ヤオヨロズ23 第6章の4 |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

「二十人……たったそれだけなのか」その数を聞き、モルデは愕然と呻いた。
 すとんと、力なく腰を落とす。信じられない、というように視線が足元をさまよっている。その姿を誰よりも苦しげに見つめているのはエステルだった。
 二十人――それはエステルらと共に戦いを放棄し、ヤマトへ移民する手段を選ぶ者たちの数だった。カイやシモン、ヤコブらの水面下での活動で、その根回しは行われた。が、驚くほど同調者は少なかったのだ。それはそのままエステルの求心力がなくなってしまったことの証明だった。
「この短い間にヤイルはなぜここまで……」モルデはつぶやいた。
 沈黙があった。カイ、そしてシモンやヤコブには、思い当たることがあるようだった。スサノヲはそれに気づいていたが、ただエステルのほうを見つめていた。秋にトリカミの里に現れた彼女と同一人物とは思われないほど、エステルは弱くなっていた。まったく雰囲気が違うのだ。あのときの誇り高く、猛々しい王女のオーラは、今は微塵もない。傷ついた小動物のようだ。
「エステル」他に口火を切る者がいないと知り、スサノヲは言った。「何があった」
 声をかけられ、ただそれだけでエステルはぶるっと震えた。右手で自分の左腕をつかみ、そしてしばらく硬直していた。
「皆、聞いてくれ」やがてエステルは顔を歪め、血を吐くように言った。「軽蔑してくれても構わない。わたしは……怖くなったのだ」
「エステル様……」モルデは衝撃を受け、言葉を失った。
「あのカヤを滅ぼしたとき、憎しみに満ちた眼でわたしを見つめながら、舟で川を下って行く巫女がいた……。あのとき、わたしは本当は……自らの行いに寒気を覚えていた。あの眼が……忘れようとしても、どうしても忘れられぬ!」
 これまで封印していた想いが、最後には叫びとなって響いた。モルデ、そしてカーラなどの話をつなげるなら、それはヨサミというカヤの生き残りに違いなかった。
「あの巫女は叫んでいた。『お父様お母様』と……。それからしばらくして、あの男が……カガチがカヤを奪還しに来た。あの化け物のような男が……わたしは、あの巫女の怨念が、あの男となって現れたように思った」
 その認識もまた正しいのかもしれなかった。ヨサミはカガチの愛妾となっている。
「あのような怪物を……わたしは大陸でも見たことがなかった。鬼……カガチは本物の鬼だ……。恐ろしかった……どこまでも追いかけて、わたしのはらわたを食らうと言った。あのときの恐怖が今もこの身からは消えぬ……」
 エステルは一言一言を苦しげに紡ぎ出した。言葉を発するたびに、自らのプライドを自ら捨てて足で踏みにじるようなものだったろう。
「その後のことはカイやシモン、ヤコブらはよく知っている……。わたしがあの男に怯え、臆病になり、勇気を失ったことを……。わたしがそのような有様だ。兵たちの士気も下がるのは道理……。今、このようにカナンが追い詰められているのも、すべて、わたしのせいだ」
 スサノヲには想像ができた。カナンの民はもともと父権的な意識が非常に強く、神も〝父なる神〟である。女性が頭に立つことなど、ほとんどありえない民なのだ。それを可能ならしめていたのは、王家の血筋であったろうし、エフライムの存命中から非常に強い指導力を彼女が発揮してきたからだ。
 だが、その強い意志が彼女から失われてしまったとすれば――。
 カナンの民の忠誠は、たちまち脆くなったのではないだろうか。そして、そんなカナンの民が次に求めたのは……。
「そんなとき、ヤイルが神がかった……。突然のことだった。が、大水でカガチが率いる軍が滅びるというヤイルの予言は的中した。民たちはヤイルを自分たちに与えられた、あらたな予言者と信じた」
「そうして一気にヤイルの元へ信が集まったということか」
 スサノヲが呟いた後、すぐにカイが叫ぶように擁護した。
「エステル様はずっと、お体の具合も良くなかったのです! それもあってのことなのです。食事もあまり受け付けられず、弱っておられたのです!」
 それを聞き、スサノヲは眼を細め、エステルの姿をまじまじと見つめた。
「エステル……おまえは子を宿しているのではないか」
 え! と大きな驚きを発したのはモルデだった。が、カイらは内心では考えていたことのようで、過剰な反応はなかった。むしろエステルの顔色を窺っていた。
 自分の身体を抱きしめるようにしていたエステルは、やがてそっと自分の腹部に手を置いた。
「ほ……本当なのですか、エステル様」モルデは顎の関節が外れてしまったようになっていた。
「すまない、モルデ……キビから帰ってきたら話そうと思っていた」
「では、あのとき言われていたのは……」
 二人のやり取り、そしてカイらの様子からスサノヲは、それがモルデとの子なのだと知った。そして、ようやく疑念が氷解するのを感じた。
 エステルはかつての軍神のような女ではなくなっていた。
 母になっていたのだ。
 それが今の彼女に感じていた違和感の正体だったのだ。
「わたしは知った」モルデのことを見つめ返すエステルの眼にはうるんだものがあった。「子を宿し、初めて思ったのだ。この子が愛おしいと。この子を守りたいと。そうしたら、自分のことが怖くなった……。多くの者を殺めた自分のことが……。わたしは、あの鬼と変わらぬ……。殺してきた者たちにも、同じように母がおったろうに! あの巫女にも!」
 ぼたっ、ぼたっ、とエステルの涙が零れ落ち、足元で音を立てた。
「そう……だったのですか」
 人目を気にする思いもあっただろうが、モルデは近づき、エステルの肩に手を置いた。エステルもまた彼にしがみついた。そして嗚咽を漏らした。

