別れは寂しさのためだけにあるんじゃない |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日の夕日は、きれいでした。
そして、昨日は私が勤務しているホテルから、1人の女性が去った日でした。
身体的な事情など、様々な事情からホテルをやめることになったUさん。
みんなに愛されていた、というよりも、とくに下の子から慕わされていた「おねえさん」でした。
彼女が抜けることは業務上も痛手が非常に大きいのですが、それ以上に彼女を慕っていた多くの子らへのショックのほうが大きいかも知れません。

私自身、よく話す相手だったし、娘を通じた別なつながりもあって、彼女が去ることには複雑な思いでした。
ずっと長い間、ホテルという環境の中で、誰ともつかず離れずでつきあってきたのですが、なぜかわからないけれど今年に入ってそれが崩れてしまった。
感情面で親和性を感じてしまう人たちが何人かいて、それを否定できない自分がいました。
チャートを開くと、そこにはそれなりの大きな理由が見いだせるのですが。

Uさんはその1人だったので、私自身、寂しいという思いを久々に味わいました。

帰りの車の中で、二年前の夏、バイトとして続けてきたホテルを一度やめたときのことを思い出しました。
そのとき私は一種の引き抜きにあって、別な会社の仕事を手伝うということでやめたのですが(バイトだったし、職業上失うものは何もなかった)、そのときに大勢の人がホテルマンとして最後の私に会いに来てくれ(遠方から来た人もいた)、最終日にはいろんな人に泣かれ、花を贈られ、身に余る餞別を渡され、そして深夜の勤務を終えて、帰宅したことを思い出していました。
そして、帰宅していた私を待っていたのは、玄関を入ったところで膝をそろえて待っている妻と娘でした。
「お帰りなさい」
長い勤めの終え、「家族」のもとへ帰った私を迎えてくれた妻と娘。十何年間という、そのすべてが詰まった「お帰りなさい」だった。

あのときのことを思い出し、私は今、幸せなんだと感じた。
そして自分が帰るべきところ、あるべき場所はそこにしかない。
本当に大事にすべきものは、今そばにある。

車の中で走馬燈のように、あのときの思い出がよみがえってきました。

結局、私を引き抜いた社長が仕事をうまく段取りすることができず、報酬面でも嘘が露呈してくるにしたがって、私は早めに見切りをつけ、新しい仕事から離れ、恥ずかしながらホテルに戻ることになった。
K配ぜんスタッフとして。

しかし、あのとき一度離れたからこそ私は大事なものをいくつも取り戻すことができた。この仕事の喜びも深まったし、なによりも家族への愛も深まった。
この不完全で身勝手な私という人間。
少しばかり人間らしくなれた。
今もなお不完全で、欠陥だらけですが。

きっと別れは寂しさのためにだけあるんじゃない。

Uさん。
みんながあなたを愛していた。
みんながあなたのために泣いたのです。
だから、その分、あなたは自分らしい人生を生きなきゃ。

「さようなら」と言って、縁を切るつもりはないので。
see you again!

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