「見果てぬ夢」を観劇 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

娘が出演しているお芝居、「見果てぬ夢」を観てきました。

今日は、
午前中に面談鑑定→観劇→帰宅して電話鑑定
というハード・スケジュールでした。

癌告知に関連した、演劇工舎「ゆめ」による舞台。

事前にもらったパンフレット。
そこに触れられている登場人物たちが、物語の本質にどう関わるのか。
そして、一番の問題は

「助かる可能性の限りなく低い難病」
「その現実に遭遇した当事者たち」
「彼らが未来に何を見出していくのか」

という、非常に重いテーマです。
これをどう物語の中に綴じ込めていくのか。

舞台を観てみると、実際、登場人物たちは無駄なく配置され、それぞれがちゃんとした役割を持たされていましたし、この落としどころの難しい物語も、きちんとフィニッシュしていました。

役者たちも、自分たちの役所を、きっちりと押さえていたようです。

もう少し笑いを取れる場面で、しっかり笑いが取れていれば良かったなと思う部分はありますが、主軸のテーマはぶれずに演じきられていました。

末期癌。
本来なら、絶望するような状況の中。

人が何を見つけ、何に光を見出していくのか。

この答えは、個人個人の中にしかないと思います。

だから、唯一の正解は、数学の1+1=2のようにはないと思います。

今年の初夏以降。

私はいくつもの癌に遭遇してきました。

救いようのない末期癌の家族。

私自身の親族の癌。

今の医学では完治はない癌。

そして癌のため人生を根本から見直された人。


こんなリアルなプロセスがあった私には、この演劇は非常に深い意味があるように思えましたが、観劇する価値はありました。

唯一の正解はないけれど、たしかにこれはこれで、一つの「答え」を提示してくれていました。

癌によって命を奪われる人。

それはその当人の人生の中にしか答えはない。

だから、自分の中に問いかけるしかないのですが。

その問いかけを行うためには、やはりなにかの「状況」が必要になる。

その状況が、登場人物を含め、きちんと配置されて語られ、最終的なところへ至っていました。


いい舞台でした。