ヤオヨロズ 12 第3章の3 |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

 西の海峡ナガトを迂回し、大小さまざまな島々が美しく生み落されている内海を抜け、ようやく目的地にたどり着いたとき、アカルは驚きを感じた。
 コジマのわきを抜け、穴海にそそぐ川を遡り、港に到着して見た風景。
 その目の前に開けるキビの風景の明るさに驚きを感じたのだ。タジマとはまったく異なる豊かな広がりを持つ、ある種の包容力のようなものが土地にあった。タジマやイナバなどを陰とすれば、このキビには明瞭な陽の〝気〟がみなぎっていた。
 しかし、よく見れば、そんな豊かなキビの風景には、あちこちに毀(こぼ)れ落ちたような無残な部分があった。緑を失い、山肌を露出した、寒々とした山々。中には土砂崩れが起きたことをうかがわせるものもある。クロガネ作りの燃料のために乱伐した結果だということは想像がついた。
 衛兵たちに案内され、向かったのは巨大な山城だった。中心部のアゾの国から背後の山々へ分け入っていく。急こう配を昇る道もあり、肉体的に強いほうではないアカルは、何度も休まねばならなかった。途中には何カ所も攻め込んでくる敵に対して岩を落とす仕掛けがあり、要所には小さな砦に匹敵するような門も設けられていた。警備はとてつもなく厳重だった。
 難攻不落の山城といってもいいだろう。スケールが他の砦とはまったく異なる。
 カガチがやがて次なる本拠とすべく、この十年ほどをかけて造営してきたものだけのことはある。ようやく山の頂に出ると、峰の続きにカガチの居城が見えた。そこが最後の道のりだった。
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(復元された鬼ノ城の建造物と現総社付近の風景)
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 山城に辿り着くと、眼下にはキビの平野すべてを掌握できるような風景が広がっていた。その美しさに息を呑まされる。
「ようよう着いたか」
 カガチは上機嫌だった。若い娘をかわたらにはべらせ、昼から酒を呑み、軍議の最中だった。呑んではいるが、酔っている様子もない。
 彼の周辺にはそうそうたる顔触れがそろっていた。このキビの首長たち、巫女たちはもちろん、近隣の支配地から集めた軍勢の指揮官たちだった。その中に、ヤマトの巫女、イスズの顔もあることを知り、アカルはこれもまた驚きに打たれた。
 タジマとヤマトは昔から密接な関係にある。イスズとアカルはともに三十。同じ年に生まれた巫女であり、過去に幾度か面談を持ったこともあるし、意識の中では時折、通じ合っていた。彼女らは離れていても、時に応じては相手のことをわかることができた。
 しかし、イスズがこのキビに呼ばれることはあっても、よもやカガチに協力することはあるまいと思っていたのだ。カガチの強圧的な支配にやむなく組み込まれた形になっていたが、イスズのヤマトはこのキビのような絶対支配を受けるところまでは至っていなかったからだ。
 ――なぜ、イスズ様が。
 そう問いかけたい想いに駆られたが、当のイスズは目を伏せ、意識も閉ざしていた。
「遅くなりました。船旅をお許し下さり、ありがとうございます」と、アカルは礼の口上を述べた。
「おまえは体が弱いからな。タジマの軍はもはや準備が整っておろうな」
「ミカソ様と共にすでに大山(だいせん)の麓に集結しておりましょう」
「水軍は?」
「とうにイナサのあたりで待機しております。いつでも、中海(なかうみ)に攻め込めましょう」
「よかろう。これですべての駒が揃った――。コジマの水軍からも、明日にはイズモ沖へ到達するという連絡があった」
 ナツソが巫女としてあるキビのコジマの軍勢とは、アカルは途中ですれ違っていた。その時は、まだこの内海の範疇だったが、外海へ出れば、潮の流れに乗ってイズモ沖へ到達するのは早い。
「明後日は新月。これで予定通りのカナン攻略に打って出られる」そう言いながら、カガチはかたわらの娘を見た。「のう、ヨサミ。待ちに待った時じゃ」
 ヨサミと呼ばれた娘には隠しがたい巫女的な所作が見られた。が、カガチのそばにいる彼女は、カナン殲滅作戦の話を楽しむかのような表情で聞いていた。
「今日よりわれらもイズモへ向かって進軍する。同時に大山の麓からミカソの軍が侵攻する。カナンも馬鹿ではなかろう。おそらくわれらの動向に気づき、阻止しようと戦力を振り向けてくる。そこが付け目。東と南の防衛線を維持するので精いっぱいとなったカナンの背後を、タジマの水軍とコジマの水軍が突く。カナンどもは総崩れになるだろう」
 ふふ、とヨサミは笑った。少し神経的な笑いだった。
 カガチの用意した作戦は、イズモを中心として支配を拡大しようとするカナンを完全に包囲するものだった。
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 巫女たちは例外なく、この場に居合わせるだけで気分が悪くなるような想いに耐えていた。それはものすごい悪臭を発するもののそばに寄るのと同じだ。
 カガチは怨念的な〝力〟の集合体のようなものだった。彼がもともと潜在させていた憎悪と欲望が、今はとてつもない熾烈なレベルにまで高められていた。その影響のために、巫女たちは胸がむかつき、ひどい頭痛に襲われていた。彼女らがもともと持つべきヒビキと、カガチの発するヒビキは、まったく相容れぬものだからだ。清浄なる〝気〟が、悪しきおぞましい〝気〟で汚染されそうになる。
 アカルは必死になって自らを守らねばならなかった。ただ、この場にいるというだけでだ。自然と巫女たちは自らのまわりに「結界」を張り、カガチの〝気〟からの影響をかろうじて排していた。
 なぜこのようなことになってしまったのか。
 アカルは変貌を遂げてしまったカガチを前に、自問せずにはおれなかった。


