「煙が目にしみる」を観劇 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
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 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日は大阪からわざわざ鑑定を受けに来られる方がいて、岡山市内に出向きました。

県外から来られた方なので、かなりの時間を費やし、多くの鑑定を行いました。


その後、市内のルネスホールで公演される「彷徨者天国」の「煙が目にしみる」を観に行きました。

ちなみにルネスホールというのは、旧中国銀行(岡山に本店がある地元の銀行です)の建物を改装したもので、外観も石造りっぽい重厚な外観の建物で、それなりの雰囲気があります。

まだ時間があったので、久々に近くの商店街を歩いてみたのですが。

暑い。
まあ、仕方ないけど。

大学時代に岡山の商店街などは、主に本屋が目的でよく歩いたものですが、その当時に比べると商店街もシャッターの下りたままの店などが目立ち、ちとさびしい。

今どきは大型の量販店ばかり進出してくるので、やはり難しいんだろうなあ。

こういう場所って、もう少しトータルで何かを打ち出すとかしないと……きっと努力はされてると思うんだけど。


歩き回って汗をかき、観劇前に喉を潤したかったので、ホール内の喫茶室に行くと、すでに娘がお茶をしている……。
ほかにもミュージカルに出演してくれる女子高生がお母さんと一緒にお茶していました。


「煙が目にしみる」

ミュージカルに出現くださっている何人かの方も出演されるこの芝居。

お葬式コメディーです。

亡くなった二人の男性(幽霊で登場する)。

それを取り巻く人々。

彼らが繰り広げ、ひも解いていく、笑いあり、涙ありの物語。

結構、たばこを吸うシーンがあるのですが、その煙と斎場の煙。

それぞれの目に映るもの。

いい台本(ほん)だなあと思いました。


あれだけ笑いを取りながら、ちゃんとそれぞれの人物像を浮き立たせているのですから。


一方で、芝居を観ながら思ったのは、自分も「死」について考える年齢になったなということ。

人間いつかは死ぬんだけど、「死に方」も大事だなと。

病死とか老衰死とか、事故死とか、そんな表面的な形ではなく、死んだときにその人の人間像が浮かび上がってくる、その死に方。

周囲の人たちとの間に浮かび上がってくるんだけど。

それは結局、「生き方」にかかわっているということ。





さ、自分も台本の書き直ししなくっちゃ。