
私は悪魔派!
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この記事、書いてみようと思っていたら、もう締め切りじゃん!
てなわけで、慌てて投稿します。
断然、「悪魔」です。
あの…
誤解のないように言っておきますが、べつに私は悪魔崇拝者じゃありません

悪に憧れがあるわけでもありません。
悪魔のように悪い人間じゃないと思いますが、天使のように清らかで善良でもありません。
適度に配分されていると思います。
では、なぜ、なぜ、なにゆえに悪魔なのか?
これには前提条件があります。
1日限定で悪魔になったからといって、その後の人生や魂の経歴上、負の要因は生じない、という前提です。
これが満たされるのならば、絶対悪魔に1日だけなってみたい。
というのはですね。
天使は、まあ、本物の天使がどのような活動をなさっているのか分かりませんけれど、少なくとも
良いこと
じゃないですか。
良いことは基本的に害がないので、あまり「知る必要がない」と思うのです。
私はよく占星術の鑑定でも、良いことと悪いことがあったら、悪いこと、注意すべき点について多くを語ります。
もちろんプラス面も語りますが、ケースバイケースでその配分は調整しています。
「この人にはきつく注意しておいた方が」
「あまり注意点に重きを置きすぎると、逆にそっちへ引っ張られるかも(だからプラス面を強調する)」
とか、いろいろです。
画一的なやり方はなく、やはり人を見て法を説くというのか、処方箋は各自で異なります。
非常に単純に言うと、占星術のチャートに生じるソフトアスペクト(吉角)とハードアスペクト(凶角)は、それぞれ良いことと悪いことの形で出やすい。
このソフトアスペクトは、放置しておいても少なくとも無害です。
基本的によい方面の働きをすることが多い。
ところがハードアスペクトは事前に知らせて、「この時期にはこういうことが予測される」と指摘しておいた方が、本人も心構えができるし、それだけでも実際にそのハードな出来事が起きたときにも受け止め方が違う。
これは地震なんかと同じです。
そんな災害、自分の人生には起きないさ、とやみくもに盲信していると、本当に大きな地震が起きたときのショックは非常に大きくなります。
が、そのことについて心構えができていると、「やっぱり来た。さあ、ちゃんと対処しよう」という冷静な行動にもつながります。
人生のハードな出来事も同じです。
こういった、いわゆる「悪い面」について事前の知識や備えを持っておくのと持たないのとでは、人生は大きく変わる可能性があります。
だからこそ、注意点の方をしっかりと伝えておく。
ただ、良い点についても、たとえば何事か目標を成し遂げようとする人に対して、「この時期が非常によい。だから、ここを目指して努力しなさい」とか「ここが勝負のときです」とか、お伝えすることもよくあります。
プラス面をさらに強化するためのアドバイスですね。
しかし、良い面を語ると、中には「ああ、自分のは運がいいんだ」と安直に考え、ときにはすべき努力をないがしろにしてしまう危険も生じます。
やはり、トータルで考えると、基本的には「良くないこと」の備えができていた方が、結果的に良い方へ転ぶことが多いようです。
1日だけなれるのなら悪魔に、というのは、まったく同じ動機です。
悪魔が実際にいるかどうか、という問題は別にして、本当に彼らが存在しているのなら、人間にどのような影響を及ぼしているのか、そのやり口とか、知っておけるじゃないですか?
悪徳商法の手口を知っておけば、それを防げるのと同じです。
悪について知ることは、人の人生を良く変える力となる。