wakaさんの昨日のコメントにお答えする形で、今日は記事を書きたいと思います。
ノー・アスペクトというのは、ある星が他の星といっさいアスペクトを取らない状態のことを言います。
その意味は?
ノー・アスペクトの星が表示する問題に関して、発展性がなく孤立する、あるいはその星単独で暴走する、という見方が一般的です。
アスペクトには主要なものだけでも
0度 コンジャンクション
180度 オポジション
90度 スクエア
120度 トライン
60度 セクスタイル
上記がいわゆる「第一種」と呼ばれるメジャー・アスペクトです。
主要で、強力なものですね(青がハードアスペクト、赤がソフトアスペクト。0度はどちらでもない)。
このほかにも第二種、マイナー・アスペクトとして
150度 クインカンクス(インコンジャンクト)
135度 セスキコードレート
45度 セミスクエア
30度 セミセクスタイル
パラレル(赤緯の合)
などがありますが、ほかにもデサイル、クインタイル、バイクインタイルなどもあります。
天球に散らばるこれら星々が、どの他の星ともアスペクト関係を結ばないというのは、比較的珍しいことです。
角度には許容角(オーブ)があり、正確な度数でなくても、それに近い度数ならば、アスペクトを結んでいるとする考えが一般的です。
たとえば天秤座10度と、水瓶座8度の差は118度ですが、これだと120度のトラインが生じていることになります。
ただ、そのオーブの幅は諸説あります。
均一に5度、あるいは6度、メジャー・アスペクトで強力なものは8度、太陽と月が参加して作るアスペクトはさらに広めに考慮する、第二種のアスペクトはオーブを3度、2度以内といった狭い設定にする、またアスペクトが接近なのか分離なのかで、オーブを使い分けるやり方もあります(接近とは二つの星がこれから正確な誤差なしのアスペクトを形成しようとしている段階で、分離は正確な度数を取った後、離れていく状態のこと)。
オーブを広く取り、第二種のアスペクトなども考慮すると、まったくアスペクトを取らない星は、かなり珍しいものになってきます。
ですが、基本。
アスペクトの強力なものは、第一種です。
そして、誤差ゼロの正確なものほど強力であるはずです。
オーブの取り方は占星術師の考え方、捉え方でさまざまですが、正確な度数が強力なはず、という見方は共通の認識です。
ノー・アスペクトは、厳密な意味では存在しにくい。
が、やはりなんらアスペクトを持たない星は存在し得ますし、またオーブのぎりぎり、第二種のゆるいものだけで構成されるアスペクトは、場合によってはノー・アスペクトに限りなく近いものになって行くはずです。
どのようなオーブや各種アスペクトのすべてを採用しても、完全に孤立しているケースもあるでしょうが、よくよく見るとそうでもないケースがほとんどです。
だから、私は現状、ノー・アスペクトについてこう考えています。
どこかで境界線があって、そこからいきなりノー・アスペクトになるのではなく、その境界に幅広い灰色エリアがあり、真のノー・アスペクトとそこへ限りなく近づくもの、半ば考慮するもの、ノー・アスペクトを問題にすべきではない程度のものといった段階的な判断をすべき。
というものです。
だから、本当にノー・アスペクトを論じる必要がある人は、ごく限られているとは思います。
とはいえ。
もちろん数は多くないですが、私は過去にノー・アスペクトのチャートに、遭遇したことがあります。
ある女性のケースでは、月がノー・アスペクトでした。
彼女の現実。
それは母親が、その女性に対して異様な執着を持ち、結婚にことごとく反対する、というものでした。
月は「母親」の星です。
世間的な常識に照らせば、その母親の行動はかなり異常なものでした。
今でこそ、その女性も結婚していますが、当時の状況はまさに月(母親)の暴走状態です。
月は2ハウスにあり、「所有」に関わる部屋での月で、しかも涙の度数、29度というおまけまで付いていました。
なぜ、このようなことが起きるのでしょうか?
