世の中よくできているなあ、と思うことが多いzephyrです。
シンクロニシティというのか。
作家活動でも占星術活動でも、不思議なことは山ほどあります。
最近強く感じたことでいえば、面談鑑定→メール鑑定(スカイプ鑑定)→そして今という流れです。
私がプロの占星術師として活動を始めたのは、2005年です。
それ以前の下積み期間は、高校1年の時からとして考えると、27年間ですね。
27年間、ほとんどの鑑定は無料でやっていたわけです(←ひょっとすると、アホ?)。
私の過去の人生の中で、これ(占星術家としての活動)をやれというサインは、それまでにも幾度も強く現れていました。
それをかなり無視って来たのですが、ある時流れに逆らえなくなりました。
本当はもっと早くプロになるべきだったのかもしれません。
しかし、機が熟すときというのは、やはりあると思います。
やり始めると、とたんにいろんな人のつながりの中で、面談鑑定の機会は広がりました。
場所を提供してくださるお話なども舞い込み(今はそこでの鑑定はやめていますが)、占い師としては異常なくらい(?)とんとん拍子で進展してきました。
すでにある程度以上の蓄積ができていただけではなく、自分が学ぶべきことが、常に提供されてきたように思います。
こないだも書きましたが、不思議にある傾向を持つ鑑定が連続することなどもその一つですが、その中で私自身がさらに深いところまで読めるようになるということが、急ピッチで繰り返されてきました。
2008年の終わりごろから2009年の初めごろ、私には太陽と月のトラインが発生しました。
この時期もまた、異常なほど面談鑑定は増えました。
異常といっても、それまでの自分からするとというお話で、今の感覚からいうと日常的なものです。
でも、そのときには「どうしたんだろう?」と思ったものです。
2010年2月。
私はそれまでK配ぜんの常勤スタッフとして入っていたホテルから、突如、常勤から外されることを言い渡されました。
これは収入面での激減を通達されたのと同じですが、とたんにまた、面談鑑定のさらなる増加が。
同時にじわじわとメール鑑定が増加してゆきました。
そうして昨年の9月、突如としてメール鑑定のラッシュが始まりました。
「どうしたの? いったい!」
というようなラッシュでした。
先日の記事にもお書きしたように、やってもやってもバックオーダーが絶えない。
そして、ここで不思議な現象が起きます。
じつはここしばらくの間、面談鑑定が減っていたのです。
やれと言われても、ホテルの仕事との関係で、面談がそれまでと同じように入っていたら、私は完全にパンクしていたでしょう。
それがここのところ、また面談が復活する兆しが見えてきました。
これは占星術講座の開講に向け、私がホテルの仕事を減らさざるを得なくなったのに呼応しています。
まるでドラマのようなのですが、主人公が窮地に立たされても、何らかの救済はあるというのか、なにがしか補填する動きが生じています。
つくづく痛感するのは、「どこかで誰かが見ていないか?」ということです。
私の状況を見ている誰か。
それが、何かをコントロールしている印象さえ受けます。
この見ている誰かは、神様でもいいし仏様でもいいし、潜在意識でもいいでしょう。
しかし、そういう何かを設定しないと、都合が良すぎる気がします。
偶然でこんなことは何度も起きない。
実際には、これは誰の身にも起きているのではないか?
私はそう思います。
ただ、自分は不幸だと思いこんでいたら、それに気づけないかもしれません。
自分のできることをする。
できれば、人のためにもなることを。
そのとき挫折していてもいい。
絶望していてもいい。
今自分にできることをしてみる。
飢えた猫の頭を撫でてやるだけでも。
隣に居合わせた人のことを考えてあげるだけでも。
親を、兄弟を。
誰かを幸せに。
そんなあなたを、必ず見ている存在がある。
どんな厳しく辛い状況でも「なんでもない」と思い、進んでいけたなら。
きっと、あなたを見ている。