 あの日からすべてが始まった――。
 カガチと出会った、あの日から。
 ――なぜ自分はあの男を助けてしまったのだろう。
 アカルは今に至るまでに、何十回何百回とそれを自問していた。その自問とともに蘇えって来るのは、十六年前の邂逅だった。
 アカルはもともとタジマ、タンゴあたりを支配する海族の巫女である。この海族の聖地がタンゴの沖合に浮かぶ冠島(かんむりじま)である。毎年一回、必ずその島で執り行われる儀式があり、当時巫女として立ったばかりのアカルは、生まれて初めてその島での祭祀を執り行った。
 そして帰還しようとしたその時、島の岩礁に打ち上げられた人影があることに気付いた。それがカガチだった。ぼろぼろの身なりで、生きているのが不思議なほど、痩せこけていた。
 冠島は神の島であり、基本的には無人島である。放置しておけば、死んでしまうのは明らかだった。アカルは伴の者に命じて、カガチを連れ帰った。
 カガチは翌日、意識を回復した。その知らせを受け、彼の様子を伺いに出向いたとき――。
 そう、そのときだったのだ。
 カガチはその眼を大きく見開き、しばらくアカルの顔を食い入るように見つめていた。信じられないものを目の当たりにしたという表情であり、彼の唇が何かをつぶやいて動いた。
「どうされました」
 アカルのその質問に、カガチは答えなかった。おそらくカガチは、アカルよりは二つか三つほど年上だった。アカルは当時、まだ十四。若い巫女の顔立ちの中に彼が見出したものがなんだったのか。今に至るも、その驚きの意味は伝えられていない。
 大陸を追われて逃げてきた。家族は皆、殺された。
 彼が言葉少なに語った事情に同情したアカルの父、タジマの首長が彼をみずからのもとで登用しようとしたとき、アカルは言い知れぬ胸騒ぎのようなものを感じた。それは明らかに巫女としての直観が、未来に抱かせた鋭い不安であり、警告だった。
 だが、アカルは父にそれをやめさせることができなかった。カガチと顔を合わせるたび、彼の眼の中にある憂愁の光が、初めて目と目を合わせたときの、あの彼の表情を思い出させたからだった。
 アカルの中に、何かを見出した。何かを必死に求めている。
 そんな若者の表情だ。
 カガチは製鉄の技術を持っていた。それだけではなく、非常に勇猛な男だった。年齢にしては体格も非常に大きく、その当時、ワカサで起きていた部族間の争いを、父の号令に従って見事に鎮圧してしまった。その功績を評価され、カガチはワカサ付近の国々を任されるようになり、そこを中心におもに北へ支配を広げた。その支配権の拡大は、しゃにむなものであり、カガチはみずからの国に「オロチ」という名を掲げた。
 タジマやイナバでは、タタラ場が次々に増産され、その鉄生産の〝力〟を背景に、カガチは支配を伸ばし続けた。カガチに協力的だったアカルの父も、この頃になると大きな懸念を抱くようになっていた。タジマがオロチの属国化しつつあったからだ。
 だが、その懸念を抱いたまま、父は病でこの世を去った。
 その瞬間に、タジマ・タンゴはカガチによって取り込まれてしまった。もはや彼に相対しうるほどの力の持ち主は存在せず、またたくまにカガチはホウキ(大山付近)あたりまでの領地を掌中にし、さらに鉄生産に拍車をかけ、その労働力を確保するために、オウミやヤマト、ヒメジなどへと手を伸ばし、そして最終的にキビをも支配下に収めて行った。
 この六、七年の間には、イズモに根強くあった勢力を排し、鉄資源の豊富なイズモに拡張しようとしていた。それがこの十六年の間に起きたことだ。
 彼にとって計算になかったのは、カナンの渡来であったろう。イズモ各地に建設していた新しいタタラ場の数々も奪われ、支配権はホウキあたりまで後退させられていた。
 カガチはそれを奪い返そうとしている。
 いや、カナンを完全に殲滅しようとしている。

