神話時代につながる何か |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日のこと。

過日の村の神社のお祭りの時にお世話になったS宮司さんに、お礼を兼ねてお会いしました。
このとき、ちょっとさまざまな複合的な事情はありました。チャート上。

まずお祭りの日。
私が氏子総代になって初めてのお祭りだったのですが。
この日、トランジットの太陽は私の出生の月に合になっていました。

太陽と月の合。
これは、もしかすると私がかなりの期間、私が神社のお世話をする暗示でもあります。
そうなるかならないかは別にして、ちと運命的なものを感じていました。


昨日お会いしたのは、祭りの時に来て頂いた方ではなく、厳密にはその旦那さんです。
ご夫婦で神職なのです。
その旦那さんの方のS宮司さんの話から、奇妙な因果がほどけてきました。

私の住んでいる倉敷市児島の由加山。
この児島という地域は、今でこそ半島ですが、昔は本当に島だったのです。
その頃、この児島に流れ着いた、役行者(えんのぎょうじゃ)小角の弟子たちが紀州の熊野三山をそのままここ由加山を中心とする児島に移した、という伝承があるのです。

これを新熊野三山といいます。

実際、倉敷市林にある熊野神社は、紀州の熊野の本宮に当たります。

紀州の熊野は、本宮、新宮、那智宮とあります。
私の地元にも、それがあるということ。

そのうち本宮は現存しており、新宮はジョウコウジというお寺の跡地にあったと伝えられています。

では那智宮は?

これは現、由加権現である由加山だと言われています。

が。

S宮司さんは、このことに少し疑問を感じておられるようでした。
むしろ私が氏子総代になったY神社こそが、本来の那智宮だったのではないかと、何となく思ってこられたとのこと。

紀州の那智。
いうまでもなく、那智の滝で知られる場所です。

S宮司さんは今でこそなくなっているが、本来はもっと豊かな水源があり、滝のようなものがY神社付近にあったのではないかと、仰るのです。
由加山には那智に比定するだけのものが、あまりないと感じておられるようでした。

たしかにY神社付近には、過去の名残を感じさせる豊かなわき水があります(それがよりによって、我が家の田んぼだったりします)。
もしかすると、忘れ去られた那智宮だったのかも知れません。

私は別な考えも持っているのですが、Y神社がなんらかの重要な役割を持った神社であったことは間違いなさそうです。


児島における現・本宮である熊野神社。このすぐ近くに福岡山という小山があり、その山頂に神社があります。
私は今回のミュージカルの仕事にかかる前、この神社と熊野神社、それともう一つの神社にお参りしています。
猿田彦をお祭りする神社だと知った上で。

ミュージカルの根幹に関わると思ったので、事前にお参りしたのです。

ミュージカルには猿田彦が「導きの神」として登場しますが、この仕事を手がけるようになるのと、私がY神社の氏子総代になることは、もしかするとどこかでつながっていたのかも知れません。

現・由加権現が江戸時代になって隆盛になる以前。

この地に何が秘められていたのか。

そう。

ちょうど島であった児島が、本州とつながった頃。
その頃、そしてそれ以前。

たぶん、この地につながれている自分と、どこかでつながっている。

そんな想いに打たれたzephyrでした。


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