占星術と占星学 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ある人を通じて、聞かされたことなのですが、

「なぜ占星なんだ?」
「占星じゃないのはなぜだ」
「ちゃんと裏付けを取らないから、いつまでたってもで、学問にならないんだ」

これは、べつに私個人に向けられたご意見でなく、世に広まっている「占星術」というものに対する、そのかたの偽らざる感想です。
つまり一般論として申されたのが、たまたまある人を通じて、

「こんなことを言ってる人がいたよ」

という形で耳に入ってきたのですが。

これは理解できます。
が、かなり誤解がありますあせる

世間に広まり、よく知られている「西洋占星術」「数秘術」「六星占星術」「九星術」などの言葉には、よく術という漢字が入っています。

だから、西洋占星術がじつは歴史的に学問的な体系を背景にしているということを、まったく知らない人がいても不思議ではないのです。

が。歴史的には、占星学は天文学と一体のものでした。

それがやがて分岐した。

これには科学合理主義の台頭ということを考えなければなりませんが、これは、まあ、ここでは割愛致しましょう。

とりあえず、「術」と「学」の問題を考えたいのですが。


「医学」と「医術」という言葉の対比を考えてもらったら、非常に分かりやすいのですが、これは今でも日常的に使われる言葉ですよね。

医学は、医療の技術や研究、知識全般をテーマにする学問です。

そして、医術はそもそも学問で得られた知識や技術を元に、広く一般にその学問の効用を与えようという「術」のことです。
 
この点からいえば、広い意味での「医学」の中に「医術」は含まれそうです。

が、特質からいえば、「医術」は医学を背景にそれを人に施術するもの、という意味づけができそうです。つまり現場のお医者さん、またはその処方箋みたいな意味合いですね。

占星学と占星術の関係も、まったく同様です。

これは他の「術」を名乗っている占術も同様です。かならずその占術には、それがバックグラウンドとする知識、学問が存在するはずです。


じつは「ナントカ占星術」と名乗った方が、実用的な感じがする。
役に立てる功利的な印象があるのです。

ここに「占星術」という言葉の方が、一般的には耳に入りやすい理由があると思います。

「なぜ占星なんだ?」
「占星じゃないのはなぜだ」
「ちゃんと裏付けを取らないから、いつまでたってもで、学問にならないんだ」

とご批判を行ったかたは、たぶん一般に流布している「占星術」という言葉以外に、「占星学」というものが古来から現にあることを、たまたまご存じなかったに過ぎないと思います。

これは今の日本人全般の風潮からいって、当たり前のことかなと思います。

しかし、真実は「占星学」そのものも存在しているということです。

それを(一般的には)耳にすることがあまりないとしても、「占星学」そのものなくして「術」も存在し得ない。
注・じつは「占星学」という名を冠した書物も、この世にはたくさんあります。

「ちゃんと裏付けを取らないから、いつまでたっても学問にならない」というのも、やはりやや的はずれなご意見で、たとえば私が先日行った、四柱推命の空亡とホロスコープを突き合わせるというのも、ある意味で科学的な手法です。
そして、この試みにはかなりの割合の人が、コメントやメールで「実情はどうだったか」ということをお知らせ下さいました。

これなどは「裏付け調査」そのものです。

こういった努力、営為を研究家はずっと行ってきました。


じつは私の天中殺・空亡をホロスコープと比較する企画には、ご批判もありました。
空亡や天中殺に関しては、そのジャンルの人間に任せておけばよく、西洋占星術をメインでやる人間が口出しすべきではない、というご批判です。

たぶん、私がやろうとしていた主旨を、よくご理解頂けなかったのでしょう。
それには私のブログ上での説明不足もあるのかも知れません。
私は単純に、「天中殺や大殺界、空亡などの理論が四柱推命という母体の理論から離れて一人歩きして、場合によっては人を惑わず結果になっている」ということに警鐘を鳴らしたかったに過ぎません。


ただ、私は普段、サービス業に従事しているので、これははっきり言えることなのですが。


たとえば、フランス料理のシェフがいたとして、

自分のやっていることが最高のものだと思い込んでしまって、他からの知識の流入や刺激、客観的な判断を拒否してしまったら、

その店は危険です。

たぶん先行きは……。

むしろ、たとえフレンチが本分だとしても、ときには和食や中華、もっと知られざる食文化を知ってみる、楽しんでみるという気持ちのゆとりがある人間の方が、ずっといい仕事をします。


占星術に関したものも、まったく同様だと思います。

ときには他の占術、占学について学び、研究してみる。


このような心のゆとり、広さを持っているのも、一つの道だと思います。

ただ、

この道しかない、と思い定めての道もあると思います。

それも私は否定しません。

一芸を、ただその領域だけに絞ってきわめて行く生き方もあると思うのです。

たぶん、到達するところは同じです。
どのプロセスを辿っても。

けれど、

私は性分的に、占術に関しての自分のメインの土俵ははっきりしていて、それはぶれないのですが、他との関連性や比較研究、あらたな占術の可能性といったものを除外したやり方はしたくないのです。

もし、他の影響や知識を排除するやり方を選んでいたのなら、私は現状のホロスコープを選んでいないはずです(人生の設計図は自分で作る=ホロスコープはブループリントが表示されたもの)。


これは占星術との私の関わりにも関係していて、たぶん私とそれとの関わりは、「術」ではなく「学」にかなりの割合がおかれていると思えます。

私のブログを読んで、「学術書のよう」というような評価をくださった方もいらっしゃいますが、それは過分にしても、「研究しよう」という態度から感じられたのかも知れません。

地震の予測にしても、他のことにしても。

現実とチャートの照合、裏付け。

過去、私はこれをずっと行ってきましたし、連綿と続いてきた記事がそれを証明してくれるはずです。


ホロスコープ・チャートの解読は、本当に深淵なるものです。

底はない。

そこからまた応用できるものも見つけられる。

そして現実に役立てられる方法論を、これまでも見つけてきましたし、今もまた見つけ続けています。

人の幸せのために。


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