ボイドタイムの対処法 |  ZEPHYR

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 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

これは一応、「現時点での」私のボイドへの対処法と考え方とお考えください。

つまり先になったら変わる可能性、何か画期的な方法を発見する可能性はあるということです。
しかし、かなり突き詰めたことを考えているので、参考にしていただける方は多いと思います。

とくに、今まで何度も仕事が続かなかったとか、開業したがうまく行かなかったとか、結婚に失敗したとか(とくに何度も)。
これらのことには、「その人個人のホロスコープ」に原因があります。
それなりの運勢が潜んでいるものです。

しかし、個人の運勢と全体的な運勢も、どこかでシンクロしている可能性はあります。
そもそもボイドの周期性、成り立ちなどを考えて見るとわかってくることがあります。

とりあえずボイドタイムは、「万人に発生するもの」です。
影響は個人差があり、それを強く受ける人、あまり苦にしない人がいるというのは、過去の記事にも書きました。

どちらかというと、突発的な事態にも対処できる人、柔軟性を持っている人は、このボイド・ショックが緩和されるはずです。

そういう意味では、柔軟宮の方(双子座、乙女座、射手座、魚座)は、変化に対応しやすいので、ボイドへの免疫がある程度備わっているといえますが、12星座の区分であっさり結論を出せるほど、占星術は単純なものではありません。
柔軟宮の星座の生まれでも、がちがちに頭の固い人、頑固な人はいます。

この点はご自分で判断ください。
予想もしていなかった突発時に、フリーズしてしまう性格なのか、一度決めたことはかたくなにやり通そうとする人なのか、それとも機転を利かせられる性質なのか。

すぐに物事の変更ができる人間のほうがよい、というわけではなく、ことボイドに対しては対応しやすいというだけのことです。
なぜならボイドでは思わぬ出来事が発生しやすくなるからです。

ただ。
柔軟宮の特質は、「変化」「変動」です。
対応能力が高い代わりに、安定性には欠けるのです。

つまり大局的に見たときには、このようなことも言える。

柔軟宮的な資質は、ボイドにシンクロしやすい。

つまり、たとえば仕事が安定せず、長続きせず、いろいろと変化が起きやすい人は、この柔軟宮的な生き方をしているわけです(前述のように、必ずしも生まれ星座のことを指しません)。

もしかすると、この安定しない生き方は、わざわざボイドタイムに、いろいろと重大な決定を下している、ということにもつながると思われます。

そもそも、なぜボイドのようなものが、かくも頻繁に発生するようになっているのか?

私は大きな視野では、この世の中、そうそう思い通りに運ぶようにはなってないんだよ、という一種のバランスを取る力が働いているように思います。

つまりボイドも無意味に存在していない。
もしこれが存在していなければ、世の中には計画通りに進むことがはるかに増えるわけです。

それはおそらく、この世に生まれてきた私たちの学びのためにならない。

総量として考えたとき、うまく行くこととうまく行かないこと。
これは半々か、あるいは三分の二と三分の一くらいの割合で、釣り合いが取れるようになっていると考えられます。

何事もうまく行くのであれば、魂はこの世に生まれてくる意味もないわけで、「生まれました」「計画通り全部成功しました」「そう、よかったね」では、生まれてくる意味もないわけです。

魂がこの世に生まれるのは、あえて難しいことにチャレンジするためで、予定通りの人生を生きるためではありません。

だからこそ、ボイドタイムのような罠が、日常的に仕掛けられている。

というようなことを考えたら、人生上でうまく行かない、長続きしない、そんなことを繰り返している人は、気づいていないだけで、このボイドタイムの地雷を次々に踏んでいるかもしれないのです。

その地雷を踏む確率が高いのは、やはり柔軟宮とか海王星のような物事を不安定にする力の影響を受けている人である可能性が、必然的に高くなります。

繰り返して申しますが、柔軟宮の生まれの人が運勢的に悪いわけではないのですよ。いいですね?

変化が多く起こす柔軟宮は、その性質上、ボイドにかかわる確率も高まるだろう、というような見方なのです。

とすれば、就職とか、その後の仕事上の決定、結婚とか、そういった重要な出来事に関して、ボイドを避ければいいということにもなってきます。



これは、コロンブスの卵みたいなものです。

ボイドさえ避ければ、結婚がうまく行くとか、それはまた違ってきます。

しかし、いつもい仕事が続かないとか、いつもやろうとすることは成果を出せない、という人。

ボイドのカレンダーを認識して、ボイドの間に決定を行わない、ということも、もしかすると人生をうまく転ばす一助になる可能性があります。


一般に、ボイドタイムでも日常的なことはOKと言われています。

私がボイドタイムに車検に出したのは、私にとっては珍しい体験ですが(二年に一度です、一台の車に対して)、車検整備を行う人にとっては「日常業務」です。

この人たちは毎日毎日、車を整備していて、ボイドだからといって手を休めるわけにはいきません。
またボイドタイムに整備をしたら失敗してしまう、とかいうものでもない(確かにちょっと可能性は高まりますし、私のケースのように書類上、認識上のミスなども起きやすくはなる)。

つまりボイドであっても、過大に意識する必要はありません。
毎日していることはしてよい。

ボイドが無効化に働き、問題を起こしやすいのは、「新しいこと」「普段しないようなこと」なのです。

つまりそこさえ、抑えておけば、ボイドとうまく付き合っていくことができます。


ところで、私が現在、仕事上、このボイドとどのように向き合っているか?

参考までに。

例えば人との鑑定をボイドの最中に行うことは、今のところは避けるようにしています。

ただ、ボイドだからといってホロコープの解読能力が落ちるわけではないようです(これには個人差があると思います)。
タロットもボイドであっても、ちゃんと答えは出してくれるようです。

これはこういった作業が、すでに私には「日常」だからです。

たとえば毎日、みなさんも働きに出ていると思いますが、ボイドでは確かにミスは増えるだろうし、情報の行き違いや誤解も増えます。
その危険性はありますが、自分がちゃんと認識していれば、日常の中でのボイドくらい、対応できます。
毎日やっている業務。
たとえば、レストランで働いているとか、そのような仕事を毎日している人が、ではボイドタイムになったらとたんに料理を落としたり、お客に紅茶をぶっかけたり、職場の人間関係を損なうかというと、そんなことはほとんどありません。

いつもやっていること、いつもの人間関係、そういったものは普段の自分が積み上げているもので、ボイドのためにいきなり壊れたりしないものです。

売れっ子の小説家は毎日原稿を書いているわけですが、ボイドタイムを気にして執筆しなかったら間に合わない事態も多くあるでしょう。

ボイドで書いた文章は駄文になるのか? 何か後で書き直さないといけないような間違いを、かならずしてしまうのか?
これも違います。

だから、いつもやっていることは、ボイドでもそのまま業務を続けていけばいいし、ちょっとだけ心の隅に心構えだけ持っていればOK。

では、なぜ私がボイド中に鑑定をしないのか?

私には日常でも、相手の方はめったにない出来事であることが多い。

つまり相談者の方がボイドの影響を受けてしまうからです。
私の言葉を誤解したり、あるいは悪いことを過大に受け取ったり。
鑑定のアドバイス自体が、うまく機能しないという結果になる可能性も考えられます。

スケジュールの都合などで、どうしてもボイドで鑑定を受けざるを得ないときは、私はそういう時間帯であることをお伝えし、相手にも心構えを持ってもらうようにしています。

それだけでもずいぶんと違います。



ボイドも自然の中に用意されている節理の一つ。

無意味に存在しているわけはない。

それとどう付き合っていくかは、本人次第です。