「縁……というと、結婚は縁だとかいう、あれですよね」
麻衣は尋ねた。
「そうです」
そんなあやふやなものまで、ホロスコープには表れるのか、と驚きを禁じ得なかった。
麻衣は「縁」などというものは、たまたま知り合った男女のことを表現する、観念的なものでしかなく、現実にはそんなものは存在しないと思っていた。
「あなたとこの男性は、ご一緒の職場ですか?」
「ええ、まあ」
どんどんまずい方へ行っている。
麻衣は老人に今野に関する情報を与えすぎていた。
それは麻衣のこの後の行動を、著しく制限してしまうことになる。
「たとえば学校で」
と、老人が言い、麻衣はぎくりとした。職場まで見抜いているのか?
「同じクラスの中には何十人も生徒がいますよね。
その中で恋愛感情で結びつく二人もいれば、何も生じない関係も多くある。
こういったことはなぜ起きてくるのだと思いますか?」
なんだ、たとえか、と安堵しながら、「分かりません」と麻衣は答えた。
「その同じ時期に、恋愛の星を持っている者同士が結びつくのです」
驚いた。
「もちろん一つのクラスの中には、同時期に恋愛に落ちそうな星を持っている人間は複数、かならずいます。
その度合いも異なります。
強い恋愛の星を持つ相手からの積極的なアプローチで、やや弱い恋愛の星を持つ者が、受け身のような形で関係を持つこともあるでしょう。
強烈な者同士が、互いに惹かれ合うこともある。
恋愛の星を持つ者同士、互いに非常に好みな性格や容姿を持っていたら、そうなる可能性は高い。
こうした共鳴現象は、そうした健全なものばかりでは生じない。
たとえば同じ時期、そのクラスの中に金星と天王星のハードアスペクトが生じている男女が二人いたら、その間でも強烈な惹かれ合いが起きることがあるのです。
金星は愛、天王星は離別の星ですが、このアスペクトで起きる恋愛感情は強烈だが、悲恋に終わることが多いと言われます」
「あ、あの、さっきからお話に出てくるハードアスペクトって、なんですか?」
「ああ、失礼。
アスペクトというのは座相のことで、まあ、言ってみれば星と星の間に結ばれる関係性のことです。
地球を中心にしてみた角度で判断しています。
ハードアスペクトはその中でも厳しいもので、分かりやすく言うと不調和、凶の座相。
ソフトアスペクトは調和的で、吉の座相と理解してもらっておいたらいいです」
「あたしとこの男性の間にも、同じような恋愛の星が今あるんですか?」
「ありますね。進行の金星と天王星の星が、共にあります」
「……それって、うまく行かないんですよね、悲恋の星だから」
「そうですね。その可能性は高いです。
しかしね、これもよく誤解されるのですが、進行図の中に出てくる星のアスペクトは『結論』ではなく、つねに『プロセス』なのです。
金星と天王星の関係があったら、絶対に別れるというわけではない。
その星が維持される数年間を乗り越えたら、うまく行くことだってあるのです。
それは二人の関係の中で、なんらかの試練や乗り越えるべき障害、トラブルはあるでしょうが」
いや、現実に別れてるから、と麻衣は思った。
「あなたとこの男性の場合、もともとの出生チャートの違い、愛情の違いが非常に大きく、もしこの金星と天王星の関係で恋愛が生じたら、別れる可能性は他のケースよりも格段に高いはずです」
はい、その通りです。
もともとうまく行かない関係だったってことじゃないか。
「このように好ましい恋愛の星、あまり好ましくない恋愛の星の違いはありますが、同じ時、同じ場所にいる男女に共有される星がある。
こういったものが、ホロスコープ上に表れる『縁』なのです。
もちろん縁は出生チャートの中に表示されるものもあります。
しかし、たとえば結婚して長く人生を共にする男女。
こういった二人の場合、進行図の中で先々までいくつかの星を共有していることが、よく見られます。
もちろん夫婦といっても別な人間ですから、なにもかも同じ星が巡ってきているなんてことはあり得ない。
しかし、夫婦というのは多くの場合、経済も生活も基盤を同じくしていますから、たとえば夫の会社が倒産して失業してしまうようなときには、もちろんその夫のホロスコープには大変な苦難が示されていることがほとんどですが、妻となっている女性のホロスコープにもなんらかのその影は出ているものなのです」
それが縁か。
麻衣は驚きを持って聞いていた。
「場合によっては、その縁が途中で切れてなくなってしまう場合もあります」
「そうしたら、どうなるんですか?
別れる?」
「別れる場合もありますし、心のまったく通わない夫婦として生活することもあるでしょう。
ホロスコープはただ起きる出来事を示すのではなく、起きた出来事から感じる内面の動きも表示しているからです。
同じ出来事が起きても、一人は悲しむが、一人はまったく悲しまない、という状態なら、同じ場所に存在していても何も共有していないのと同じです」
老人の話は恐ろしく奥が深く、なにか麻衣は未知の世界がそこに広がっているのを感じた。
が、慌ててその興味からは心をそらした。
なぜかよく分からない。
でも、そんなことをしたら心が折れてしまう気がした。
今野に復讐するのだという決意を固めた心が。
と、そのとき。
麻衣は窓の外に、男性の後ろ姿を見た。
先ほどまで麻衣が立っていたあたりを歩いて、マンションに向かっていく。
今野だった。
「あ、あの、ありがとうございました。
あたし、ちょっと時間がないので。
これで」
麻衣は急ぎ、老人に向かって料金を支払い、小屋を出て行った。
マンションにちょうど今野が入っていくところだった。
麻衣は駆けだした。
バッグの中のペティナイフを強く意識した。
この物語はフィクションです。