あくまでも個人的な推論です。
アスペクトというのは、星と星が結び合って、ある影響を通じ合わせることです。
手を結び合っている、星同士が互いを意識し合っているという状態です。
これは、じつは人間関係と同じです。
ソフトアスペクトなら、良好で調和的な友人関係や愛情関係。
ハードアスペクトなら、対立や緊張を生む人間関係。
ハードの中にはいじめや抑圧、攻撃、反目、ライバル関係などさまざまなものが潜んでいます。
ハードな人間関係は、とても嫌なものです。
が、しかし。
どのような関係であっても、ないよりはあった方がよい。
人間関係の中で生じる最悪のものは、「無視」です。
これはどのようないじめよりも、本質的なダメージが大きい、もっともひどい孤立をもたらします。
このような立場におかれた人間は、気力を失って引きこもってしまうか、逆に切れて暴走するということも起きえます。
世界の神話をひもとくと、北洋神話のロキ、ギリシア神話のエリス、ハデスなど、仲間の輪から外れた存在の神が、破滅的な事態や争いごと、悲劇の引き金を引いています。
神話は占星術とも深い関連を持ちますし、また人類の無意識の集合したものでもあります。
疎外、孤立こそがもっとも深刻な事態を引き起こすのだと、今でも私たちに教えてくれます。
問題の彼女のチャートでは、月(母親)が孤立していたのです。
そのような母親との関係になりやすいこと、孤立感を持った母親になりやすいことが、出生チャートの中に示されていた。
と、考えられます。
wakaさんがコメントで述べられていた薬物で夫婦ともに逮捕された女性芸能人のかたですが、たしかに太陽がノー・アスペクトに近い状態ですね。
このかたのチャートは私も持っていますが、厳密には太陽は金星とセミスクエア、月のノードと合、火星とクインタイル、月、冥王星とバイクインタイル、MCとスクエアなどを持ちます。
つまり完全なノー・アスペクトではないのですが、第一種のアスペクトは月のノード、MC以外とは持ちません。
月のノード、MCは実在の天体とは異なりますから、ノー・アスペクトにかなり近づいたチャートだったといえるでしょう。
このかたのチャート解読は、太陽のサビアンシンボルと、月の二つのノード(ノースとサウス)との関係、そしてシングルトン的な機能を持つ土星に鍵があるとは思いますが、ここではやめておきますね。
太陽はすべてを統合した自分自身の本体です。
女性の場合は配偶者も表示します。
この太陽がノー・アスペクトになるというのは、たしかに場合によっては深刻な事態を引き起こす可能性があります。
しかし。
先の神話や、暴走したお母さんのことを思い出してください。
詰まるところは疎外と孤立が元凶ですから、人間関係の中でそれが生じたときには、相手と自分の間にそのような無関心が横たわらないようにすれば良い、ということが第一に言えます。
たしかにノー・アスペクトの太陽は、女性にとって自分自身の孤立や孤立感を持った配偶者の存在を表示するのかも知れません。
けれど、まず自分自身が世の中、社会、人との関わりから孤立しないことです。
積極的に関わって行くべきです。
「でも、そんな努力をしても、結局は運気が孤立なんだから、そうなってしまうんじゃない?」
疑問が湧いてくると思います。
大丈夫です。
というのは、この今の世の中で人間が完全に孤立して生きるということはあり得ないからです。
かならず誰かと関わっています。
チャートが示すものは、ある程度の現実もありますが、本質的にはその人の内面です。
つまり「孤立」というのも、じつはその人の感じ方の表示されたものなのです。
「自分は独りだ」
と感じたとしても、じつはそうではない豊かな人間関係が、周囲には溢れているかも知れないのです。
さきの芸能人のかたでも、またその夫だった人のケースでも、本当はただそこに気づきさえすれば良かったのかも知れないのです。
この宇宙では、真の孤立はあり得ない。
ゆえに、ノー・アスペクトは一見そう見えるに過ぎない現実や感じ方を表示している。
金星、火星、木星。
それらがノー・アスペクトであれば、たしかにその星の力は、機能しにくくなってきます。
けれど、問題は同じです。
真の孤立はなく、つながらない星は一つとしてない。
私はそのように考えています。
そのような星と付き合っていくことも、その人の人生にとっては重要な計画のはず。
最後に一つ。
ノー・アスペクトだけを大きな問題として取り上げるのは、例の天中殺や大殺界と変わりないと思います。
チャートの総合的な解読があって、はじめてノー・アスペクトも論じる価値が出てきます。
感覚的には、ノー・アスペクトもまた一つのハードアスペクトみたいなものだと捉えておいた方がよいかも知れません。
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