今野はすでに見えなくなっていた。
麻衣は息を切らせ、マンションのエントランスをくぐった。
そしてまた暗証番号を入力し、中へ入った。
エレベーターホールへ行くと、ちょうど5階にランプが上昇したところだった。
エレベーターは一基しかない。
それがさらに上昇を開始した。マンションは9階まである。
麻衣は舌打ちし、階段を使った。
今野は自室のロックを交換している。
部屋に入るまでに捕まえたかったのだ、本当は。
部屋に籠もられてしまっては手も足も出せなくなるかも知れない。
すごい勢いで階段を駆け上りながら、エレベーターを待っていた方が早かったかも知れないと、ちらっと後悔した。
5階に上がると、もちろんすでに通路に今野の姿はなかった。
部屋に入ってしまっているに違いない。
動悸が激しいのは、全力で階段を駆け上がったからだけではない。
そういう早い動悸に混じって、異常な脈打ち方をする心臓の不整を感じた。
麻衣はバッグを開き、中からペティナイフをつかみだした。そして、それを後ろ手にして、背後に隠した。
まだ息が荒く、肩が上下してしまう。
それを落ち着かせながら、今野の部屋の前に行き、チャイムを押そうとした。
そのとき。
「おやめなさい」
すぐ近くで声がした。
ビクッ、と麻衣は振り返った。
「馬鹿なことはおやめなさい」
あの老占星術師が、そこに佇んでいた。
「相手を殺しても、あなたは救われません」
「な……な……」
麻衣はナイフを手に持って構えたまま、どもった。
「なぜ、分かったか? ということですか?
私はね、私のところに占いに入ってくる前に、ずっとマンションの方を見つめて立っているあなたに気づいていたのです。
私の占い小屋からは、あなたの立っていたところがよく見えます。
あなたは思い詰めたような顔をしていた。
そして、あなたは占いに来たが、バッグの中に手を入れて、指を切った。
あんなにスパッと切れるものを、普通バックの中に入れておかない。
それに、なによりも」
老人は麻衣の手首を取った。ナイフを握りしめている手の首を。
「あなたは今日、非常に危険なことをしでかしそうな星回りになっていた。
占いの時も、付き合っている男性のことを、気になっているだけとか嘘をついていましたしね。
なぜ嘘をつかねばならないか。
いろいろ考え合わせると、あなたのやろうとすることは見えたのです」
「ど、どうやってここに」
歯がカチカチ鳴った。
自分のやろうとしていることが見透かされたショックで、すでに気力も肉体の力も抜けてしまっていた。
「私もこのマンションの住人なんです」
指がほどけ、ナイフがコンクリートの床に落ちた。
「あなたがばかなことをやめると約束してくれるなら、このことは黙っていましょう。
あなたにはもっともふさわしい男性がいます。
だから、こんなことで人生を棒に振るのはおやめなさい」
すべてが凍り付いたようだった。
麻衣はへたへたとその場に座り込んだ。
目の前にナイフがあった。
すでに落ちた衝撃で、ナイフの先が欠けていた。
「どうですか?」
老人にと問われ、麻衣は無自覚にうなずいた。
この物語はフィクションです。