市民文学賞に出席してきました |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

今日は第14回を迎えた、倉敷市民文学賞の授賞式でした。

私が審査を担当している文学では、今年は残念ながら大賞の受賞者はなく、一般部門と小中学部門合わせて、優秀賞二人、佳作が一人、表彰されました。

一般部門の優秀賞に入った方は、過去にも入選された経験のある男性。
初々しい中学3年生の男女が、それぞれ小中部門の優秀賞と佳作。

小中部門が設立されてから、授賞式の会場には可愛い子供たちが増えて、なんだか壇上に上がって表彰状を受け取る姿もほほえましいラブラブ!

お堅い表彰式の後に待っているのは、私たち選考委員と受賞者の方々との茶話会。

お茶を飲みながら、作品や文学について語ったりするのですが、この時間はいつも楽しいものです。

今日も中学生二人のお顔を拝見しながら、いろんな角度から作品評を行ったり、私は執筆者としての立場からお話をさせてもらったのですが、超感心したことが。

「書き手のプロとアマチュアの、一番大きな差はなんだと思いますか?」

私の方からの質問に、中学生の男の子が、

「読者のことを考えられるかどうか……?」

「正解グッド! よくわかったね」

そうなんです。
小説家のプロは、かならず書きながら読んでくれる人のことを考えています。

「この一行を読んだ読者がどう感じるか」
「ここまで読み進んだ読者が、今何を感じて、この先の展開がどうなると考えているか」

とかいったことです。
それは書きながら常にフィードバックされています。

これはかなり本能的なものですが、訓練によって養うこともできるでしょう。

私の場合は大量の読書を行い、同時に自分が執筆する過程で、自然と身に付いてきました。

たとえば私は、このブログを書いているときでも、読んでいる人にどのように伝わるかとか、より分かりやすくするためにはとか、もっとインパクトを与えるためにはとか、いろんなことを考えながら文章を紡ぎ出しています。

これができるのとできないのとでは、とくに小説の場合、雲泥の差が生じてきます。

アマチュアの方が陥りやすいのが、自分の書きたいことを、ただ書きたいように書いてしまうことです。
それで、たまたまうまく行くこともありますが、それはフロックです。

プロの書き手になればなるほど、物語を全体でどのように伝えるかというマクロ視点から、この一行の表現、一文字の表記の仕方といったミクロ視点まで、読者目線で同時に考えています。

こう書くと、「小説創作って、すんげー難しいし、面倒くさそう」と思われるかも知れません。
クリエイティブな作業として想像していたよりも、なんだか実務的で技術的だと感じられる方もいるかも。

けれど、実際にはこれらのことはほとんど本能的になされています。
「こうしなければいけないから考えてみよう」とか、いちいち立ち止まっていたら創作などできません。

こういったことが流れの中でできるようになれるかどうかが大きな問題です。
それはもう他の人の作品をよく読み、なによりも自分で書いて自らの血肉にしていくしかないからです。

読者目線で考えられるかどうか、というのは、要するに一般的な感覚での人間性や常識といったものを理解していないと難しい。
ものすごく残虐なシーンを最後に描いておいて、読者がどう感じるか、すぽっと抜けてしまっていたら大変なことです。
読者はいやあな読後感を持ち、もう作品を二度と読んでくれなくなるかも知れません。

プロでもこうした間違いを犯すことは、まれにあります。
過去に私は読後感の非常に嫌な推理小説を読んだことがあり、「読むんじゃなかった」と後悔したことがあります。
その経験も今になって大事なのですが。

こうしたセンスを持つことで、作家は読者が読んで面白いものを作ることができます。
「面白い」というのはたんに娯楽的に面白いことだけを意味しません。
読んで、「悲しい」「笑える」「ドキドキわくわくする」「驚く」などという喜怒哀楽のすべての領域で、面白さというものはあります。

このセンスが欠落していたら、いかに自分が「どうだ、これ面白いだろう」と思い込んで書いていても、読者の目から見たらちっとも面白くないとかいうことになってきます。
このセンスが磨かれれば、読者が「面白くて次々にページをめくってしまう」ということが起きてきます。

基本的にプロは、自分の作品を読んだ読者のことを考えていますが、その程度は作家によって異なります。
より自分本位な書き手もいます。
しかし、そうした作家でも決して読者のことは無視してはいません。

ただ考えすぎてしまい、自分の創作を失ってしまうケースもあります。
アマチュアの方でも、何をどう書けば受けるのかとか、今はこれでないといけないんじゃないかとか、主体性を失った思考を繰り返し、まとまりや主張、テーマ性のない小説を作ってしまうことは、よくあります。

そういう意味で、プロとは「自分の書きたいこと」と「読者目線」のバランスがうまく取れている書き手だということが言えるのかも知れません。

ピシッと書きたいことがあり、そこからぶれず、しかし、読者の気持ちが分かる人間。
それが物語の書き手のプロと言えるのかも知れません。

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