最後の五匹・回想録10 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

「これからどんな苦難があっても、希望を失ってはならない」

「この世で起きる出来事に、一つだって自分に関係ないことなんかない」

「こんな世の中の、こんな時代の中で、自分ができることをしたい」

「今は大変な時代だけど、ちゃんと絆を結び合うて、力を合わせれば、きっと乗り切っていける」

これらの言葉は、「最後の五匹」の第1稿から、物語の中に存在していました。

つまり2010年の4月の段階で、完成されたシナリオの中にあったものです。


「zephyrさん、あの話、もう一年前にできていたんでしょう?」

本番を観てくださったある六十代の女性Oさんが、後で私にそう言いました。
ミュージカルのパンフレットに、シナリオの制作過程などが載っていたからでしょう。

不思議でたまらない、という口調でした。

そう。

3月20日に上演されたこのミュージカルは、あの3.11の直後でした。
しかし、実際にはシナリオの中身は一年前には完成されていた。

おそらくミュージカル参加者の多くに、世の中に起きている出来事と、自分たちの作り上げようとしている舞台が、あまりにもシンクロしているように感じられたことでしょう。
ミュージカルに参加者していたお父さん役のAさんは、上演後、しきりとそのことを仰っていました。

そして、おそらく観客の方々にも。

「よくあのときに、あのミュージカルをしてくれた」
ある社長さんが、感慨深げにそう仰ってくださいました(上演後かなり経過してから会ったのですが、驚いたのですが、ちょっと涙目っぽかった)。

多少失礼をお許しを願いたいのですが、普段、そんなことは口にしない方です。
これまで私が見てきたところ、文化的なお話とかは出たことがなかった。

しかし、あのミュージカルを見て、よほど胸を打たれるものがあったのでしょう。


テロ。
自然災害。
銃乱射事件のような無惨な犯罪。
親子、家庭の絆も打ち壊された現代。

主人公たちの最後の五匹は、それそれの時代背景を背負って舞台に登場します。
そして、彼らが吉備の児島で出会い、そして究極の闇となって復活を遂げようとする阿久良王と対峙する。

「70の絶望vs.5の希望」
というのが、ミュージカルの副題というのか、キャッチフレーズのようなものとして考えたものなのですが、本当に全編に近く、今のこの世の中の絶望的な圧力が感じられます。

それを押しのけようとする五匹。

愛と絆の大切さ。

希望を失わないこと。

人のつながり。

憎しみを乗り越える勇気。

そんなものが詰まった舞台に、最後の最後まで、お客さんは固唾を呑んで見入ってくれていました。

これはとくに自画自賛ではなく、そこまでの舞台にしてくれたのは、私の力などではなく、演出のM先生、その教え子たち、そして参入してくれた市民や子供たち、大勢のバックアップの力が結集してこそで、それはこれまで書いてきたように本当に

奇跡的な

結実でした。

おそらく、私があのシナリオを書いたこと自体、私の力ではない。

もっと上の次元の力が働いていたのではないか。

そんなふうにも思うのです。
これは謙遜でも冗談でもなく、本物の作家なら、自分に何かが与えられて創作する、あるいはどこかですでに出来上がっているものを自分がただパイプ役のようになって紡ぎ出している、というような感触を得るときがあるはずです。

「最後の五匹」の創作中、私はずっとそのようなものを感じ続けていました。


だから、あの話は私が書いたものではない。

日本人、いや、もしかすると世界人類のどこかに通じている、集合無意識がただ私というお筆先を使って著したものであろうと。

演出のM先生の、カーテンコールでの言葉は今も忘れられません。

「私たちは今、二度目の敗戦を経験しています。
今がそのときです。

こんなときに、お芝居、芸術といった文化的な活動をするということ。

それは私たちみんなに力を与えてくれるものです」

二度目の敗戦。

私自身は、かの第一の敗戦を知りません。
しかし、私の父母は、そのときを知っています。

そしてそれを語るときがありました。

「その敗戦を胸に抱きしめて、私たち(日本人)は立ち上がってきた」

M先生はそう仰いました。

「この再生の物語はいかがでしたでしょうか?」

満場の拍手。

そう。
まさに、そんな物語。

そんな物語を作り上げてきた一年ちょっと。

大勢の仲間たちと。

それは至福の時でした。


私の作家人生の中で、一度も経験したことのない、同じ創作者たちと分かち合う喜びのあるときでした。


始まりからして不思議。

そして終わりも不思議。

「最後の五匹」のラスト・ミステリー。


じつは私はM先生などからの現場の要請に従って、

「第1稿」→「第2稿」「第2稿の2」→「第3稿」→「第4稿」→「第5稿」

といった感じで幾度も書き直し、加筆を加えていました。

ラストシーンで迷った「5稿」には、5稿の01、02、03、05などが存在します(なぜか04稿はない。たぶん上書き保存の課程で消失したと思われる)。
そうやっているうちに、わけが分からなくなってきて、私は実質的な5稿を「X稿」としてパソコンに保存しました。
なにげなく。

このX稿が、M先生に手渡された5稿なのですが、その後、ラストが決まってXの次のY稿を仕上げました。

「これで終了だろう」

と思っていたのです。
ところが、本番を目前して3.11の震災。

「このまま上演するのは、被災者の方々にどうなのか」
そういった配慮が働き、本番一週間ほど前になって最後の書き直し。

これが「Z稿」となった。
最後のZ。

私のパソコンの中にしかない事実なのですが、個人的には不思議もこれでとどめを刺したな、という感じでした。

もちろん、これは後で回想して思うことですが。


「芸術とか文化、それは人間しか持たないもの」

M先生の言葉にあったように、小説も舞台芸術も、人間の文化活動の代表的なもの。

この大きな時代の節目に、「小説でしかできないことがある」と考える書き手も大勢いらっしゃいます。
せんだってTVを見ていると、伊集院静さんがそのようなことを仰っていました。

私も同じ考えです。


小説。
それに留まらず、舞台芸術やほかの様々な形態で、「物語」という原初的なものを表現していくこと。

その中に光を見いだし、人を照らしていくこと。

いや、人を照らすとか、使命とか、そんなことはあまり考えなくていい。

ただ今の自分にできることを、精一杯やっていく。

そんなメッセージも「最後の五匹」にはありました。

そのメッセージ自体が、今は私を照らしています。



この連作ブログを、「最後の五匹」の制作に携わったすべての人と、あの日、同じ思いを共有してくださったすべての方々へ、感謝と共に捧げます。

ありがとう。