父の夢を見た(海王星の終わりに) |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

6月に亡くなった父に関する何かの情報を知らされているという夢を見た、というお話は前に書いたのですが。

じつは昨日と今朝、連続して父に関する夢を見ました。

海王星のお話を書き終えるその当日と翌日。

なにやら意味ありげに思えます。

もしかしたら、私が頭の中で作っている情報、自分が気にしていることが夢になって出ているだけなのかも知れませんが。

それにしては昨日の朝のは、かなり鮮烈でした。


私は大家族の中で育ちました。

兄、父母、祖父母、曾祖父母と私という八人家族で過ごした少年期でした。

すでに母と兄以外が、すべて故人となっています。

この故人となった人たちがオール総出演したのです(オールと総がだぶっているのは承知で書いています。普通ありえないでしょ)。

父もわずかながら登場し、私は妻と一緒に最後に、祖母と曾祖母の二人を網のラックのようなものに乗せ、それを二人で担いで家に運んでいくのです。

しかも、その家というのは現在の住居ではなく、大家族が住んでいた築後100年を越えていた、あの古い懐かしい旧家なのです(どうも夢の中では、かつての家族全員がそこに集結している感じ)。

その旧家はもう今はありません。

その夢の中で父がどうだったのか、よく覚えていませんが、今朝見た夢でははっきりと父が、その旧家にあった家族でみんな座っていたこたつに座っていて、父の隣には見知らぬ年配者がいて、なにか父がその人の面倒を見ているというのか、見さされているというのか、そんな様子でした。

父が夢に、実物として出てくるようになったのには、たぶんなにかしら意味があるような気がします。

もしかすると海王星の話を書くことが、父の供養にもなったのではないか。

ふと、そんなことも。


私は霊能力者ではないので、そのへんのことは想像でしかなく、謎です。


海王星の物語、いかがでしたでしょうか?

すでに何人かの方から感想をお寄せ頂いておりますが。


私はただ、このお話を読んでほしい人がいただけ。

その方が読んでくださったかどうかも定かではなく、ただ今苦しくても先が見えにくくても、絶対になんとかなるし、助けてくれる人だっている。

それを伝えたかっただけです。

実際にはこのお話は非常に普遍的に、世の中にリアルにあるお話です。

小説として考えたとき、後半の主人公の奥さんの戻ってくるシーンやそこに旧友が居合わせるという展開は、「ご都合主義ではないか」と思われる可能性もあります。

実際、プロの書き手ならそれが登場してもおかしくないだけの下地を作っておくか、主人公が何とかそこへ無理なくたどり着くような展開にするのが、今時のリアリティです。

ところが。

実際にはそうではないのです。

私はこのお話の中で、本当にリアルを追求しました。

絶体絶命の誰かに救済が訪れるとき。

実際には、本当に奇跡としか思えないような出来事が起きることがあります。

私は自分自身でもそれを体験しましたし、奇跡というのはこの世にあるんだと、その過去体験から信じています。

ご都合主義ではなく、あれこそがリアルなのです。

そしてそのような奇跡は、誰の身にもかならず起きえます。


そして、きっとそうなっていく。

安らげる日が来る。


それを心から願いながら。