火星の隠された場所 5 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

その日、紗与里は寝坊した。

 ハッ!!として目を開き、枕元の目覚まし時計を見た瞬間、さーっと血の気が引いた。

 隣の布団はもぬけの殻だった。

 扉を開け、階段を降りて行く。最後の二段で踏み外し、くるぶしのあたりをしたたかに打ち、
「いった――いビックリマーク
 と叫びながら、足を引きずりながら、それでもリビングに辿り着くと……

 不機嫌そうな母・希代子が、子供にご飯を食べさせている図が目に入った。

「お母さん、おはようラブラブ
 無邪気な息子の声。

「おはよう……」

「おはよう……むかっ
 最後の「おはよう」は、むろん母の声だ。
「おはやくないけどね」

 冷ややかな一言が付け加えられた。

「お、起こしてくれればいいのに」
 首をすくめながら紗与里は言った。

「起こしましたよ。三回も。目覚まし時計にスマホのアラームも入れたら、計五回、あなたは起こされています」

「や、やっぱり?」

「翔君のママはほんとにお寝坊さんだよねー」
 母は別人のような笑顔になって、溺愛している孫に話しかけた。

「だよねー」

「にちゃいの翔君はすぐ起きられるのに、にじゅうきゅうちゃいのママがお寝坊さんなんて、おかしいよねー」

「よねー」
 と、二歳になったばかりの翔が、かわいらしく小首を傾げながら同調する。

 かわいいだけに、怒りよりも涙しか出ない…(T_T)

 自己嫌悪にさいなまれつつ、洗面所で顔を洗い、歯を磨き、お化粧を……あー、もうする時間もないっビックリマーク 髪もぼさぼさだあビックリマーク

 とにかくポニーテールにして、まとめてしまおう。
 うん、そのほうが仕事もしやすい!(と自分を納得させる)

 服ビックリマーク あー、どれもこれもアイロンが当たっていない! どど、どうしよう。

 結局、先日通販で買ったプルオーバーと、昨日もはいていたジーパンでごまかすことにする。

「もう時間ないっビックリマーク 翔、行くよビックリマーク

 焦りまくって呼びかけながら玄関に行くと、すでに身支度を整えた翔が、にっこり笑って
「行くよラブラブ

 ……自己嫌悪がいや増す。

 翔を車に乗せて、保育園に連れて行き、元来た道を戻り、自宅に車を戻すと、今度は自転車で出勤する。

 勤め始めて四日目の、あの占い師の研究所へ。

 自転車を研究所と隣のビルの間へこじ入れ、扉を開ける。

 ジャスト9時。

 ほ――っと、深いため息が出る。

 那智は奥の給湯室から、自前のコーヒーカップを持って出てくるところだった。

「お、おはようございます……」

「おはよう」
 那智は眼を合わせながら言い、自分のデスクに腰を下ろした。

 紗与里も自分のデスクに着いたが、すでにこの時点でどっと疲れが押し寄せていた。

「今日の予約は何時からだっけ」
 と、那智が訊いてくる。

「あ、はい」
 慌て手帳を開く。この仕事のために百均で買った手帳だ。
「今日は午後からですね。13時の方が最初です。あとは20時の方が最後ですけど、それまではぶっ続けです。先生、大丈夫ですか?」

「なにが?」

「いや、だいたい、50分くらいずつの鑑定時間ですけど、これだと8人も連続で、ほとんど休憩する時間もありませんけど……」

「10件を越えなければ、べつに問題ないよ」

「これから予約を受けるときに、少し間に休憩時間を入れるようにしましょうか」

「問題ないと言ってる」

「あ、はい」

 まるでアンドロイドだ。
 占いをこなすマシーン。

 占いって、すごくスピリチュアルで、霊感とか水晶とか、タロットカードとか、なにかこう神秘的なイメージが強い。
 でも、この那智九郎は、そんな印象がまったくない。

 PCの画面を見て運勢をたんたんとクールに解説し、タロットも本当にマシーンのように読み取っていく。

 かといって、冷たいというのとも違う。

 たいていの来客者は、満足して帰っていく。来たとき暗かった顔も明るくなり、時には涙を流す者もいる。

 なかなかの占い師なのだということはわかるが、やっていることと、彼の雰囲気がまったく結びつかない。

 もうちょっと、情とか……そういうのがあっていいんじゃないの?

 言葉にすれば、そんな思いが漠然とある。


 紗与里は仕事に取り掛かった。
 その一方、むずむずと思っていた。

 化粧したい。

 翔を運ぶ車の中で、信号待ちの時間を使って半分くらいできたのだが、ちゃんと仕上がっていない。

 バッグの中にある化粧ポーチに手が伸びそうになるが、でも、仕事の取りかかったばかりで化粧し始めたら、感じが悪いだろうと思う。

 わたしって、女子力、最低だ。

 これじゃ、再婚なんて遠い話だ。

 おまけに母親力も最低だ。

 なんか、落ち込む……。


 ずどどど、と荒々しい足音が階上から駆け下りてきて、紗与里の思考を遮った。
 研究所のドアの前まで、稲妻のようにやってきたのは、猫のベガだった。

 彼女はドアの向こうを、丸い目で凝視していた。

 人影があり、ドアが開いた。

 あ……と、思わず声を上げた。

 それは先日の三崎刑事だった。

「悪いな、またちょっと……うわっと!」

 三崎が飛び退く。ベガが、ふわーっと牙をむき出したからだった。

 彼の背後から、一人の女性が姿を現した。

 ほれぼれするほどのパンツスーツの似合う、年齢は紗与里とそう変わらない女性だった。

 そして、ほれぼれするほど美しかった。


※この物語はフィクションです。

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