海王星で無になれば part.3 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

 何度目かのため息を広子はついた。

 孝司が戻るまで、母とは直接の話はしなかったようだ。おかげで非常に気まずい夕飯だったようだが。

 深夜に帰宅した孝司があらましを説明し終えると、がっくりと広子は肩を落とした。

「人に貸してあげるって……なんなの、それ」

 普通の感覚では理解されないのも無理はなかった。

 孝司の父、清司は職人気質の大工だった。

 若い頃は腕のいい大工として近隣でも信用されていて、人も大勢使っていた。親分肌というのか、集まってきた人間の面倒見はよく、仕事をしている間は飲食代などもばかにならないほどだった。

 遊びもやっていた。競馬、パチンコ。

 頼られると嫌とは言えない性格で、少し融通してほしいと言われれば気前よく貸していた。

 そういう積み重ねが、実際には相当な負債になっていたようだ。

 そんな事情を説明されても尚、広子には理解できる感覚ではなかったろう。

 彼女の両親はどちらも中学校の教員で、非常に固い。

 清司のような人生は、どちらかと言えばヤクザ的なものに思えるだろう。

「それくらいだったら、お父さんだってまだ動けるだろうし、どこかで使ってもらうとか」

「そりゃ、むりだ。広子だってわかってるだろ」

 清司は糖尿病がここ数年悪化し、とくに視力を衰えさせている。

 高いところへ上がるような仕事ができる状態ではなかった。そもそも大工を辞めるきっかけになったのが、屋根から転落して骨盤骨折したことだったのだ。

 それ以来、父は目に見えて衰えた。

「お母さん、年金があるから、生活費が折半で十分やっていけるからって、言ってたのに」

「その生活費を出している分が、まるまる赤字だったらしい。俺たちに言えずに、ずっと抱え込んでいて、消費者金融から借りたりしたらしい」

「もうっ……これから史也だって、どんどんお金だってかかるだろうし、小学校に上がったら塾にだって行かそうと思ってたのに」

 何度も何度も、右手を頭に髪につっこんで、後ろの方へかき上げる仕草を繰り返していた。広子は保険の外交の仕事をしている。
 今のご時世だから、決して甘くはない。
 
 かなり長い沈黙の後、漏らした。

「実家に頼んでみようか」

「それは、ちょっと……」

 それには孝司の方が躊躇した。

「この家を改築するときにも無理言ったし」

「そうね……」

「とにかく明日休みだから、母さんが言っている信用金庫の担当と話してみる」

「用意がいいのね。借りられる先を探しているなんて」

 皮肉も言いたくなるだろう。


 気の重い話だった。

 しかし、孝司は翌日、某信用金庫の担当者と会い、新規の借り入れの話を進めた。

 思えば、これが大きな間違いだったのだ。

 実績を作りたいその担当者との間で、話はすみやかに成立したが、すでに改築のローンを払っている孝司は審査に引っかかってしまったのだ。

「働いている奥様になら」という条件で、借り入れが決まった。

 広子も渋々承諾した。


 新たな借り入れが成立した翌日、孝司はいつも通り出勤していた。

 漠然と仕事を変えることも考えていた孝司だったが、そんな考えは吹き飛んでしまった。

 とにかく今の生活を守ること。

 それが最優先だった。

「山之上さん、今日、お弁当どうします?」

 バイトの高橋が聞いてきた。

 はっとした。

「ああ、今日はいいや。あ、あの、弁当、自分で持ってきてるから」

「へえ~、愛妻弁当ですか?」

 高橋がにやにやする。

 いつもA勤の時は、スタンドでは配達してくれる弁当を取っている。

 しかし、母親の窮状を救うために、孝司は財布の中身をほとんど家に残してきた。

 わずかでも払わさないと、消費者金融が家にでも押しかけてきそうな勢いだったからだ。

 財布の中には小銭しかない。


 入ってきた車を給油。
 洗車。

 慌ただしく業務が過ぎ、交替で昼ご飯を食べるとき、孝司は後から休憩室に入った。

 忙しかったので、空腹だ。

 しかし、食べるものはない。
 従業員用に用意されているお茶を入れ、ひらすらそれを飲んでごまかした。

 テーブルの上には高橋が食べた配達弁当の空が残されていた。

 蓋を取ってみる。付け合わせの野菜がまるまる残っていた。

 舌打ちしながら、蓋を戻す。


 湯飲みを握りしめる手に、力がこもった。

 情けない。
 母親に借金をさせ、足りない分を妻に背負わせ、今は昼飯も食えない。

 まじめにやってきたつもりだった。
 それなのに……。

 こんなのが、俺の人生なのか?

 不意に目頭が熱くなったが、泣くようなことはなかった。

 お茶で空腹感をごまかそうとしている自分が、ひたすらに惨めだった。


この物語はフィクションです。