疑わないこと。
これが私が考える、「お得な性格」の3つ目です。
占星術で、もっともこの「疑う」ということに関わっているのは、土星であることが多いです。
この土星の影響がネガティブな形で強く出ているケースでは、
人を信じない。
普段、信じていても、疑い始めると、一気にそちらに傾く。
悲観的に物事を悪く悪く捉える。
といったことが起きやすいようです。
猜疑心
疑心暗鬼
拒絶
孤独
これらは皆、土星のマイナス面の表現です。
私はこういった土星の資質を、まあ、平均的なレベルで持っています。
日常では決して悪いコンディションではありません。
常識的な働き方では、土星は常識とか堅実さやまじめさ、計画性などとして出てきます。
私はこれを持っているのですが、かつて…そう、もうかなりの歳月、前のことになりますが、この土星の影響下で人間関係を破綻させたことがあります。
疑い始めると、まるで坂道を転げてふくれあがっていく雪だるまのように、その疑いがどんどんふくれあがってしまいます。
不安、悲観、恐怖。
「もしかしたら、そうなんじゃないか」と疑いはじめ、
それについて考え続けている内に、過去のあれもこれもが思い起こされ、
悲観的な想像力で結びつき、
「いや、きっとそうだ」「絶対そうだ」というふうに、悪い方へ悪い方へ考えを暴走させてしまいます。
それに対抗して、「それなら、こうしなきゃいけない」と固く思い、やってしまう。
結果はたいてい無惨なものです。
しかし、それは現実に戻って、冷静さを取り戻した頃には
「なんで、そこまで思いこんでしまったんだろう」
と不思議に思うほどなのです。
自分がそうだ思いこんで組み立てていた「悲観の塔」は、後で冷静に考えると、
「あの人がそんなことをするはずがないのに」
「ちゃんと信頼があったはずなのに」
「どう考えても、そこまでの悪意があるはずがないのに」
しかし、その「悲観の塔」を思考の中で組み上げたときには、自分の中で「確信」に変わっているのです。
人を疑い、その挙げ句に自己防衛に走らせる。
あるいは自分で閉じこもらせてしまう。
土星には、そんな資質もあるようです。
しかし、世の中には「疑うことを知らぬ人間」もいます。
これはある意味で、危険かも知れません。
無防備で、騙される危険もあります。
が。
それでもなお、疑わぬ人は幸いです。
あっけらかんと、天真爛漫に、相手のことを信じられる。
あまりにもそれがあけっぴろげであると、周囲もほだされてしまいます。
無防備すぎて、守ってやらなければと、力になる友人も出てきます。
そういう功利的な側面だけでなく、相手を無条件で信じる人には、やはり光があり、愛があります。
自分の周囲に発生するものは、自分自身が引き寄せるものも多い。
それはやはり似たものを引き寄せる。
疑わぬ人は、愛を引き寄せやすくなる。
これは道理です。
もちろん、そんなに簡単にいかないのが現実の世の中で、こんな疑わぬ人と陥れようとする悪意ある人間も、現に存在はしている。
それでも私は、疑わぬ人、これを得な人だと考えます。
それは冒頭の、逆のケースに照らせば、明らかだと思います。
度を超した疑う心は、物事を貧しく、寂しくさせてしまいます。
人生を暗くしてしまいます。
当然、逆の疑わぬ心は、人生を明るく照らし、豊かな人間関係を作り出すでしょう。
願わくは、疑わぬ人が強くあれるように。
この世の現実の中で、折れない疑わぬ心を持てるように。
人間のもっとも良き資質の一つとして、私たちもどこかでそれを持っていたいものです。