感謝の反対は?(禅問答) |  ZEPHYR

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昨日は、我が家の法事でした。
とにかくこのところ毎月、法事です(^_^;)

父の三回忌、それから少し遅れですが、祖母の十三回忌を合わせて。


いつもいつもいつも思うのですが。

こういうときに普段から家をきれいにしておけばな~~~

大勢の人を受け入れるため、リビングと祭壇を設ける和室の大掃除。

これだけでも大変ビックリマーク

結局、昨日の朝までかかっていろいろ片付けしていました。

やがて近隣の親戚筋の人が到着されると……。


いうまでもないのですが、性格のきついリブラ様。

警戒心フルパワー。

また、やめときゃいいのに、兄がリブラにちょっかいをかけ、リブラは気が立ってしまいました。
触れればひっかくぞ、みたいな。

そのあおりを食らって、近所のおばあさんが、足に爪を立てられてしまいました。
(すみませんあせる

放置しておいてくれたら、リブラもそんなに戦闘モードにはならなかったんですが(実際、昨年の一周忌ではそんなこともなかった)。


それ以外は、法要は滞りなく終了。

我が家は臨済宗(禅宗の一派)なのですが、たいてい法要が終わるとお寺の住職さんから、ありがたいお話があります。

そのときに

「なぞなぞを出します」と。

「感謝の反対はなんでしょうか」というもの。

感謝の反対語を、私はぼんやり考えていて、「忘恩かな~」とか思っていたのですが、正解は


当たり前です」と、にっこり笑ってご住職。

なるほど。反対語じゃなくて、反対のありようだったんだ、と思い至りました。

自分も似たようなこと、ブログいかいている割にお恥ずかしい汗

ご住職は体を悪くされていて、歩行も自力だけでは危ういところもあり、

「普通に一歩が歩けること、足が前に出せて、重心が移動できる。こんなことは当たり前ですが、それがただ当たり前になっているのが感謝の反対。うまくできなくなって、ふつうであることも感謝できるというわけです」

にこにこと、そんなお話をされました。

どん底を味わったからこそ、今の普通の暮らしができること、極端に言えばただ生かされていることに感謝できる。

私もそんな軌跡をたどってきました。

普通の生活に慣れてしまうと、当たり前に生きられることに感謝できなくなる。

本当にそうだよな~と、しみじみ思いました。


その後、お墓で供養を行い、ご住職は次のお弔いがあるとかでお寺へ。

私たちは先日行った、児島の「ふじ田」という和食で法要後の会食を行いました。


誰もいなくなった我が家。

気が立っていて、しかも放置されたリブラのご機嫌はいかがかな~と思っていると……





なんと、お坊さんが座っていた座布団で、寝ていました。
「ニャンだよ? 文句あるの?」みたいな感じで。




とりあえず気に入っているみたいで、昨夜はずっとそこで眠っておりました。



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