じつは、このミュージカルの話が持ち込まれる少し前、私は自分が住んでいる由加山について、ちょっとした調査を行っていました。
これすら一つのシンクロニシティです。
ある情報を目にしたことがきっかけだったのですが、それは信仰の対象となっている由加山、由加大権現に根幹に関わるものでした。
権現というのは神仏混淆で、神と仏が一体化したものです。
これについての考え方はいろいろあると思うのですが、私は以前から自分のセンサーの中に入ってくる情報の中に、この由加山と四国の金比羅山の関係についての、裏側の事情があることを嗅ぎ取っていました。
江戸時代。
四国の金比羅山と児島の由加山は、「両参り」が盛んに行われるほど、密接な信仰上の関係がありました。
実際に神様の名前として祭られているものには、神話上、あまり知られていない関係があります。
しかし、その関係は非常にマイナーなもので、それがあるから一般庶民に至るまで、この「両参り」が行われていたのかというと、今でこそ調べれば出てくるのですが、当時は書物も少なく、おそらく民間にある伝承的なもの以外には、金比羅山と由加山を結びつけるものはなかっただろうと思えるのです。
神話上のマイナーな関係というのは、おそらく本質的にある何かの重要な関係を隠蔽するためのもので、実際には金比羅山と由加山には不可分なつながりが存在しているのではないか?
この証拠のように、由加山から鬼門の方国にある、奥峰山には人知れず、金比羅山の神や祇園様が祭られている形跡がある。
この奥峰山。
私の家はこの峰の中腹にあります。
そもそも金比羅山になぜ?
そしてその鏡存在としての奥峰山。
それを鎮めるための由加山ではないのか?
位置的に考えると。
とするならば。
由加山に伝承されている鬼伝説は、どこかでこの鎮められた神々に関係している?
平安時代。
児島には役行者の弟子たちが、新たな聖地を求めて流れ着きます。
その弟子たちがあらたに切り開いたのが、「新熊野三山」です。
そう、紀州にある熊野のコピーです。
その弟子たちを「無双の聖地がある」として招き寄せたのが、白髭の翁だったという伝承があります。
まあ、本格的に解説しようとすれば、いろいろと迂回せねばならないのですが、この白髭の翁は「住吉神」でもあり、また私の考えでは「猿田彦」なのです。
ここにシンクロした情報にぶつかっていたのですね。
ミュージカルの話を受ける直前。
そしてミュージカルの構想に入っていた課程で。
ミュージカル参加を希望していた娘が、夢に見たのです。
「『サルタヒコじゃ~!!』って、大音響の叫びのシーンが舞台であるの」
……
……
……
はい?
なぜ、あなたがそれを知っているんですか?
私は心の中だけで、そう問い返していました。
私はすでにサルタヒコを登場させようと思っていましたし、そのシーンはすでになんとなく心の中にありました。
たしかにサルタヒコの話は、実行委員会でしましたし、あなたも確か聞いていた?
でも、そんな話、ほんのちょっとしかしてないでしょ。
しかしなぜ、そのようにリアルなんですか?
私が描こうと思っている、そのままに。
……
……
……
なにかしら働いている?
いかに同じ家に住む家族でも、私の頭の中の情報をそうそう勝手に盗めません。
私はミュージカルのキーマンとして、白髭の翁=サルタヒコを登場させようと構想していました。
このサルタヒコは、たぶん隠蔽された神々にかなり密接な関係がある。
そして古代、瀬戸内海の海上交通の要衝だった児島に、深く関連していたのではないか?
もちろんミュージカルは、古代史論考ではない。
しかし、どこかでこのようなものを背景に、由加の鬼退治伝説は成立しているように思える。
それを題材にしたミュージカルを描こうとしたときに、娘の夢に私の構想の中にあるサルタヒコが舞台上のリアルシーンで登場してきた。
神話の中に、サルタヒコは「導きの神」として登場してくる。
続く。
次回はいかにして「最後の五匹」のストーリーが組み立てられたのか。
物書き志望の方は必見! かな?