経済と金融の背後にあるもの |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
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占星術による世相や出来事の解読や予測には、何ら科学的根拠がありません。
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それをご理解頂いた上で、むやみに盲信せず、理性的な判断をお願い申し上げます。



昨日、海王星が世の中に大きく働きかけているという記事を書きました。

もともとが情緒的で不安定な星が海王星です。

さて、皆さん、今現在の資本主義社会の経済を支えているのは、いったいなんでしょうか。

言うまでもないですよね。

投機マネーです。

株や為替に投資されるお金。


これはいったい誰のお金なのでしょうか?

国が買い支えや、逆に売りに出すような場合もあるでしょうが、ほとんどは投資家たちのお金です。

私は経済の専門家ではないので、この辺の割合やシステムには決して詳しくはないのですが、要するにこのお金を動かしているのは「人間」だということなのです。

最近のニュースでも、たとえばアメリカ経済への不安から相場が崩れるとか、そのような話をよく耳にします。

そう。

お金を動かしているのは人間ですから、この「不安」=海王星こそが根本的な問題なのです。

社会が不安要因を多く抱えれば抱えるほど、為替にせよ株価にせよ、非常に不安定なものに当然なります。


以前、リーマンショック以降の世界不況が起きたときは、土星・天王星のハードアスペクトで始まっており、これはどちらかというと「現実」が先に発生し、それに不安感が追随した形になりました。

しかし、今はこのショックの影響もあり、かなり些細なことでも人々の不安感が、大きく上下動する時期に入ってしまっている。

それが奇しくも、海王星が魚座に入って最強になろうとしている時期に符合している。

もしくはそのような星回りだから、世の中がそうなっている。


これが今の経済に関する、私個人の考え方です。

つまり何かのハードアスペクトが和らいだら、経済や株価が回復するというような、単純な図式ではないということです。

ハードアスペクトというのは、基本的に存在しない時期はほぼない。

いつでも、何らかの星がハードを作っているのが普通です。

まして今のように、冥王星と天王星が持続的なハードアスペクトを作りやすい環境にあると、ちょっとそれが刺激される他の天体が来るだけで、いろんなところにボロが出てきます。

普通ならこの程度のことで世界経済全体がどうこうなることはないはずなのに、今はそうではない。

海王星という人々の無意識的な働きが強く、実際にそれが経済を支配してしまっているからです。


私はこのシステム自体に、根本的な問題があるように思われます。

なぜかというと、以前の世界は情報の流通が現在ほど明瞭で素早くなかった。

しかし、インターネットの普及で、何かの不調、何かの損失などは、瞬間的に世の中全体が把握できるようになっています。

前世紀ならここまでのことはなかった。

電話や指で株価のやりとりをしていた時代には。

しかし、今はそうではない。

とっくに世の中全体が、トランスサタニアンの領域に入ってしまっていて、とくに経済は海王星が支配する部分が大きくなってしまっている。


海王星は今、一度水瓶座に後退しています。

そして来年の2/4には、魚座に再イングレス(侵入)します。
ここから2025、6年ごろまで、海王星はずっと魚座に居続け、大きな力をふるうでしょう。

経済も安定した状態にななりにくいと考えられます。


「そんなに長い期間?」

と、びっくりされるかもしれませんが、非常に長い目で見たときには、おそらくそうだろうと思います。

その間で短期中期的的な上下動を繰り返すはず。

とりあえず現状の株価の低落、為替のアンバランスなどは、おそらく海王星が来年に魚座に入り、ちゃんと落ち着くまでは続くのではないか、と推測することもできます。

おそらく4月から6月にかけて、一波乱二波乱あった後、6月頃には安定傾向を示すのではないかと思っています。

ただ、これは非常にざっくりした見方で、細かいところまではカヴァーできていません。

どこかの国で今回のような震災、大きなトラブル、政変などが発生すれば、それがまた「不安要因」になって行くでしょう。

しかし、社会不安を煽っている背景の一部にあるのは、大きな社会の変化、トラブルであることは間違いなく、それは今年を中心としてある天王星だとすれば、これは来年、再来年と減退傾向を辿ります。

経済的な意味でも、ここから全体的には落ち着きや回復を取り戻していくのではないかというのか、大局的な見方です。