 ――多くの者が死ぬだろう。
 アカルは暗雲が垂れ込めるような未来を見ていた。その下には、累々たる屍が横たわっている。それはもはや動かしがたい未来に思えた。
 今のこの事態、そしてこれからの未来。
 アカルはそのすべてに大きな責任があった。
 あのときの、カガチの瞳の中にあったもの。
 たったそれだけ。その一つのことだけが、なぜかアカルの心をつかんで離さないのだ。
 自分が冠島でカガチを助けさえしなければ。
 カガチを登用しようとした父に警告さえ与えていれば。

 今のすべてはなかった。

 カガチ軍は山城を出立した。
 アカルは他の巫女たちと共に、部隊の中ほどに用意された御輿(みこし)に乗せられた。御輿は二つ用意され、アカルはイスズ、ナツソと共に、もう一つの御輿にはアナト、シキ、イズミらが乗せられた。運んでいるのは、彼女らの国から徴用されている兵士だ。
 すぐそばを、一人の男が両手を背後で縛られた状態で歩かされていた。身に付けている衣類はぼろぼろで、あちこちに血が滲んでいた。黒髪黒眼だったが、どことなく異国人らしい容貌に見えた。
 歩くのが精いっぱいで、兵士に鞭打たれている。
「カナンの捕虜にございます」ナツソが言った。
 アカルやイスズが、その者を注視しているのに気づいてのことだった。
「たしか、モルデとかいいました」
「なぜ、あのような捕虜まで連れて行くのです?」アカルは尋ねた。
「わかりませぬ。ただ、あの者はカナンの捕虜の中でも、かなり地位の高いものと思われています。カガチはたぶん利用価値があると考えているのではないでしょうか」
「交渉に使うつもりでしょうか」
「おそらく違うでしょう」イスズが言った。「カガチはもっと邪悪な考えがあると思います」
「と仰いますと?」ナツソが訊いた。
「あの者からは、彼の愛する者への想いが溢れています。あの者はおそらく、カナンの姫君……たしかエステルといいましたか、その御方を愛しているのです」
 アカルは舌を巻いた。予知者として知られるイスズは読心にも長けている巫女だ。
「カガチはそれを知っているのか、あるいは読み取っているのです」
「読み取って?」
「カガチには以前になかった〝力〟を感じます。一つは彼が帯びている剣、もう一つはわたくしどもにも似た〝力〟です」
「それは……」ナツソの表情が曇った。「おそらく、ヨサミの〝力〟だと思います」
「あのカガチの隣にいる巫女ですね」
 イスズとナツソの会話から、アカルもその娘が巫女だという事実を知った。が、巫女というには、すでに……。
「ヨサミはカナンによって父母、カヤの国の同胞(はらから)を皆、殺されました。ヨサミは復讐のために、カガチにみずからのすべてを捧げたのです。ヨサミは読心もできますし、先視(さきみ)もできます」
「その〝力〟は、おそらく剣の〝力〟によって、何倍にも高められているのでしょう」
「イスズ様、カガチはなぜあのようになってしまったのでしょうか。以前より恐ろしいものを秘めた方でした。が、今のカガチはまさに鬼神そのもの……」
「あの剣がカガチを変えたのです」と言ったのは、アカルだった。「カガチが帯びている剣は難破船と共に漂着したもの。わたしたちが作っているような、クロガネの剣ではありませぬ。あれはたぶん、この世のものではない霊剣です」
「やりそうですか」イスズが言った。「フツノミタマの剣。そのような言葉が、ずっと降りてきていました。あれは荒ぶる神の剣です」
「カガチは……もともと大陸の戦乱の中で肉親を殺され、半島を小舟で脱出してきた者です」アカルはみずからの知りうることを話した。「カガチはこの十数年、支配を広げてきましたが、それはいつか肉親を殺した大陸の国家に復讐するため……」
