運命の逆転方法・2 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日の記事には、コメントやらメールやら、いくつか寄せて頂きました。

「運命の転換方法」として、かなり意外なものであることは確かです。
そして、なかなか受け入れられにくい方法であることも。

実際、私自身、時折、人にこの方法を教えることがあるのですが、その人自身、理解して実践できる可能性はちと低い。

なぜかというと、

たとえば前回の記事の中でわかりやすいのは、夫が浮気をして離れていく女性のようなケースかな。
そのようなケースで、

「夫とのことをあきらめる覚悟をしなさい」

というようなことを、かりに言ったとしても、普通は

「なんでよ! わたしは悪いことしてないのに、なんでわたしがあきらめなきゃいけないの」
「子供がいるのに、離婚なんかしたら子供がかわいそう」
「わたしは今でも好きなの! あきらめることなんて絶対にできない!」

という、かなり感情的な拒否反応を示す方がほとんどです。

あきらめるということは、一つの絶望です。
この絶望をするということが、そもそも人間は怖い。

それに自分があきらめてしまったら、それこそ全部ダメになるんじゃないかと恐れる。

夫に拒まれても、そっぽを向かれても、とにかくしがみついて離さないようにしておく。
そうして安心しておきたい。

でも、実際にそこに安心はないのですが。

そうしたくなる心情は、みなさん、痛いほどわかるでしょう。


ノストラダムスのこの運命の転換法は、一般的に言われている人生を良くする方法とは異なります。

マーフィの法則とか、よくある啓発本には、
「明るく前向きに、良いことを考えなさい」
「考えることが実現するのがこの世の法則です」
「心から信じられたら、それはかなう」
といったことが繰り返し繰り返し、語られています。

この「思うことが実現する」法則がこの世にあることは、私は知っています。
身をもって体験していますから。

しかし、非常な逆境の中で、土壇場まで追いつめられている人に向かって、
「良いことを考えなさい」
と言っても、そんなことできるもんか、となりませんか?

本当にその立場になってみたら、難しいことはたくさんあります。


ノストラダムスは先のサンピエールの槍の試合で、明瞭な予知をしていたのだそうです。
サンピエールはそのとき運気も良くなく、しかも相手の方が技量的にも勝っていて、しかも相手はツキまくっているような絶好調の運気だった。

つまり負けるのはサンピエールで、ノストラダムスにははっきりとその光景が見えていた。
絶対絶命ですね。

だからこそ、ノストラダムスはこの逆転方法に、うまくサンピエールを誘導した。

彼が死を覚悟できるように。
すべての執着から離れて、試合に臨めるように。

そうしたときにだけ、大逆転の可能性があることを知っていたから。

サンピエールはノストラダムスの言葉に絶望し、死を覚悟した。
この本当に絶望したところから、一つの開き直りの境地になったわけです。

「なら、潔く戦って死のう」
というような。


けれど、この現実の生活の中で、このようにうまく誘導できるチャンスは少ない。

私の立場から言えば、まず相手に絶望を与えなければならない。
これが難しいのです。

たとえば夫が離れていくその女性に向かって、

「彼はもうあなたのことなど愛していないし、別れるのが必定です」
ということを突きつける必要がある。

これは絶望を相手に与えるという勇気が必要です。

そこまで徹底した形では、なかなか行えない。

使いどころも重要です。

下手に使えば、相手は本当に絶望して、自殺するとか、最悪のことも想定しなければならない。
昨日の記事を読んだプロの占い師がいて、「なるほど今度やってみよう」などとうかつに思わないことです。

なかなかノストラダムスのようにうまく誘導はできません。

実際、別れが確定的に見えている場合もあれば、五分五分くらいの可能性の場合もある。

浮気をしていても、所詮戻ってくるだろうとわかる場合もあります。
実際、そうやって若い女性にうつつを抜かしていたいい年をした男性が、今ではもとの家庭に収まっているケースで、事前にそのように予知できていたことすらあります。
このようなケースでは、逆転方法は必要ありません。ただ待つようにアドバイスすればよいので。

しかし、どっちの転ぶかわからない、確率的には五分五分くらいになると、やってみる価値はあります。もちろん9割別れそうだというようなケースなら、よけいにやってみる価値があります。
その女性の対応次第で、未来が変わる可能性がある。

ところで、昨日のコメントに「執着を手放してみる」というのがありました。

昨日の記事の中には執着という言葉は出ていなかったのに、ここを理解されているのに驚きました。

ちょっとこの記事は続けてみようかと思います。

次回は「愛と執着」について。