 そうしてその日が暮れた。スサノヲはエステルの幕屋の一角に、モルデと共に臥所を与えられていた。
 月も没し、夜闇が濃くなった頃、モルデがやって来た。
「落ち着いたか」と、スサノヲは仰向けに寝たまま言った。
「まだ、起きていたのですか」音を忍ばせて入ってきたモルデが驚いたように言った。
「エステルは大丈夫か」
「ええ、もう落ち着かれました」そう言いながら、モルデが臥所に入る。
「この戦は収まらぬ」スサノヲは開いた眼を上に向けたまま言った。「もう滝の水のように流れ落ちて行くだけだ。志を同じくする者だけでも集め、おまえたちはヤマトを目指すべきだ」
「明日、同道する者に声をかけてみるつもりです。そして、明日の夜にでもここをひそかに抜け出す……」
「その後は? 半島に戻るのか」
「そうなるでしょう。半島に残ったカナンの民たちは多い。それを引き連れ、ヤマトを目指します。ただ……」
「ただ?」
「それで良いのかと、エステル様は悩んでおられます」
 スサノヲは半身を起こした。「どういうことだ?」
「これだけの戦乱を起こした責任を感じておられるのです。ここにいるカナンの民にも、そしてこの島国の民にも」
「…………」
「スサノヲ様は、今さら何を言うと思われるでしょう。しかし、俺も同じ気持ちです。このような状況で、自分たちだけが安全な場所へ脱げこむような卑怯なまねはできない。だから俺は残ります。エステル様は半島に避難していただくが……」
「エステルは納得すまい。おまえは腹の子の父なのだろう」
 沈黙は苦しげさえ思えた。
「あの分ではヤイルは決して矛を収めまい。カガチにしても同じだ」
「そうだ……スサノヲ様」思い出したようにモルデが言った。「あのカガチという男は、あなたの剣を持っていました。あのスサで、あなたが持っていた剣です」
「なに?」
「見間違えようがありません。あなたの剣は独特な形をしている」
「そういうことだったのか……」
 モルデも身を起こしていた。「あれはただの剣ではないのですね」
 スサノヲはうなずいた。
 あの剣は彼のエネルギーそのものである。天界から分かたれたスサノヲの大元の光の一部を、剣という形で結晶化させたものだ。ネの世界に降り立った直後だったからこそ、それが可能だったのだ。彼自身、まだすべて物質化していなかったような状況で、その一部を武器に変えたのだ。それが必要とされる状況だったがために。
「あれは当たり前の人間が持つのは危険すぎる代物だ」
「まさかカガチが鬼になったというのも……」
「たぶん剣の〝力〟のせい……」スサノヲは言葉を切り、小さく「シッ」と指を口に当てた。
 気配が動いていた。
 スサノヲは剣を取り、無音で立ち上がった。幕屋の外の篝火が爆ぜる音がする。そして風の音。それに混じって、金物が触れる音が聞こえ始めた。もちろんほんのわずかなものだが、そのときになってようやくモルデもはっとなり、剣を手にした。
 臥所を抜け出して行く。今や明瞭な殺気が彼らを押し包んでいた。
 幕屋の中の布がかすかに揺れた。と、次の瞬間、剣を振りかざした男が布を切り裂きながら突っ込んできた。スサノヲは抜刀し、その剣を弾き返した。
「モルデ! エステルのところへ行け!」
 おお、とモルデは雄叫びとも応えともつかぬ声を上げ、走り出した。
 敵は一人ではなかった。スサノヲは次々に現れる男たちの攻撃をかわし、受け、足で蹴っ飛ばした。吹っ飛ばされた男が転がり、二、三人の足をすくった。
 その隙にスサノヲもエステルの元へと走った。
 もっとも奥にあるエステルの臥所に辿り着くまでに、カイたちが襲われているのに遭遇する。すでにヤコブは喉を切り裂かれ。そこで絶命していた。カイとシモンも、上からのしかかられ、今まさに剣を突き立てられようとするところだった。
 スサノヲは剣を振りかざす男に肩から猛然と当たり、二人まとめて吹っ飛ばした。
「大丈夫か! 立て!」叫ぶ。
 寝こみを襲われてなす術もなかったカイらも、ようやく剣を手にして応戦する構えを見せた。そのとき戻ってきたモルデが叫んだ。
「エステル様の幕屋ぞ! 貴様ら、何をやっているのかわかっているのか!」
 彼はエステルを連れていた。モルデの言葉とエステルの姿は、彼らにわずかな怯みを作った。
「切り開くぞ!」
