運命は自らが決める・4 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

このシリーズ記事を書いている間に、不思議なことが現状で二つありました。
いや、三つありました。

このことについては、シリーズのおまけ記事として書こうと思っています。


<運命は自らが決める・1>
<運命は自らが決める・2>
<運命は自らが決める・3>
の続編です。

昨日の記事で、ちょっと補足しておきたいことがあります。
「人間関係の波及効果」「因果応報の法則」
これは生まれ変わりの研究報告に現実にあります。
誰かに悪意を発すれば、それは巡り巡って自分に返ってくる。

けれど、ネット上での書き込みや記事などにもそれが適応されるというのは、私の解釈です。
論理的な当然の帰結です。
自分自身の体験からも、また現に今、そのようなことを行ったがために自分自身が不調になっている人は、実に多く見かけますし、

それに、因果応報の法則は、これはどう見ても

「宇宙法則」

です。人間の意図を超えた、重力のような効果です。
たとえば水が高きところから低きところへ流れるような。
それを人間の意図で変えられるでしょうか? 無理ですよね。

ネット上のそれだけが例外に置かれる、というようなことがあり得るでしょうか?

ネット上で匿名で行うことは他人に知られない。
だからこそ、普通の人間関係では言えないようなえぐいことを露骨に言い、他人を傷つけ、それでも「誰にも知られないのだから自分に被害が及ぶはずがない」と考えるのは、この場合、あまりにも浅慮です。
ならば、人知れず人を殺した人間。
これも「知られていない」のだから、自分に被害はない。
因果応報の法則は適応されない。

などと考えられるでしょうか?

いや、その人自身の魂はすべてを知っています。


人の意識がすべて集まったものが集合無意識です。
それはトランスサタニアンと結びついています。
それは全人類の意識の海そのものです。

私たちは大洋の波の一つ。
波打ち際の飛沫の一つに過ぎません。

しかし、海はすべてを知っています。



だからこそ。

カルマ=業(ごう)と呼ばれるような出来事も起きてきます。

この言葉は、どっちかというと悪い意味合いで使用されることの方が多いと思われます。
とくに「業」。
業はサンスクリット語の「カルマ」を訳したものですが、

女の業。
女を泣かせる業。

などと言われます。この場合は、男や女に染みついた一種の逃れがたい宿命みたいなものとして語られています。

でも、本来のカルマの意味は単なる「行為」です。
つまりカルマとは行為の積み重ねなのです。
「行為」は、他人が知ろうが、自分だけの秘密にしていようが、なんら帳消しにはされません。

なにかをした。
なにかを言った。
すべて記録されています。
それをアカーシャという人もいれば、集合無意識の海という人もいます。
神と呼ぶ人も。
閻魔大王が善悪すべて帳簿に付けている、という表現も。


もし、私が今回の人生でとことん人を傷つけ、自分のことばかりのエゴイスティックな人生を送ったとしましょう。

そしてそのカルマ(=行為)を積み重ねたまま死に、やがて生まれ変わる機会を与えられたとき、私は次の人生の計画を立てなければなりません(ブループリント)。

そのときにそばにアドバイスしてくれる光(指導霊のようなもの?)があるそうですが、すべて最終決定は自分でしなければなりません(生まれ変わりの研究報告)。

そのときに私は、前回の人生を思い起こし、エゴイスティックだった過去世のバランスを取ろうとするかも知れません。

「今回はエゴイスティックな人と結婚するようにしよう。

そして、その人に泣かされ、苦しめられることで、そのような立場になった人の辛さ、悲しみを味わうようにしよう」

そのように計画する可能性はあります。

そして、その私のあらたな出生チャートには、7ハウス、あるいは配偶者を表示する星にまつわる重要な試練が語られているのです。


「前世の報いを今生で受ける」
というような表現が良くされます。

実際、生まれ変わったとき、前回とは立場や条件を入れ替えたコンディションになっていることは、よくあるようです。
(「カルマの法則」五島勉・著 詳伝社 NON BOOK)

前世の報い。
今生がこうなっているのは前世のカルマ。

このような言い方がされるのは、今も昔も、前世のことを透視できる霊能力者が存在し、霊能者がその人の現状と前回を突き合わせたときに、それがまさに「報い」を受けているように思えたからではないでしょうか?

しかし、私は実際には「報い」を受けているのではないのではないか、と考えています。

たった今、ここで生きている間に普通に暮らしていれば、多くの因果応報の法則を受け、生きている間に解消できるものも多いはずです。

しかし、どうしても解消できないほどの問題を抱えたまま人生を終えてしまったら、次の人生にその法則の適用が行われると考えるのも自然なことですが、私は普通の人は、これを自分の意志で行っていると考えています。

なぜなら、生まれ変わりの科学的研究は、自分の運命をある程度自分で決めていると報告しているからです。

もちろん人の魂の計画は多様な動機、多様な背景から決定されているはずです。
上記のたとえ話のように単純には決められていないものもあるでしょう。

念のために申し上げておきますが、
今、苦境に立っている人が、前世の何かのためにそれを受け取っていると断定などできません。

むしろそんなものとは無関係に、今回の試練を設定しているかも知れないのです。

だから、すべてを一括りにするような乱暴な論理は展開できません。

でも、夫婦関係のような、あるいは親子関係のような、非常に濃厚な人間関係の中には、過去の行為の解消、精算、あるいは本人の納得や学びのために選択されている辛いことも多いと考えられます。

他人とは違い、そういった人間関係には、非常に明瞭な繋がりがチャートにも表示されていることが多いからです。

それだけ魂の繋がりも深いと考えられます。

「それじゃ、どうなの? 前回、自分が迷惑をかけた相手に、今回は迷惑をかけられて、そんでもって来世ではまた逆に自分が迷惑をかける側に回るの?」

当然、このように思われるでしょう。

でも、これじゃ、不毛な堂々巡りですよね?

こんなのが私たちの人生でしょうか?

宇宙の生命のありようなんでしょうか?

中東で起きているテロ。

殺したら殺され、愛する者を奪われたから復讐し、その復讐の復讐をされる。

こんな憎しみの連鎖。

カルマの連鎖。

これがこの世なんでしょうか?


絶対に違います。

すべてを逆転させる魔法が、かならずあります。


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