「はい?」
「その……人の運命とかを読んで、その人の運命を場合によっては変えてしまうんでしょ? それって怖くないんですか?」
昨年末。
あるところでご年配の(といっても、私よりもちょっと上の世代ぐらいの)女性から、そのようなことを言われました。
たしかに人の運命を解読し、それについて相手に情報を与え、そしてどうした方が良いのかといった助言を与えれば、その人の運命は本来の軌道からは外れることになるのかも知れない。
いろいろと考えられることはあります。
たとえばもう二十年くらい前の話ですが、私はある友人に「この冬を越えるまでバイクには乗るな」と言ったことがあります。
非常に明瞭な、事故のアスペクトがあり、それを刺激する時期が秋冬に存在したからです。
この当時からすでに、私はベースとなるアスペクトと、そのトリガーとなるアスペクトがあるということに気づいていました。
ところがその友人は、ある晴れた日、どうしてもバイクに乗りたくなって、それで通勤。
たったその一日で、交通事故を起こし、脚を複雑骨折するという事態に至りました。
交差点での接触事故。クルマで通勤しておけば、せいぜいがむち打ちくらいで済んだでしょうね。
ところが。
彼はその病院で、後に彼の奥さんとなる女性に出会ったのです。
そして今は二人の子供も成長し、幸せに暮らしています。
…………
つまり、彼がもし私の助言を100%聞き入れていたら、もしかしたら今の奥さんとの婚姻関係は生じなかったかも知れないのです

ただ、あるいはこうも考えられます。
①そうであっても、その人とはいずれどこかで出会っている。
または、
②その女性との出会いは消滅し、もっと別な女性との婚姻が生じた。
①のケースだと、私がどのように干渉しようと、彼の運命は変わらなかったことになります。
②のケースだと、私は彼の今の家族、子供たち二人も含めて、変えてしまったことになります。
②は非常に重大です。
少なくとも彼の二人の子供、これは今のような形ではこの世に存在していないでしょう。
しかし、形は違えど、魂は同一である可能性もあります。が、やはり同じ子供ではない。容姿も違っているでしょうし、血液型も違っているかも知れない。
母体が変わるので、きっとホロスコープも違っているでしょう。
私の干渉は、これだけの相違を作り出した可能性があるのです。
つまり未来を変えた可能性がある。
彼は私の助言を受け入れきらず、結局なるようになったのだと思われます。
晴れた日、ふっとどうしてもバイクに乗りたくなってしまった。
その思いも、未来に待っている奥さんや子供たちが手招きしたからかも知れません。
けれど、彼とは異なるケースで、どこかで私は他人の運命を変えている可能性はあります。
いや、きっとあるはずなのです。
私が提供した知識やチャートの星の使い方といった対処法で、運命の軌道が変わった人はいるはずです。
タロットはもっと露骨です。
場合によっては「そっちを選択してはいけない!」といったものが明瞭に出る。
過去の鑑定の中には、私の言葉やタロットを信じ、結婚の決断の大きな要因になったケースも現実にあります。
こういったことを考えると、怖くなってきますよね。たしかに。
「いえ、怖くないですよ」と、私は応えました。
「なんでですか?」その女性は問い返す。
「人は自分の運命に100%の責任を負っています。
私のところに来て、鑑定を受ける受けないも、大局的にはその人の運命の中にあることです。
それで運命が変わるのも、また運命です。
私はその人の大きな流れの中の、小さなピースの一つに過ぎません」
私の答えに、その女性は「あ、なるほどね」という感じでした。
実際には私のその解答は、十分な説明にはなっていません。
上記の解答だと、完全な運命論だからです。
実際には運命というのは、その人が作り出すもので、天や神が与えるものではない。
その人のこれまでの過去、あるいは前世的な行いも含めてもいいでしょうが、そういったものが未来を作り出していく。
また自分自身が生まれる前に作った魂の計画書、ブループリント。
なによりも、これが第一にある。
ということを考えたら、私のもとを訪れて鑑定を受ける人というのは、それによって生じる何らかの変化も、根底的には受け入れていると考えられます。
実際、鑑定の現場では、今まさに転機だ、あるいはもう少し先に重大なときが来る、といったタイミングで私のところへ来られているケースが、偶然ではすまされないほど確認できます。
生まれ変わりの研究報告の中に、人の人生、運命がどのようなものであるかの報告があります。
催眠状態でトランスパーソナルな意識状態になった人に、
「あなたの人生がどのように見えるか言ってください」と誘導すると、
「過去は一本の線で見える。未来はいくつにも分かれている」と答えるのです。
つまり未来は決まっていない。
意志と選択で無数の分岐が可能だと考えられます。
その変わり目で鑑定を受け、なにがしかの情報を得ることが可能な人は、それが必要とされている人であろうと考えられます。
だからこそ、鑑定を受けに来られる。
私に質問してこられた女性の中では、おそらく「運命では未来も決まっている」ものだったのです。
決まっているものを変えるから、それはとても畏れ多いもの、と思える。
でも、じつは未来は決まっていない。
決まっているのはチャートに示される一定のバイオリズムのようなもの、運気だけです。
運気の中で何を選択し、どう生きていくかは、すべて個人の責任です。
私は前述の友人が、かりにバイクに乗らず、今の奥さんや子供たちとの人生と違った道を歩んだとしても、彼の人生はちゃんと完成に向かっていたはずだと思っています。
今と形は違うかも知れない。
けれど、必要な体験はしかるべきときに生じ、しかるべき学びにつながっているはずだと。
未来を変える罪など存在しません。
追記
ただし、いい加減な占い師が、悪しき方向へ人を導くというケースも、実際にはあります。
この罪は存在していると考えています。
だからこそ、私たちは良き運命の解読者たるために研鑽しなければなりません。
自戒を込めての、追記です。
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