運命の人と出会っていますか? |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

以下の記事は、個人の人間関係の常識的な範疇でのことという前提で書いております。
常識を超えた自然災害とか、凶悪犯罪とか、そのような出来事にも適応するものではありませんので、ご了承ください。



運命の人と出会っていますか?

この質問、ひじょーによく受けます。
本当によく受けます。

お気持ちはすごくよくわかります。

望んでいるのに、まだ共に生きるパートナーを得られていない方にとっては、早くお相手を見つけたいというのは、当たり前の想いだと思います。
出会っているかどうか、というのは、その判断のための材料なのですが……

じつはこの問題ビックリマーク
非常に微妙な問題を秘めています。

そもそも「運命の人」とはなんなのか?

「わたし、運命の人と出会ってますか? それともこれから出会いますか?」という質問を発する方の頭の中での「運命の人」は、きっと次のようなイメージでの問いかけだと思うんですよね。

結婚して、添い遂げる相手。
幸せになれる相手。


それが運命の人だというような意識での問いかけだと思うんですね。

ところが。

魂の計画は多様です。
たとえば、あなたが一度は離婚という辛い経験をしようという計画を持っていた場合はどうでしょうか?
自分を大事にする、そんなことを学ぶための計画かもしれません。

その場合、最初の結婚相手とは離婚が運命づけられているわけですが、この人物はあなたにとっては「運命の人」ではないのでしょうか?

いや、この人こそ運命の人です。
この人との出会いと別れこそ、大きな意味があるわけですよね。
それがあればこそ、次の人との出会いや幸せも得られるように計画されているかもしれません。

つまりこの第一の人とまだ出会っていなかったとしても、あるいは出会っていたとしても、この第一の人は「運命の人」リストからは絶対にはずせません。

もし、あくまでも「結婚して幸せになって、添い遂げる人」でないといけないという固定観念で、運命の人と出会っているかどうかということを問題にした場合。

この第一の人は否定されてしまいます。

が、この第一の人との学びを抜きにして、第二の人との幸福も存在しないわけで、それをもし回避してしまったら、第二の人は永遠に現れないということすら考えられるわけです。

よく不運な出来事を回避したいということに血道を上げる人がいらっしゃるのですが、私はじつはこの考え方には根本的な疑念を抱きます。

悪いことに遭遇したくないというのは、人としてはよくわかるのですが、もし回避し続けたら、その人はなんにも成長しないのです。

苦労、試練、逆境。
それこそが人を育て、強くするからです。あるいは優しくさえします。

つまり人には体験しなければならない苦労や課題が、かならずあるのです。


その多くは、やはり人間関係の中にあり、夫婦とか、あるいはそれに匹敵するような濃い恋愛関係の中に仕掛けられていることは、とても多い。

その意味では、結婚などしなくても、「運命の人」は存在しています。


課題をクリアする以前に、一足飛びに、本命のもとへ到達しようとするのは、時に大きな過ちを生みます。

成長しきれないまま、その人に出会ってしまったのでは、自分もその人も幸せになれないかもしれません。

また離婚などの経験はせずとも、結婚相手との間に様々な課題を抱えながらも添い遂げることが、今回の人生の計画だというケースもあり得ます。

相手が浮気などの問題行動を起こし、悩ませ続けられる。

自分のことはまったく何も考えてくれない。

こんな人は、自分の運命の人じゃない! と思いたくもなります。

でも、誰かと結ばれるというのには、絶対にそれなりの意味があります。

どんなに理不尽に思えても、意味のない結びつきはこの世で生じません。

その人との間でなければ学べないこともあるし、またもしかするとその人との間に何らかの果たさねばならない宿縁があるのかもしれません。

その相手もまた運命の人だということにもなります。

結果がうまく行くかどうかというのは、じつは運命の人かどうかの判断基準にはならないのです。


人が結婚するということを前提に魂の計画を立てていた場合。

その場合は、しかるべき時に必ずそれとわかる相手が出現します。

わからないまでも、そのような成り行きになっているはずです。


私が申し上げたいのは、「運命の人」と出会っているかどうかなど、じつは取りに足らない問題で、そのことにこだわればむしろ事態を曲げてしまう可能性がある、ということ。

出会っているという結論が出たら、今周囲にいる人間を、目を皿のようにして探すようになるかもしれません。
それは逆に、その人との自然な接近や良い人間関係の構築を阻害するかもしれません。



この種のご質問をよく受けることが多いので、書かせていただきました。

すでに出会っているかどうかなど、たぶん、知らないほうが良い。

そのほうが自然に、なるような事態になります。


個人の思惑通りにならないようでいて、じつはその人の思い描いたプランが実現して行くのが人生です。

運命の人は、そんな個人の思惑を超えた魂の計画の中に存在しています。





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