最後の五匹・回想録6 |  ZEPHYR

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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

男~ラブラブ

男、いねえか~ラブラブ

まるで飢えた何かのように、創作ミュージカルの現場は男不足でした。

とくに俳優。
女性はいっぱい集まっているのに、男がおらん!
じぇんじぇん足りてない。

「う~~~ん。先生、このサルタヒコ、女じゃダメですかねえ」
と、演出のM先生も悩ましげ。

「サルタヒコは女じゃ、ちょっと」
私は脚本を見直した末、提案しました。
「わかりました、それじゃ、この『祐二』を女にしましょう。
 それで書き直します」

「最後の五匹」の中に登場する五人のキャラ。
佐和子、佑二、大輔、匡子、扶美男。
彼らが最後の五匹そのものなのですが、この中の佑二が一番、性転換が楽にできそうなキャラだった。

佑二は佑子にチェンジ。

これも含めて、私は歌詞の入った第2稿の制作に取りかかりました。

このときに非常に役に立ったのが、宝塚のミュージカル「里見八犬伝」でした。
今回の創作ミュージカルが、「『里見八犬伝』のように登場人物がそれぞれの時代背景を背負って集まってきて、『悪』と戦うというストーリー」になっていることは、ブログにもちょっと書いたのですが、それで参考までにとお教えくださった親切の方がいて、実際、この宝塚のそれを観ることで、私はイメージを固めることができました。

どのように歌唱を入れたらよいか。
歌詞はどんな風に作ればいいか。

やや失礼な言い方をすると、「なんだ、こんなんでいいんじゃない」という拍子抜けするような感じでした。
歌詞も非常にベタで、ようするにこれは観客に分かりやすくした結果。
そうでないといけないわけですね。

そんなことも知らずに、難しく考えすぎていたのです。

悩みから解放されると、2稿、そしてさらに修正を重ねた3稿と出来上がっていきました。

このとき、私は歌詞のいくつかを、バンド活動もやっている援軍Hさんに依頼していましたが、ちょっとした情報の行き違いから制作が遅れ、あわててHさんは一曲のみの作詞に留まってしまいました。
彼女は曲が出来上がってからの作詞だと思っていたのですね。
ところがそうではなかったわけです。

うかうかすると間に合わないので、私は残りの歌詞を自分がすべて作詞しました。

ところが。

これが結果的にはすごく良かったのです。

Hさんと私の作った歌詞は、かなり質的に異なっていて、出来上がった曲もそれに合わせたものになりました。
たとえて言うと、ポップスと演歌みたいな違いがあった。

いや、まあ、私のが演歌調というわけではないんですが、彼女の曲は「児島の歌」として、歌唱すると現代的な感じも打ち出しながら、元気さや楽しさ、明るさ、希望といったものを強く感じさせるもので、これが前半のストーリーの重苦しいムードの後でやってくるため、観ていても心が和むのです。

自分でやらなくて良かったと、心底思いました。
私は1稿で「縦糸と横糸の歌」という風に表題していたのですが、彼女は独自にその同じ意味の「たてぬき」という言葉を探し出してきて、「たてぬきの歌」として完成をした。

振り返ると、他の私の作詞したものと「たてぬき」は、明らかに色が違っていて、それだけに映えている。
しかも、ちゃんと1稿を読んで書いてくれたため、詩の内容が後で舞台演出にも生かせるようになっていて、後半のストーリーの山場の一つでもう一度、キャストに断片を歌わせることも可能になった。

手違いさえ、後で振り返ると妙にいいように転んでしまうという、不思議な連鎖がこのミュージカル制作にはありました。

Hさんは出産後、すぐに練習に参加するという荒技を演じていたのですが、ほとんど子連れでした。
その面倒を見るために、彼女のお母さんが練習場にやってきて、赤ん坊の守りなどしてくれていたのですが、そのお母さんの意見で脚本の終盤に修正を加えた部分すらあります。

Hさんと赤ん坊、そして密かにお母さんなどが果たしてくれた役割は、決して小さくなかったと言えるでしょう。


続く。