金星をより輝かせて、楽しい人生を |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

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生きていて楽しいかと問われたら、そりゃあ、楽しい……。

手放しで何でもかんでも楽しいというわけでは、もちろんありません。

全体的、これまでの51年ちょっとの人生をざっくり眺めて、そのうえで今生きているのが楽しいかということなら、それは楽しいと感じています。

今は特に、日々を充実して過ごしているので、楽しい感は強いです。


しかし、それは過去の死線をくぐり抜けるような体験があってこそでもあります。

「ああ、もうダメかな」とか「限界だろうな」というところまで行った経験をする前と後では、「楽しい」と感じる数や度合いが違っているからです。

言ってしまえば、昔の私は好きなバイクなどに乗って、思い通りの仕事ができることが楽しかった。

もっと前のことを言えば、大学生のころとか、パチンコなんかの遊興に時間を潰していたこともあります。
パチンコが玉があるところに入って、じゃんじゃん、玉が出てくるのがうれしいとか楽しいかと、そんな喜びにうつつを抜けしていたわけですが……

実際、こういうのはただのごまかしでしかありません。

その場しのぎの一時的な快楽ですね。

息子と一緒にカードゲームにはまって、レアカードを引き当てると楽しかったりとか。

これもある意味、近いです(このゲームは息子とのコミュニケーションの役には立ったことが確かです)。

ただ、こういったものが現状では、まったく楽しくない……。


ずっと昔からそうなのですが、これらのお遊びや喜びは、本質的に楽しいことではなかったように思います。
錯覚だったのです。

パチンコに勝ったからと言って、心には何も残らないわけで。


中学時代に夢中になって読んだ推理小説の数々とその後のSF、そして自分も書くようになって、その物語を創出するときの、一種の法悦感。
高校時代から研究に本腰を入れ始めた占星術と、その神秘的な謎が解き明かされていくときの喜び。

こういったものが、自分にとっては本当に深い喜びをもたらすもので、楽しいと実感できるものでした。

人間だれでも、わりかし日常的で刹那的な楽しみと、本当に深い楽しみの両方を持っていておかしくありません。

私はこの両方を否定はしません。
むしろ両方あるべきとさえ思います。
でないと、本質的に楽しいことも、息苦しくなってくるかもしれません。

今でも、またバイクに乗りたいなあ、とか、よく考えますし。
それは刹那的な楽しみ、自己満足でしかないのですが、自分にとっては意味のあるもの(さすがにパチンコみたいな遊興には、さっぱり関心がなくなってしまいましたが)。

しかし、こういうことはどっちかというと、枝葉末節に過ぎないかもしれません。

前述の死線を潜り抜けたとき。

私には過去、大きく言えば三度、大変な逆境がありました。

この三つを通過した後、もっと広い意味で、もっと本質的な意味で、人生を楽しいと感じることができるようになりました。

たとえば経済的にも非常に厳しい時期を長く過ごせば、当たり前に生活ができるということ自体、喜びに変わります。

前は何も感じなかった日常が過ごせること自体が、宝物になっていったとき、本当の意味では人生は豊かになる。

やっている仕事も大事なものに変わってくる。


そう感じることができるコンディションというのは、やはり心がもたらすもの。


占星術で楽しいという感覚につながりやすいのは、なんといっても金星が挙げられます。

金星は愛やお金というだけでなく、星そのものの中に喜びという力があります。

ところが、この金星の効力をルーズに味わってしまうと、「楽しいことだけしていたい」「苦しいのはいや」というような、安易な生活に結びつく可能性もあります。

さぼりがち、学業の中退、ゲームばかりしている、友達と遊びまわってばかりいる。

こういった事例には、金星の享楽的な面が、鍛えられることなく発揮されている場合があります。

金星のような楽しい星でさえ、鍛えられてこそ本当に輝く。

楽しい人生は、金星と無縁ではありません。

でも、そのためにはやはり、金星を使いこなせる心のコンディションになるということも、関係しているように思います。




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