最後の五匹・回想録1 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

一昨年の12月末。

私はある人と共に、出雲へ行きました。

その人を八重垣神社に連れて行くことが目的だったのですが、自分自身、このときにあることを胸に秘めていました。
創作に関することです。

八重垣神社ともう一つ、熊野大社に参拝し、その祈願を行いました。

その日のうちには帰還したのですが、帰った私を待っていたのが、

「Kさんから電話があったよ」
という母の言葉。

児島で文化活動をなさっているKさん。以前からの知り合いだ。

なんだろうと思って電話をかけ直してみると、

「児島で市民創作ミュージカルを作る。
その脚本を書いてもらえんじゃろうか」

なにかある、と直感しました。

Kさんは事務局のYさんと共に詳細を伝えにやって来られた。

「演出はM先生にやってもらおうかと思ってる」

M先生。
中学校の先生だが、岡山の演劇界ではこの女性の名前はよく知られている。
なぜなら二十数年間、教職に携わりながら演劇活動を続けてきて、教え子たちに「演劇ウイルス」をばらまき続けている方だからだ(M先生、スミマセンあせる)。

いや、良い意味で、です。

教え子たちの中には演劇のすばらしさに目覚め、その活動を続けている人も多い。

私の娘もまた、このM先生のウイルスにやられ、目覚めてしまった一人。
そう、娘の担任をしてくださっていたときもある。

「本当はM先生に脚本も頼もうかと思っていたんだが、先生は今、国文祭で忙しくて、どうしても時間がとれない。
そこで君にお願いに来た次第なんだ」

「でも、私は本格的な脚本なんて、書いたことがないですよ。
ましてミュージカルなんて」

しかし、ほかに地元に関わって、書く人間もそうそういない。

それに出雲参拝のまさにその当日に舞い込んできたこの話に、私の心は決まっていた。

やってみよう、と。


作家であったなら、その創作課程で不思議なことを体験することは非常に多い。
プロフェッショナルであればあるほど。
いや、この場合のプロとは、かならずしもそれで食っている人のことを指しません。

本物の書き手であれば、という意味です。

シンクロニシティ(共時性=意味のある偶然の一致)がとくによく知られていて、有名な女流作家の方も後書きの中で「結末に悩んでいるところに知り合いから、あるものが送られてきて、それが作品の中にぴたりとはまった」とかいうようなことを書かれています。

実際、私自身、ものを創作するときに必要としている情報が、はらっと目に入ってきたり、たまたま本屋で手にして読んでいる本に書かれてる内容が、「先生、今度のミステリー・イベントが決まりました。○○です」とまさにその土地に関するものだったり、ともかく枚挙にいとまがないほど。

私には霊感はありませんが、作家にはそうした不思議空間とつながる何らかの回路は開かれていることが多いようです。
それは霊とか、そういう怪しげな話ではなく、おそらくユングのいうところの「集合無意識」の海だろうと思われます。

市民創作ミュージカル「最後の五匹」を執筆する課程でも、この不思議な出来事、シンクロニシティは山ほどありました。

そもそも始まりからして、シンクロニシティそのものでした。

出雲参拝へ行ったまさにその日。
すぐに。

私はミュージカルのパンフレットの「作者の言葉」の中で、神様から「お前が書け」と言われたようなくだりをおもしろおかしく書いているのですが、もちろんこれはジョークとして誰の目にもわかるような書き方をしています。

しかし、個人的な受け取りとしては、そのような雰囲気を感じてはいました。
たとえそれが錯覚だとしても、こうした不思議な流れが、時として人を大きく揺さぶり、動かすことがあります。

そうして「最後の五匹」の構想と執筆が始まっていったのですが、その先に待ち受けるものを、私はまだまだ想像し切れていませんでした。

続く。