状況がよく呑み込めなかったのは孝司の方だった。
なぜ、ここに広子と史也が……。
三人の親子は、当然のことながら周囲の関心を引きつけた。
「孝司じゃないか」
そんな中から、ふいに声が上がった。
声の主を捜すと、一人のスーツ姿の男が立っていた。
「あ……」
忘れるはずもない顔だった。
「彰一……」
中学時代の同級生、須藤彰一だった。
「懐かしいな。えっと、何年か前の同窓会以来だよな」
須藤は身体を縮めるようにして嗚咽を漏らしている広子を見て、そしてまた孝司を見た。
「たしか、奥さんだったなよな。結婚式の時、お見かけしただけだけど」
「あ、ああ」
孝司は狼狽した。
「なにか、あったのか」
「ま、まあ。そんな、なんでもないんだ」
史也がいきなり孝司に抱きついてきた。
「ねえ、お父さん、またいっしょに暮らすんだよね」
え――?
孝司は広子を見つめ、しかし、どう言葉をかけていいかわからなかった。
「ごめんなさい、あなた……。あなた一人に押しつけてしまって……家に帰ったこと、もうずっと後悔してて……」
その言葉と彼女がこぼす涙を見たとき、孝司の心に、一条の光が差し込んだ気がした。
喜びが。
しかし、周囲の目もある。孝司は広子と史也を促し、銀行の出入り口付近から離れた場所に移動した。
「ごめんなさい、あなた。史也を少し見ててくれない? あたし、すぐに用事を済ませてきますから」
涙を拭いながら、急に広子は慌てたように言った。
銀行に入っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、孝司は気づいた。
今日は広子の名前で借りているローンの入金をしておかねばならない日だった。だから、彼女はこの銀行に朝一番で来たのだ。
しかし、同じ銀行は広子の実家の近くにもあるし、ほかにいくらもある。
この孝司の家の近くの銀行に来た理由は……。
「なにやら、揉めているみたいだな」と、須藤は言った。
中学時代、何をするのも一緒だった。
一番の親友だった男だ。
しかし、頭のできが違ったし、やりたいことも違っていた。
孝司は工業系の高校へ進み、須藤は県内で一番の進学校へ。
その後、大学は東京で、法律を学んでいると聞いていた。
本当に時々、連絡を取り合うことがあったが、今ではかなり疎遠になっていた。
「浮気でもしたのか」
「よせよ、子供の前で。違うよ」
「おっと、すまん」須藤は耳元でささやいた。「金か?」
観念した。それにこの親友に、あれこれ嘘をつくのもいやだった。
うなずいた。
「やっぱりな。取り込んでいるみたいだし、俺も用事があって銀行に来たんだ。後で連絡してくれ」
彰一は名刺を差し出した。
「ああ……」
須藤も銀行に入って行った。
司法書士。
事務所の連絡先や携帯番号も名刺には入っていた。
ややあって、広子が入れ替わりで銀行を出てきた。
「振り込みがあったから……」
「ああ……すまない。ずっと振り込んでくれてたんだろ」
首を振る広子。
「あの……ごめんなさい。あたし、勝手だった。あなたのこともろくに考えず、飛び出して行ってしまって……。一番、辛いのはあなたなのに」
「いや、悪いのはおれだから」
「そんな……」
「いや、本当にそうだ。おれがもっとしっかりしていれば、こんなことにはならかったんだ」
「あたしだって、甘えてた。こんなことになってるとは知らずに、お義父さんやお義母さんに甘えてた。なんとか、なってるんだろうと思ってた」
「ねえねえ、家に帰ろうよ」
史也が言った。
夫婦が顔を見合わせ、そして何年かぶりのように笑った。
「そうしようか。寒いし、帰って話そう」
この物語はフィクションです。