亡き父に関わる夢見 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ここ数日、不思議な夢を見ます。

それは父の夢なのです。今年の6月24日に他界した父。

それもたとえば亡くなった父が夢に出てくるとか、あるいは昔の父に関する思い出っぽい夢でもない。

「今の父」に関する夢なのです。どうやら。

どうやらというのは、目が覚めると記憶がはっきりしないせいで、なにかもやもやとした印象だけが残っている。


しかし、この夢をこのところ三日ほど続けて見ています。



ただ。

では「今の父」、つまりあの世に逝った父親が夢に出てくるのかというと、そうでもないのです。

よくわからないのですが、父に関する情報だけが伝わって来るというのか……(その情報も覚えていないんですが)。

夢枕に今の父が立つわけではないということです。

まったく不可解なのです。

自分の印象としては、あの世の誰かが父に関することを自分に教えてくれているというような感じです。

それを聞いて自分は納得しているというのか、理解しているというのか。

何かをしなければならないとか、そんな切迫感もあるわけではない。


自分は霊能力者ではないので、このあたりのことをうまく突き止める能力はありません。


ここ20年間の父。
とくに仕事を退職してからの父は、お世辞にもほめられた生き方はしていなかった。

20年前、その時点ですでに「肝臓癌で余命三ヶ月」という宣告を受けていました。

知らされたのは私で、このときのショックはいまだに忘れられません。

しかし、不思議なことに「あったはずの癌がない」という知らせが病院から(地元の非常に大きな大学病院なのですが)。

その後、肝硬変の末期症状の中、それでも酒をやめることはなかった父。

私は怒鳴り合いの喧嘩をしたこともあります(すごく嫌なものでした)。

酒をやめさせるための努力は、それこそあらゆることをしてきました。

しかし、それでもこそこそ酒を買ってきては隠し飲みを続ける父は、何度も下血、吐血などを繰り返し、入退院を繰り返しました。

私は2005年あたりから、メモのようなエクセルの日記を付けているのですが(最近はサボッています)、この頃の記録を読むと、この父の入退院、救急車で何度も運ばれるという事態の中で、暗澹たる気持ちになっている自分が蘇ってきます。

まったく無計画にも、医療保険などにも入っていなかった、今となっては入ろうにも入れない父。
そんな人が幾度も救急車で運ばれ、けっこう高度な医療措置を受け、そのたびにまるまる部屋や食事などの入院費用がかかるのですから、当時、逼迫していた我が家の家計は火の車でした。

情けない……

どうしたらいいんだ……

私はずっと自分のことを情けないと感じ、それでも何かを変えようにも身動き一つ取れない自分を悔しく思っていました。


酒をやめさせるためには、父から本来、父が受け取るべき年金も取り上げねばなりませんでしたし(お金があれば買ってくるから)、行動にさまざまな制限を付けねばなりませんでした。

それでも、ちょっとしたお金をちょろまかし(たぶんガソリン代とか、なにかの工具や農作業の部品代などの釣り銭をごまかして)、父は酒を飲み続けていたようです。

そしてまた、病院へ。

人間が壊れていく。
そのさまを、私はずっとそばで、自分の父親という実例で見続けさせられていました。


ずっと監視を続けるわけにも行きませんし、そんなことができたとしてもものすごく嫌な気分になり続けたでしょう。

父親からやりたいことを制限し、好きなことを取り上げてしまう。
これはいやなものです。

その父もこの最後の2年ほどは、地元のお医者さんの協力もあり、酒をほぼ飲むこともなく、人生の終焉を迎えました。

今年の初旬、父の学校の同窓会があり、「もう行くこともないかもしれんから、行かせてくれ」という望みを口にする父。
私は拒絶することができませんでした。

この同窓会が父が最後に飲んだ酒だったかもしれません(ホテルでひっくりかえっていて、抱えて連れて帰りましたが)。


家族に迷惑をかけることよりも、自分の欲望の満足を優先させ続けてきた父。

しかし、それでも私はこの父を憎みきれずにいましたし、そう、憎むなどという気持ちはさらさらなかった。
哀れに感じていましたし、ただただ自分の無力さを感じていただけでした。

この記事も死者をむち打つ意図で書いているのではありません。

あの臨終に間に合わず、病院に駆けつけたとき、やはり自分はこの父が好きだったのだと、気持ちの中で確認できましたし。


父の死後、最初の法要までの間、私は毎週土曜日、般若心経を父の遺骨の前で唱え続けてきました。

7日ごとの供養というのが、本来の仏教の中にあったようで、現在はそれが四十九日とか三十五日という法要の形になっていると知っていたからです。

これだけ身勝手なことをしてきた父が、すんなりあの世に逝けるかどうか、ちょっと不安だったから。


今の父がどうしているか。

私には分かりません。

願わくば、早くに安らげるように。
とっくにそうなっていてくれればよいのですが。