 言下にスサノヲは前に出た。後に続くカイたちには、スサノヲが何をやっているのか、ろくに見えなかっただろう。あまりにも動きが早く、彼が近づくたびに自動的に兵士たちがもんどりうって倒れて行くようにしか思えなかっただろう。脚で蹴り飛ばし、肘を入れ、剣の側面で打つ。
 幕屋を出た彼らが見たのは、そこに群がるカナンの民たちであった。
 皆、武装し、殺意をむき出しにしていた。
 その背後には、背高いヤイルの姿もあった。
「乱心したか、ヤイル!」モルデが叫んだ。
 ヤイルの顔に傲然とした笑いが浮かんだ。「乱心はどちらかな」
「なんだと」
「困りますな、エステル様。王家の血筋と思えばこそ、お立てしてまいりましたのに。この期に及んで、兵たちを連れて半島に戻るなど、愚の骨頂。勝利は目前だというのに、兵たちの士気が下がりまする」
 カイたちの工作が気取られていたのだった。いや、多く者に声をかければ、ヤイルに伝わらないはずはない。もともとその危険は冒しての工作だったのだ。しかし、よもやヤイルがエステルに剣を向けるとは、だれも想像していなかったのである。
 スサノヲは考えが浅かったことに気づかされていた。半島に残している民は、ヤイルにとって重要な財産だ。人としての資源なのだ。もしエステルがそれを根こそぎ奪い、ヤマトへ移住してしまったら……。
 その想定がヤイルを暴挙に走らせたのだ。
「神のご意志こそが絶対。それに背く者は、たとえ王であろうと罪は免れぬ。やれ!」
 ヤイルの号令と共に、雪崩を打って兵士たちは襲いかかってきた。
 その瞬間であった。エステルの蒼ざめた顔。モルデの叫び。カイやシモンの絶望。それらすべてがスサノヲの認識の中に飛び込んできて、一つ一つが鮮明な映像となって脳裏に焼き付いた。と同時、彼は悟っていた。
 ――守るためだ。
 裂帛の気合いと共に、スサノヲの剣が振るわれた。〝気〟が高潮のように迸り、押し寄せる兵たちを打ち据え、跳ね除けた。
「こっちだ!」スサノヲは叫び、再び剣圧で活路を開いた。
 モルデ、エステル、カイ、シモンらは崩れた囲みの一角を風のように走り抜けた。彼らを先に行かせると、スサノヲは自らがしんがりに回った。
 度肝を抜かれた兵士たちが態勢を立て直し、追いすがろうとする。それを彼は止めた。目まぐるしく襲い掛かってくる剣を、槍を。
「俺は守るためにここにいる!」息継ぎをする暇もないほどの攻防の中、スサノヲは叫んだ。「サルタヒコ! 俺は守ることに決めた!」
 ヤイルの号令で弓矢が放たれた。十を超える飛来する矢を、斜めに振り上げ、そして振り下ろす稲妻の如き太刀筋で薙ぎ払う。
「文句あるまい!」
 かつてない熱いものが滾るのを感じた。自らに与えられた力――スサノヲはそれが何のためにあるのかを知った。いや、自ら決めたのだ。
 その答えは彼を満足させるものだった。生きてここにある。そのたった今の意味。
 命の使い方。
 そんな言葉のピースが、バラバラに飛んできて、彼の中でぴったり枠の中に収まった。
 ――わたくしは決めてございます。
 ――そのようなことは自分で決めよ。
 彼の脳裏にクシナーダと母・イナザミの言葉がよみがえっていた。

「いよいよでございますな、サルタヒコ様」
 ウズメの言葉に、サルタヒコはうむとうなずいた。
 彼らは騒乱から離れた場所にある大きな松の梢にいた。そして、スサノヲの動きを見守っていた。俊敏な身のこなしは縦横無尽に変化し、敵の攻撃をことごとく退けた。
「まっこと、猛々しい踊りじゃ」と、ウズメが感嘆する。
「しかし、一人も殺しておらぬぞ」
 スサノヲはただ一人の敵も斬り捨ててはいなかった。巧妙な打撃を与えて、行動する力を奪っていく。
「面白きやつ……」ウズメはくすくす笑った。

 雪がまた降り始めていた。



ヤオヨロズ第一部(プロローグ~4章)、FC2ブログにおいて一括公開中。
 ↓
こちらが目次になります。


☆2015春・東京鑑定開催ビックリマーク
詳細はこちらへ。
3月1日24時受け付け締め切り。

鑑定依頼の方はこちらへどうぞ→<占星術鑑定に関して>
ほかで受付をすることはございませんので、ご注意くださいませ。

ポチしてくださると、とても励みになります。ありがとうございます。

人気ブログランキングへ