタイミングで、交差点で右折しました。
右折のほうが対向車があるため、入ってきにくい。
それに、その当時の経験から言うと、その国道を走るトラックは、四国へ向かうものが多く、フェリーに乗るというようなスケジュールもあるに違いないと考えたからです。
つまりその国道から外れてまで、タイムロスして追いかけてくることはないだろう、と。
案の定、トラックは通過してゆきました。
(私はそれをちょっと先の路上で止めて見ていました。もし曲がってきたら、狭い道をとことん逃げてやろうと考えていました)
トラックが通過した後、私は考えました。
あのような怒りを買う行為を、自分がしただろうかと。
しかし、いくら考えても、さっぱり覚えがないんです!
その時の恐怖体験は、のちの私のバイク・ライフ、カー・ライフに影響を与えました。
あのような存在がいるのだと。
そして、なにか自分が種を蒔かなくても、身に降りかかってくる災いはある。
その前提で、バイクなり、車なりに乗っています。
それは、一種の予防弁のようになっていてくれるのかもしれません。
個人的に思うのですが。
ドライヴ・レコーダーは全車種に標準装備にすべきではないか(時間はかかるでしょうが)。
軽四からトラックまで。
できたら、バイクでも。
事故が起きた時の、加害側も被害側も。
タクシーにこれを装備させたら、事故率が低下したという統計報告もあります。
そりゃ、そうですよね。
タクシー・ドライヴァーにしてみたら、自分が運転で何をやっているか、会社の人間がチェックできうる環境に置かれるわけですし、事故があった時にはそれですべて明るみに出るわけで(消せば証拠隠滅になりますし)。
このようなもので自分のドライヴが、すべて記録されるのだとわかっていたら、自然と安全運転になる。
個人でも、自分の車の記録は削除できるとしても、ほかの車がすべてレコーダーを装備していたら、しょせんは言い逃れはできなくなると知ることになります。
そういう環境を作らないと、こういう狂気は抑制されにくいように思います。
町に防犯カメラを無数に設置して、市民生活を監視することには、いろいろとプライバシーの問題も言われます。
もっとも、別にやましいことがないのなら、見られても問題はないのですが。
まあ、でも、そういった個人の行動の情報を国家とかが管理して、何かとの統制を加えてくることは用心すべきです。
でも、ドライヴ・レコーダーは個人の所有物ですし、警察などから情報提供を求められない限り、明るみになるようなものではありません。
交通に関しては、一番これは効果的なのではないか??
などと思います。
人は誰でも怒りを覚えるし、こぶしを振り上げたくなることがあります。
その中には、明らかに理不尽なもの、誤解に基づくものもあります。
こういった理不尽な暴力(火星)に対して身を守ってくれるのは、
技術(火星)なのではないか。
自動ブレーキ、自動運転にも大きな期待をかけているゼファーなのです。
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