理由もわからず友達が離れてしまう。
好きになった人に嫌われてしまう。
いずれも、とても辛い出来事です。
ショックも大きい。
その理由が明確であれば、自分で納得することもできますが、はっきりしないときには、「なぜ? なぜ?」ということで悶々としてしまいます。
このような問題を考えるときには、まず次の二つのことを考えてみる必要があると思います。
一つはやはり現実面からの考察。
自分に非があれば、それをしっかりと見つめて、反省すること。
これは誰もがやっていることだと思うのですが、事態が発生したばかりだと気持ちも動揺していますし、ちゃんとその理由を客観的に考えることができないことも多い。
信頼できる人がいるならば、相談してみて、客観的な意見をもらうのも良いでしょう。
そうでない場合は、少し時間をおいて考えたほうがいいかもしれません。
ショックが甚大なものだと、一年も二年も、さらにもっとかかる場合もあるかもしれません。
どうしてもわからないとき、どうしても冷静になれないとき、無理やりにでも考えて答えを出せ、というのは酷な話です。
もしかしたら、そのために心のダメージがさらに深くなり、心身を害してしまうことだってあります。
そのようなケースでは、一時、棚上げするという知恵も役に立ちます。
客観的に考えることができるようになったときに、二つ目のことを考えてみる必要があります。
それは自分の問題なのか、それとも相手の問題なのか、とうことです。
何もかも自分の責に帰してしまうというのは、よくやってしまう作業です。
自分が悪いんだと思い込むほうが、いつまでも悩み続けるよりも楽なことがあるからです。
しかし、自分を悪者にしても、真の理由が見えていない場合は、悶々とした日々が続きます。
客観的に考えることができるようになれば、この段階は抜けることができます。
そのときには、起きた出来事は自分の問題だったのか、それとも相手の問題だったのか、あるいはそれがどの程度の比率だったのか、というようなことも考えられるようになります。
人間というのはとても複雑な生き物です。
たとば自分には落ち度がなくても、ただ相手から妬まれて、去られてしまうといことも、よくある話なのです。
自分は普通にしていた。もしかすると、そこに周囲への配慮が少しばかり欠けていたところはあったかもしれないけれど、たとえば努力が認められて出世したとか、良い縁を得て結婚したとか、そのようなことは誰にもあることです。
そのような状況が発生したときに、かりに嫉妬されて離れられるということが起きたとしても、それは自分の責というよりは、これははっきり「相手の問題」なのです。
その人が自分が解決する、乗り越えるべき問題です。
交通事故が起きたとき、よく6・4とか10・0とか、運転者の責任比率のことが言われます。
そこまで明瞭に分けられるものではないにせよ、自分の問題と相手の問題、双方のことを考えてみるべきです。
ちゃんと、冷静に。
なにもかも自分が悪いんだと思い込もうとすることは、この次へなんのメリットももたらしません。
なぜかというと、この冷静な判断ができて、はじめてちゃんと自分のことも反省できるからです。
たとえば会社の仕事で大きなミスが起き、大きな損失が生じたとします。
自分がその仕事の一部に関わっていたとして、もし上司から、「お前がすべて悪い。責任を取れ」と言われて納得できるでしょうか?
自分は一部しか携わっていない。GOサインを出した上司とか、もっとメインで動いていた人間がなんの責も問われず、ただ自分だけが悪者にされてしまったら?
とても納得できませんよね。
他人からこうした理不尽を受けると、人間、怒りますが、自分で自分を糾弾する時には、なぜかまるごと引き受けてしまおうとしがちです。
でも、それは真実ではないので、心の中であなたの一部が叫びます。
「違う。そんなことない!」
このような状態では、ちゃんとした反省はできません。
ただ自分を貶めているだけです。
ちゃんと理性的に考え、判断することは、とても大事です。
悔やみ、反省すべきことは反省し、もし謝れるものであれば、ちゃんと謝罪もしたほうが、すっきりします。
それができないケースもあるでしょうし、意外に「相手の問題」であることも、世の中には多いのです。
というよりも、このようなケースが最近増えてきたように思われます。
このような出来事は、出来れば起きてはほしくない。
皆さん、そう思われます。
でもね。
じつは。
こういった出来事にも、ちゃんとしたお役目があるのです。
それはあなたを強くするために起きるのかもしれないし、もっと用心させるために起きるのかもしれないし、もっと思いやりを持たせるために起きるのかもしれません、
チャート上に生じるハードアスペクト。
それは人間関係の破綻や喪失を表示する場合もあります。
そのハードアスペクトが表示するだけの運勢。
じつはその人は、その運勢を持って行ってくれていると見ることも可能なのです。
その人が去るという行為を行ってくれなければ、そのハードアスペクトはもっと別な大事なものを持っていったかもしれない。
もし100%相手の問題だとしても、あなたを悩ませて苦しめるかもしれないけれど、そのときのあなたを助けるために去る、という真実も裏側にあったりします(個人の動機は別にして)。
その視点に立てたとき。
本当の意味で悪い人はこの世にいない。
本当に憎むべき人もいない。
相手も。自分も含めて。
そういう光が目の前に開けてきます。
※ この記事は一般的で常識的な人間関係について書いたものです。/font>
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