「その怨念でヨサミとカガチは結びついたということでしょうか」と、ナツソ。
「おそらくそうでしょう」イスズが冷静に言った。「鬼というものは、人の欲が生み出すものです。多くは切実なものです。たとえば飢えです。腹を空かせ、食べたいと思う欲求。あるいは眠りたいとか、あるいは愛欲などもそうです。これらは人間の生理に沿ったもので、否定できないものです。カガチは半島を逃げ出してくるときに、多くの悲しみや憎しみと共に、生き抜きたい、という本質的な欲求を強く抱くようになっていたのでしょう」
「それは……わかります」アカルはうなずいた。「タジマへ来て以来、カガチはこの地で生きて行くため、必死であったと感じます」
「鬼は欲望そのもの。誰しも鬼を心の奥底に飼っているのです。カガチの場合は、復讐への欲求があまりに強く、それが彼の今までの行動であったことは、わたくしも感じています。たぶん、フツノミタマの剣の〝力〟が、彼の中の非常に強い憎しみや本質的な欲求を膨れ上がらせてしまったのでしょう」
「そして、カガチは鬼になった……」ぶるっと、ナツソは身を震わせた。
 キビの巫女たちは、最年長のアナトでさえ、イスズやアカルより年下だった。まだまだ少女らしい感性や未成熟なところを残していた。
 アカルは自分たちよりも年下で、しかし、すでにはるかに自分の精神(こころ)を凌駕している巫女には、ただ一人しか出会ったことがなかった。
 トリカミの里のクシナーダだった。出会ったのは六年ほど前で、クシナーダはまだ十歳ほどの少女だった。だが、そのときでさえ、すでに「かなわない」と感じた。
 ――あなたはお母さんよね。
 少女のクシナーダの声が、ふっと脳裏をよぎった。
「鬼となった者は、もはや救われないのでしょうか」と、ナツソが言った。
 イスズもアカルも沈黙していた。
 鬼が肉体に実体化するというのは、稀なことではあったが、現実にあった。単純に言えば、肉体は精神の実体化したものであるからだ。精神の力が物質化を遂げるほどになれば、それはあり得るのだ。
 しかし、一度、物質化して肉体と同化したものを切り離す術があるとは、とても思われなかった。
「そう……ですか」ナツソは悲しみをにじませ、御輿の床に手をついた。
「カガチが剣の〝力〟であのようになったとしても、それは本人が望んだ結果。なぜ、あなたがそのように悲しむのです」
「ヨサミがかわいそうで……カガチと一つになっています」ナツソの手の上に涙がこぼれ落ちた。
 イスズは黙って、そんなナツソを見ていた。
「イスズ様、お伺いしてもよろしいでしょうか」アカルは言った。
「なんでしょう」
「なぜ、イスズ様はこちらにいらっしゃったのです。このような殺伐とした場に」
「アカル様」イスズは切れ長の目を捕虜の男に向けながら言った。「わたくしには、果たさねばならぬ責があるのです」
「この争いに、イスズ様になんの責があると申されますか」
「あるのです」
 アカルは知った。自分がこの戦乱に大きな責任があると感じているのとは別な意味で、イスズもまた何らかの大きな役割を持たされてここへ駆けつけたことを。
 山深い峠が迫っていた。
 この山々の向こう側。そこにカナンの軍が展開している。

 その大戦乱の火ぶたが今、切って落とされようとしていた。


※この物語はフィクションです。

ノベライゼーション・ヤオヨロズを読まれる方へ
ヤオヨロズま~め知識
ヤオヨロズあらすじ&登場人物
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