種を蒔くとき 2 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

一昨日の記事の続きです。

 

日々の出来事をホロスコープで追いかけていると、実に興味深いことがわかってきます。

たとえば、ある程度の長い時間を要する出来事の発端と終結の時期には、それなりの因果関係があることが多いのです。

 

火星で始まった事案が、同じ火星の帰着点と思われるところで終わったり解決したり。

ある問題の始まりと終わりが、同じ土星のアスペクトに関係していたり。

 

こういう事例を見ると、本当にホロスコープの示す暗示というのは、非常に神秘的なものだと感じます。

個人チャートの動きでも、同様のことはざらにあります。

 

特に多いのが、30年周期の法則です。

 

これはホロスコープの法則性から出てくる結論なので、プロならば理解できる話なのですが、あるハードアスペクトで重大な困難な状況に陥ったとしても、だいたい30年後くらいには解決するのです。

そうですね、全体の3割~4割くらいは。

 

逆パターンもあります。

すごく良い始まりのものAが、30年後くらいのBで非常に厳しい転換点を迎えるとか。

厳しい始まりが、30年後に一層激しい形をとったとか。

 

ただ、これは一番ありがちな一般論で、このA→Bへの受け渡しが、もう少し短い期間で行われることもよくあります。

事柄によっては30年を要しないことも多く、10年とか数年の単位で行われることもざらにあり得ます。

30年周期の法則は誰にも当てはまる汎用ルールで、それ以外のものは個人チャートの特徴に由来しています。

それは個人のチャートを見ないと、何とも言えないのですが。

 

はっきり言えるのは、その期間の長短にかかわらず、ある出来事の節目の時はホロスコープに現れているということ。

 

この節目の時というのは、つまり始まりの時、終わりの時、その間にある転換の時などです。

転換の時は複数ある場合があります。

 

これには30年周期、27年周期、12年周期、2~3年周期、1年周期、ひと月周期など、さまざまあります。

それぞれの周期の中にある転換期も考えたら、すごくたくさんあるわけなのですが、いずれのケースでもその節目の時の乗り越え方が重要になってきます。

 

そのときを誰かの恨みや憎しみ、あるいは自己否定。

そんなものの中で過ごすのか。

 

たとえば、やってきていた仕事があるとして、やはり方向転換しなければならなくなる時があります。

それまでのやり方ではお客さんに受け入れられないとか、よりステップアアップしなければ見えないものがるとか。

こういったときというのは、だいたい「節目の時」のいずれかに当たっていることが多く、私たちはそこで何を選択するのかということを、常に求められています。

 

 

愛ある選択か。

よろこびある選択か。

 

 

ホロスコープを学んでおらず、その時がいつなのかわからないとしても、じつはこれはさしたる問題ではありません。

なんというのか、空気というか流れというか、そんなものにちょっとだけ意識を向けていれば、気づけることが多いものです。

 

始まりと転換、そして終わりの時。

その時にこそ、私たちは新しい種を蒔くことができる。

次につながる何かを。

 

蒔いた種がより良いものであれば、当然それは次の節目でさらに良き芽となってくるでしょう。

あるサイクルが終わりを迎えても、そこまでの自分が育てたものが、また次の別なものを生み出していく。

 

ある種から、思いがけぬ喜びが生じてくることもあるでしょう。

 

 

一つ一つの時期を大切にし、一つ一つの出会いを尊重し

 

生きていけば

 

きっと明日はより良くなる。

 

そう思うのであります。

 

 

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