愛とはなんですか? |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

「zephyrさんにとって、愛とはなんですか?」

面と向かって、こんな質問をしてきたやつがいます。
M君です。
ある日、仕事で一緒になったその隙間に話しかけてきました。

「愛ってなんですか? 愛とわ」

M君独特の、ちょっと気取った言い方。
彼を知っている人は想像して笑うなり、鳥肌立つなりしてください(笑)。

でもね、彼は結構まじめなんです。
で、いつも結構まじめに悩んで、あれこれ考えている内に自分でも訳が分からなくなってくるタイプです。

思うに、人の思考能力には「拡散」と「収縮」がある。
この拡散型の人間には、興味や研究の対象がむやみに広がってしまい、収拾がつかなくなってしまう傾向があります。
考えている内に、次から次に連想ゲームみたいに思考が広がってしまうのですね。

たぶん、M君はこのタイプ。

収縮型の人間は、逆に思考がある一点で留まってしまい、他へ広がらない。他へ動かない、興味も示さない。
ただ、思い込んだら、という強さがあります。

この拡散と収縮のバランスが取れている方が、他人の気持ちも理解しやすい。

拡散型だと
「あいつはこういったけど、やっぱりそれが本音なのかな」
「いや、でも、そう言いながら、本当はこう思ってるんじゃ」
「待てよ。前に友達がこんなことも言ってたな。もしかすると、そういう可能性も」
といった具合に、「あいつ」の心に関してのさまざまな憶測が憶測を呼び、しまいには訳が分からなくなってしまいます。

収縮はこれに適度な抑制を加え、バランスを取っていこうとしますから、拡散した思考をあるレベルで現実に引き戻すことができます。
結果、ある程度の可能性や視野の広さを残しながら、焦点の絞れた思考に落ち着くことができます。
うまくこれができる人は、自分や人、物事を客観視することができる人です。

M君はそういうのが、ちょっと苦手なんですね。
で、思いあまったときに、そんな質問になってくる。

「愛ねえ」

私はちょっと考え、言葉を選びました。彼の質問してくる背景とか、考えながら。

「自分にとって愛というのは、他の人を幸せにすること」

「じゃ、恋と愛の違いはなんですか」

「恋は消える可能性があるもので、愛は消えない可能性があるもの」

どんな恋人同士でも、恋愛感情そのものはそのピークが持続することはありません。
相手に焦がれる思いだとか、胸締め付けられる切なさとか。

もちろん恋愛感情をお互いに持続させている夫婦なども、ごくまれに存在しますので、消えると一概に断定するのはどうかと思います。
しかし、ほとんどのケースでは互いの存在が慣れて日常化したところで、恋愛感情は鎮静化に向かうでしょう。

けれど、愛はどのような関係性でも持続する可能性があります。

この「消える」「消えない」という傾向を考えてみれば、恋と愛の質の差が明瞭になってきます。

恋、恋愛感情というのは、たとえば夫婦になるとか、長く付き合って恋人としても安定した関係になると沈静化して行く。
ということは、恋というのは「相手を求める衝動」なのです。
「求め合う衝動」といってもいいかも。

でも、片思いも「恋」には違いないですからね。
とりあえず「相手を求める衝動」と考えたらいいでしょう。

だからこそ、相手との関係が安定したり、法的に自分の所有物になれば、その衝動はおさまっていく。
求める必要がもうないから。
安心するわけです。
逆にいえば、恋の背景には「不安」という感情が潜んでいることになります。

失ってしまうかも知れない。

自分から離れてしまうかも知れない。

そばにいないとき、どうしているんだろう?

わたし以外の誰かと会ってたりしないのかな?


……会いたい。




これが恋です。

でも、愛は違っています。
愛は消えずに、存続する可能性がある。
その形、やり方はさまざまかも知れません。
人の数だけ愛はあるかも。

でも、私は愛とは「相手を幸せにすること」「相手の幸せを願うこと」だと思うのです。
こう定義付けしたとき、子供への愛も、配偶者への愛も、恋人への愛も、上記の言葉でくくれるようになります。

恋が不安を背景にしているのに対して、愛は安心の上にも生き続けられます。

「なるほど。どうすれば、その人を幸せにできるんですかね」

M君は考え込みます。

「幸せって、人によってさまざまだからね。

でも、あんまり難しく考えなくて良いんじゃないの?

たとえばその相手が、君と一緒にいるときに笑顔でいたら、それはそのときその人が幸せを感じているって思っていいんじゃないかな。

幸せってことを自覚して考えてはいないかも知れないけど、笑っていられるってことは、幸せのはず。

だから、その人を笑顔でいさせてあげるように行動すればいいんじゃないの?」

「なるほど。オレ、難しく考えすぎてました」

M君、超納得。

青春まっただ中。
見ているこっちが恥ずかしいわっあせる


てなことがありました。

この記事を読んで、腹を抱えて笑った人もいるかと思いますが(ごく近い人たち)、

じつは前々から考えていたことがあります。


月1か、隔月くらいで、ブログ上で無料鑑定を実施しようかと。

なぜか?

面談での鑑定も順調に伸びてきて、メールや電話のお問い合わせもあります。

私のような未熟な研究者を信頼してくださって、本当にありがとうございます。

私はこの占星術やタロットを使った鑑定が好きです。

何が好きかって、人の幸せのお役に立てると実感できる瞬間があるのが、一番の喜びなんです。


無料の、タダの鑑定は、場合によっては、有害なこともあります。
相談者にとってもタダの占いは対価を払わない、無価値なものになってしまい、真剣に受け取らない。
こちらは労力や時間を割いているのに。
というようなことが発生してきます。

これでは、私もたまりませんし、できません。

それにこういった鑑定には、きちんと対価を払った方が、その人のためにも良いのです。

ただ。
ここへ来て、私が占いという作業の中から受け取っているものの、何パーセントかを皆さんに還元したいという想いも強くなってきました。

私がこの仕事をしている最も大きな動機は、人に幸せになってもらいたいという願いです。

そのための一助にしてもらいたい。

でも、さまざまな理由で鑑定を受けられない人もいます。
ためらっている人も。

そこで、これまでとはちょっと違った門を広げてみようかと。

とりあえず試験的に。

スタートの時期は秋ぐらいになるかな?

すぐはちょっと無理。

方法も考えて、不備がないようにしないと。

そんなことを考えておりましたところ、M君から相談を受け、ふとこの記事を今書こうかという気になりました。

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