復讐するは冥王星にあり
「ありがとうございましたー」
レジの女性が軽くおじぎするのを尻目に、麻衣は身を翻すようにホームセンターを出て行った。
手にはペティナイフの入ったビニール袋を下げ。
車に乗り込んで、ペティナイフのパッケージを開けた。
刃渡り12㎝。
細身のナイフはもちろん新品で、軽く触っただけで皮膚が切れそうだった。
本当はもう少し大きな包丁にしようかと思った。
が、手の小さな麻衣には扱いにくいと思えたし、ペティナイフならバッグにも入る。
それに先端の細いペティナイフなら、きっと刃も入りやすい。
突き刺したときに。
魅入られたようにそれを見つめ、麻衣はそれをショルダーバッグにハンカチで軽く包んで入れた。
――本当にやっちゃうの、あたし……。
どこか遠くで考えていた。
他人事のようにどこかで自分を客観視している。
その一方で押さえようもない感情の塊を抱えた自分がいる。
心の中でなにか凶暴なものが猛り狂って、喚き、叫び続けている。
血の涙を流しながら。
この涙を止めるには。
少しでも慰めるためには。
行動を起こすしかないのだ。
車のエンジンをかけ、走り出させた。
麻衣は24才。
市内の小学校で勤務している。
大学を卒業してから一年、採用されるのに時間がかかってしまったが、去年の春からH小学校で働くことができた。
勤め始めてすぐ、同じ担当学年の教諭、今野と親しくなった。
今野は九つ年上で、その学年の副主任をしていた。
はじめての小学校の勤務に緊張していた麻衣の心を、いつもジョークで和らげてくれた。
年は離れていたが、穏やかで優しい男性だった。
麻衣はすぐに惹かれていった。
いや、気づいたときにはもうどっぷり、今野という男性に身も心を奪われてしまっていた。
同じ職場での恋愛ということになると、なにかと問題視されることが多く、転勤させられる可能性も高くなるため、二人の交際はずっと秘密にされてきた。
そのままでもよかった。
このまま何年かたち、自然に自分は今野の奥さんになるのだと信じていた。
なぜなら、これほど人を好きになったことはなかった。
だから、今野以外の男性や他の未来など、いっさい考えられなかった。
なのに……。
麻衣は車を近くの有料パーキングに駐め、今野の住むマンションに向かった。
足取りはしっかりしていたが、なにか夢を見ているようなふわふわした心地だった。
現実感があまりない。
一方で、心臓がじわじわと高鳴ってきた。
すぐに今野の住む高層マンションが見えてきた。
今野の家はかなり裕福で、資産もあるらしかった。
マンションも親からの援助で買ったものらしい。
何十回も出入りしているので、エントランスで暗証番号を打ち込んで、中に入った。
暗証番号は定期的に変更され、住人にだけ知らされる。
だから、それが変更される前でないと、中に入ることは難しくなる。
エレベーターに乗って動かそうとすると、一人、住人の主婦らしい女性が駆け込みで入ってきた。
「はあ、ごめんなさいね」
息を切らしたように言い、そしてじろじろ麻衣のことを見た。
麻衣は黙って頷いたが、胸の動悸が激しくなった。
主婦は3階で降り、麻衣は5階まで上がった。
今野の部屋の前まで行き、チャイムを鳴らした。
反応がない。その間、自分の心臓の鼓動ばかりを聞いていた気がする。
日曜日である。
あまり外出しない今野は、普通なら家にいるはずだったが、留主のようだった。
気配もない。
麻衣は震える手でルームキイを取り出し、鍵穴に突っ込んだ。
「!」
回らない。
何度かガチャガチャやってみたが、ダメだった。
錠が交換されていた。
――部屋の鍵、返してくれないかな。
――いやよ! 返すもんですか。
三日前のやりとりだった。
今野はさっさとロック自体をチェンジしてしまったようだった。
これでは部屋の中で待ち伏せることもできない。
それが理想だったのだが。
部屋の前で待っていても、他の住人の目に付き、不審を買うだろう。
どうする?
とにかく、マンションの外で待っているしかなさそうだった。
今野が帰宅するのを。
マンションの駐車場に今野の車はあったから、おそらくどこか近い場所に買い物にでも行っているのだ。
麻衣はマンションを出て、しばらく街角で佇んでいた。
そこでそうして一時間ほど過ごした。
辛抱強く。
しかし、今野が帰宅する様子はない。
部屋に明かりがつくこともない。
このままずっと待ち伏せていると、人目にも付く。
いや、すでにかなりの人間に見られている。
どうしよう……。
麻衣の目の前に、小さなプレハブ小屋があった。
市の中心街に近いのに、なにやら不似合いな小屋だった。
そこから女性が一人、出てくるところだった。
彼女は泣いていた。
それを拭いながら、送りに出てきた老人に向かって何度も頭を下げていた。
老人は柔和な笑みを浮かべていた。
女性が去っていく。
ドアのところに、無愛想に「占い」という札がかけられていた。
ほかにはなにも宣伝するようなものはない。
ふっと麻衣は、そのドアの向こう側に引き寄せられる自分を感じた。
理由はないが、なにかそれは強い力だった。
自分の運命が知りたかった。
そんな気持ちが勃然と湧いた。
それにここで時間を潰し、あらためて今野のところへ行くという手もあるだろう。
そのように理由付けし、麻衣はそのプレハブ小屋のドアを叩いた。
「すみません」
「はい」
返事があったので、少しドアを開けて中を覗いた。
老人が飲み物のカップを片づけているところだった。
「ここ、占いしてくださるんですよね」
「はい」
「これからできますか」
「よろしいですよ。今片づけましたから、さあ、どうぞ」
白髭と白髪の老人だった。
「おじゃまします……」
麻衣は老人の前に腰掛けた。
この物語はフィクションです。
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