幸せについて、ちょっと考えてみる 2 |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日の記事を読まれて、すでに「ちょっと待て、それって本当に幸せなのか」と突っ込みたくなった人もいるでしょう。

たとえば妻や子を威嚇して自分の思い通りにさせる。
どんなに周囲の迷惑になってもやりたいことをやって、意に沿わないするべきことはしない。

そうなんです。
実際、これをやっている人は、じつはあまり幸せではないのです。

結局人間は、たった一人では生きていけません。
孤島で自給自足生活するのなら別ですが、99.99%の人は他人と共存しています。

人の迷惑になったり、不快や不都合を与えたりしても、自分が心地よいからという理由で、
そのことをやり続けたら、だいたいにおいて周囲は離れます。
自分が幸せになりたいという言動が原因で、結果的に周囲からは距離を取られ、心を通わせることもなくなり、幸せな状態ではなくなっていきます。

つまりこの彼の幸せを得ようとする「やり方」が、彼自身を幸せなくしてしまうのです。
あるいは彼のその望みそのものが、すでに他人を侵害するものであるのかもしれません(世界征服が自分の幸せだということになったら、これは周囲すべてに迷惑です)。


「幸せ」という言葉はあやふやなものです。
昨日は時代や国によってもその感じ方はまったく違うということを書きましたが、個人によってもまったく違う。
しかし、こうしてよくよく考えてみると、他人や環境を切り離しての「幸せ」はないことがわかります。

ゲームを一日中やり続けたいという男性の幸せ。
これは彼のその行為を非難する存在が周囲に存在しない限り、「個人の幸せ」として成立します。
麻雀やパチンコを毎日やりたい人。
これもいくら負けても財源があり、それを非難する人間がいない限り、誰の迷惑にもならない。いや、むしろパチンコ屋にとっては利益になるから喜ぶ(だいたい、一般的にはパチンコは勝てないものです。もしお客が勝てるのであれば、パチンコ屋は営業自体できない。従業員も雇えないし、新台も入れることができないはず=全体で見たときには、かならず客は負けるようにできている)。

しかし、自分がいい思いをしていたいからという理由で、妻子を暴力でしたがわせるとか、毎日酒を飲んでいたという理由でろくな収入もないのに家計を破綻させるとか、これらのご本人の「幸せ」はあきらかにまわりの人間の「幸せ」を破壊しています。

「そんなのは本当の幸せじゃない。それは言葉としては、単なる『欲望』なんじゃないか」
このようなご意見があるとしたら、私も「そうだ」と思います。
ただ、結婚して幸せになりたいというのも、欲望ですよね?
平凡な生活でいい、平穏な暮らしがしていきたい、というのも欲望です。
暴力夫やギャンブル狂夫、アル中夫のように露骨でないだけです。

私が申し上げたいのは、人の本当の幸せとは、バランスシートに乗っているということです。

たとえば自分の幸せのために人の幸せを破壊する人は、結果的に幸せにはなれません。
これは上記のケースなど実例を見れば、火を見るより明らかでしょう。
多くの人に迷惑をかけ、多くの人を不幸にすれば、その分だけ本人の幸せも削られ、結果的にはマイナス、大赤字になっているはずです。

しかし、幸せはこのバランスシートに乗っているのだということを理解できれば、じつはその裏返しもあるのだということが見えてきます。
つまり人を幸せにすれば、自分もその分、かならず幸せになれるのだということです。

この仕事をしていると、よく「自分は幸せになりたいだけ! 普通でいいの! 普通の幸せがほしいのに、どうしてあたしは手に入らないの!」というような心の叫びを聞くことがあります。
この法則だけが万能の特効薬とは思いませんが、まだ幸せを得られていないと感じられる人は、まず周囲の人を幸せにする努力をしてみることをお勧めします。

友人や家族、あるいは仕事場の同僚。
惜しみなく、あなたの善意で。

「いや、自分はそれ、やってきたよ! やってきたけど、いつも損ばかりなんだ!」
と言われる方もいらっしゃると思います。

しかし、もし人の幸せのために動く行動が、打算によるものなら、それは周囲に伝わることも多いですし、打算でなくとも、そのようにすることが、自分の喜びでなかったら、自分で自分を苦しめることになります。
たとえば友人の結婚の仲立ちをしてあげた。友人は幸せになった。
それを祝福する一方で、心の中で悔しさや、いや増す孤独に支配されてしまったら、せっかくのプラスの計上も、自分で掻き落としてしまうようなものです。

こうすればきっと自分も……とか、あれこれ打算は考えず。
パッと思いついた瞬間にしてあげられることはしてあげることです。
そして、人の幸せを心から祝福してあげてください。

当たり前の話ですが、人の幸せのために動ける人は、まわりの人間が放っておきません。
「あの人、いい人だよな」と思ってくれます。
当たり前の話ですが、そんな女性がそばにいたら魅力に気づく男性もいますし、いなければどこかから出てきます。

そんな態度で働いているのを認めたら、経営者は昇給やポストを与えてくれるかもしれません。人からも信頼を得られます。

じつは当たり前のこと。
でも、忘れがちです。

とくにたった今、孤独で不安で不幸せだと感じている人ほど、心に余裕がない。
だから、自分のところに幸せをかき集めようとばかりする。
なんとかして、必死で。

でも、それをする前に、今の自分を客観視してみることです。
自分は誰かの役に立っているか、誰かを喜ばせているか、誰かを幸せにしているか。

なんのことはないのですが、私もこの事実を理屈ではなく、実感として持てるようになったのは、かなり年齢が上がってからです。
だからこそ、誰かの目に留まればいいと思い、この記事を書きました。



このブログの執筆者であるzephyrが、占星術鑑定の窓口を設けているのはFC2ブログにある<占星術鑑定に関して>の記事のみです。