得な性格 3 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

疑わないこと。

これが私が考える、「お得な性格」の3つ目です。

占星術で、もっともこの「疑う」ということに関わっているのは、土星であることが多いです。

この土星の影響がネガティブな形で強く出ているケースでは、

人を信じない。
普段、信じていても、疑い始めると、一気にそちらに傾く。
悲観的に物事を悪く悪く捉える。

といったことが起きやすいようです。

猜疑心
疑心暗鬼
拒絶
孤独

これらは皆、土星のマイナス面の表現です。

私はこういった土星の資質を、まあ、平均的なレベルで持っています。

日常では決して悪いコンディションではありません。

常識的な働き方では、土星は常識とか堅実さやまじめさ、計画性などとして出てきます。

私はこれを持っているのですが、かつて…そう、もうかなりの歳月、前のことになりますが、この土星の影響下で人間関係を破綻させたことがあります。

疑い始めると、まるで坂道を転げてふくれあがっていく雪だるまのように、その疑いがどんどんふくれあがってしまいます。

不安、悲観、恐怖。

「もしかしたら、そうなんじゃないか」と疑いはじめ、

それについて考え続けている内に、過去のあれもこれもが思い起こされ、

悲観的な想像力で結びつき、

「いや、きっとそうだ」「絶対そうだ」というふうに、悪い方へ悪い方へ考えを暴走させてしまいます。

それに対抗して、「それなら、こうしなきゃいけない」と固く思い、やってしまう。

結果はたいてい無惨なものです。


しかし、それは現実に戻って、冷静さを取り戻した頃には

「なんで、そこまで思いこんでしまったんだろう」

と不思議に思うほどなのです。

自分がそうだ思いこんで組み立てていた「悲観の塔」は、後で冷静に考えると、

「あの人がそんなことをするはずがないのに」
「ちゃんと信頼があったはずなのに」
「どう考えても、そこまでの悪意があるはずがないのに」

しかし、その「悲観の塔」を思考の中で組み上げたときには、自分の中で「確信」に変わっているのです。

人を疑い、その挙げ句に自己防衛に走らせる。

あるいは自分で閉じこもらせてしまう。

土星には、そんな資質もあるようです。


しかし、世の中には「疑うことを知らぬ人間」もいます。

これはある意味で、危険かも知れません。

無防備で、騙される危険もあります。


が。

それでもなお、疑わぬ人は幸いです。

あっけらかんと、天真爛漫に、相手のことを信じられる。

あまりにもそれがあけっぴろげであると、周囲もほだされてしまいます。

無防備すぎて、守ってやらなければと、力になる友人も出てきます。

そういう功利的な側面だけでなく、相手を無条件で信じる人には、やはり光があり、愛があります。

自分の周囲に発生するものは、自分自身が引き寄せるものも多い。

それはやはり似たものを引き寄せる。

疑わぬ人は、愛を引き寄せやすくなる。

これは道理です。

もちろん、そんなに簡単にいかないのが現実の世の中で、こんな疑わぬ人と陥れようとする悪意ある人間も、現に存在はしている。

それでも私は、疑わぬ人、これを得な人だと考えます。

それは冒頭の、逆のケースに照らせば、明らかだと思います。

度を超した疑う心は、物事を貧しく、寂しくさせてしまいます。

人生を暗くしてしまいます。

当然、逆の疑わぬ心は、人生を明るく照らし、豊かな人間関係を作り出すでしょう。

願わくは、疑わぬ人が強くあれるように。

この世の現実の中で、折れない疑わぬ心を持てるように。

人間のもっとも良き資質の一つとして、私たちもどこかでそれを持っていたいものです。