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そりゃ、いるだろう。
当然。
ただ、「運命の人」というロマンチックな言葉とは、かなり裏腹な内容を持つ「運命の人」というのもあります。
ここではまず「運命の人」の定義付けをしないといけませんよね。
「運命の人」というのは、自分が出会って結婚すべき異性のことと、ここでは解釈します。
一般的にこれは、観念的に幸せをもたらしてくれるであろう人、というイメージがつきまとっていますが。
占星術で夫婦とか親子のホロスコープを、じっくり拝見していると、
「さすが、結婚しているだけのことはある。
お互いがお互いのチャートの特徴を、それぞれの配偶者像としてちゃんと表現している」
という組み合わせによく遭遇します。
結果論ですが、夫婦となっている方々のほとんどは、「運命の人」同士で結婚されていると思います。
ただ、そのご縁にはかならず多種多様なものがあります。
つまり「運命の人」を、「自分が出会い、やがて結ばれ、幸せになっていく相手」だと解釈すると、それに当てはまらない配偶者を得ている人も多くいます。
たしかに縁はあるのだけれど、相手の性格や運勢のその他の要因で、どっちかというと苦労ばかりさせられたり、相手から迷惑ばかりかけられたりとか、そのような「運命の人」も存在しているということなのです。
これはその人の魂の計画によります。
(ホロスコープは魂の計画が表現されたものというのが、私の基本的スタンスです)
生まれ変わりの科学的な研究によると、前世の人間関係を今回の人生に持ち込んでいる人は非常に多い。
前回、家族関係や夫婦関係で相手に非常に迷惑をかけたり、償いをしなければならないような負債を作ってしまった場合、今度は逆の立場にあえてなるというようなケースもあるようですし、うまく行かなかった関係を今度こそ幸せなものに再構築しようとチャレンジしている人もいます。
また前回の人生では、ろくな愛情も人に注がず、非人間的な人生を送ってしまった、とか。
こういった前回からの問題を、今回の人生の持ち越している場合、家族や夫婦関係の運勢を見ても、おそらく「すごいいい運勢」になっていることなどないだろうと想定されます。
やはり何らかの苦境が示されていて、それを克服したり、厳しいことをあえて受け取ったりという運勢になっていて当然。
人の魂は、まあ、いつかこの地球の転生からの「卒業」みたいなものもあるのかもしれませんが、基本的には何度でも生まれ変わりのチャンスがあり、その中で上昇したり下降したりを繰り返して、長い目で見たときには螺旋階段を上っているのだと、私は解釈しています。
何十回の生まれ変わりのチャンスの中で、毎回毎回、幸運な結婚生活ばかりを魂が選択するでしょうか?
あえて厳しい人間関係を選択する回も、当然あるはず。
そういう広い視野での運命の人は、当然存在しているはずです。
実際、人の魂は生まれてくる前に、人生の計画のアウトラインを作り、結婚相手の候補も何人かは絞られているそうです。
たまに「今回の人生は強くなるために独りで生きていく」という計画を持っている人もいますが、こういう例外を除いては、たぶんほとんどの人が運命の人を持っている。
チャート上にも運命の人が存在しているわけです。
でもね。
人のホロスコープの流れを見ていても、やはりその人なりに「最良の時」「そうでもない時」「かなり悪い時」というのは、いろいろあって、その時々で出会う人も、その運勢に見合ったものになっていることは、かなり明瞭な傾向として感じます。
つまり「運命の人」と出会う時、結ばれる時にも、いろんなバージョンがあり、自分を幸せにしてくれる、自分も相手を幸せにできる、そんな関係性を結びやすいときと、逆のパターンもあるということ。
そして、出会う人はやはり自分が引き寄せているので、「自分に見合った存在」と結ばれることが多い。
それは自分がある程度、運命の人を選択できる余地があることを示してくれています。
たった今の自分が、未来を、そして出会う人を創造していく。
運命の人はきっと、今の自分が引き寄せる、もっともありそうな未来をもたらしてくれる存在なのではないか。
そんなふうにも思うzephyrです。