私の前世・2 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日の続きです。

じつはこの記事は、ある方のブログの中に、ある別な方の前世のお話として紹介されていたものが、かつて自分自身が聞かされていた前世話と酷似していたため、書く気になりました。
もしかしたら、あのとき聞かされた自分の前世……あれは本当のことだったのかもしれない。
ふと、そんな思いを抱いたのです。

今まで何度か書いたことがあるのですが、私はこれまでの人生で何度か「霊能者」と呼ばれる人間とおつきあいをしたことがあります。
その中には、もはやろくな力も持たない(かつてはあったらしいのですが)詐欺師もいましたし、人格的にどうなの? というような人間もいました。
しかし、あきらかに力を持っていると感じられた人間が二人います。
たとえば人里離れた私の家に夜中、意識だけで訪れて私が何をしていたか見ていて、それを次の日に指摘する、とか。
予知能力もありましたり、人の意識を読むこともできました。
そういう人とおつきあいがあった私は、霊能力の存在を認めざるを得なかったし、また自分の子供にもそれを突きつけられたことがあります。<彼女はその小さな瞳で何を見たのか?>の記事がそれです。

そのお二人の霊能力者、ここでかりにAさん、Bさんと呼びますが、彼らとは人生のまったく別な時期に関わりを持ちました。
そして、どういう話のなりゆきだったのか忘れましたが、それぞれに前世を透視してくれました。
Aさん。
「あなたの前世は江戸時代の初期に生きた子供。大火で孤児となり、ある物書きの先生に拾われる。その先生のところで助手をしていたんだけれど、今で言うゴーストライターです。あなたの書いたものは、『今はこんな世の中だけど、やがてはこんなふうな世の中になる』という予言みたいものだった。それが幕府に禁書とされ、親代わりだった先生は処刑。あなたは隠岐(島根県)に流刑になる。そこで子孫を残します。嘉……なんとかという名字は、あなたの子孫です。あなたはやがて島を抜け出そうとしますが、そのときに遭難し、亡くなりました」
私が衝撃を受けたのは、予言的なものを自分が書いていたということです。当時すでに私はプロの小説家にほとんどなりかかっていました。しかし、振り返ってみると、私が高校時代に書いた処女作は、まさに近い未来を予測する予言小説だったのです。もちろんAさんにはその小説の内容は話していません。
さらに隠岐には嘉本、嘉美といった名字があることを後で知りました。

Bさん。
「お歯黒の女性が見えます。あなた自身の守護霊のようですが、あなたの前世でもあります。そのときのご主人は武家……みたいですが、今のあなたの奥さんです。そして今の長女さんは前世では長男でした。この前世でのお子さんは、予知能力を持っていました。そして大きな地震が近畿地方に来ることを予知していました。あなたがたはご主人の仕事で今の三重県のあたりに赴任していましたが、地震の予知がありながらそこを動かず、あなたはお子さんをその地震で亡くしてしまいます。もちろんご自分たちもその地震で死にました」
これには驚きました。
今の妻が夫? 私、お歯黒? ぜんぜんファッショナブルじゃないぞ!って、当時はファッショナブルだったんでしょうね(笑)。
そして長女が、前世の長男。しかも予知能力を持っていた?
その能力がありながら、私は母親としてその子を守れず、死なせてしまう。自分も一緒に死んでしまう。
地震で。

ただ長女は冥王星の影響が強い子で、おそらくですが、霊能的な才能があるのではないかと、私はチャート上は感じていました。
それに思い当たることもなくはなかったのです。

長女は赤ん坊の頃から物心つくまででしょうか、異様にお父さん子でした(これは長男にも言えます)。
母親である妻が抱くとなかなか寝付かないのに、私がやるとすっと寝付いたり。
それに長女と自分の間には、偶然では片づけられない因縁めいた生まれの問題があります。
これも以前に記事にしたことがありますが、四柱推命で調べたら、長女と私は出生月と出生日の干支が完全な合になる関係で、これは10年に一度しか発生しない究極的な相性なのです。
よほど深いつながりがあるとしか思えません。

Bさんの指摘したのは西暦千年よりも少し後の時代だったように記憶しています。
今あらためて調べてみると、1361年、南北朝時代、近畿地方をマグニチュード8.4とも推定される大地震が襲っています。
おそらく指摘される地震は、これでしょう。
お歯黒は、最初は貴族の風習でしたが、後に武家にも流行するようになっていますし、おおよそが合致するように思います。

Aさん、Bさんの話はまったく別な時代、別な人生です。
これが両方ともあり得るのか、どちらもがでたらめなのか、科学的に検証する方法はありません。
しかし、どちらもあるキイワードで結びついています。
それは「予知」「予言」ということです。

私は今、なぜ地震の予知研究を占星術で行っているのでしょうか?
じつは理由が分からないのです。
やむにやまれぬ衝動というのか。
もしかすると、過去の人生の中で愛する子を、その子の予知にもかかわらず生かせないまま亡くしてしまった悔悟、今度こそは子供を守り抜こうという決意、そんなものが私の魂の奥底に潜んでいるのかもしれません。
なんとなく、この二つの前世話には、納得させられてしまうのです。
それだけ、すっと私の中に入ってくるものがあります。もちろんこれは本人でないとわからないのだけれど。

ただ、私はこうも考えます。
前世の知識は、とくに必要ない、と。
もし必要があるのなら人間はそれを記憶の中に携えて生まれてくるはずです。忘れてないはずです。
もし、絶対にそれを必要とする人がいるのならば、その人は催眠術による前世療法などといったものとも、人生のどこかで出会えるようになっているはずです。
しかし、ほとんどの人は前世の情報などなくていいはずです。

というのは、魂の計画書、ブルー・プリントには、これまでの輪廻転生の流れ、長所短所も織り込まれた形でのプログラムが刻み込まれているはずだからです。
この人生を生きるだけで、その計画の何割かは達成されるはずなのです。
今できることを一生懸命やれば、十全に達成されるでしょう。

100%というのは難しいかもしれません。
人間、つい怠けたり、さぼったり、なすべきことをなせなかったりするものです。
でも、生きているだけで本当はいい。

前世話というのは盛り上がるし、興味をかき立てられます。
でも、興味本位にいじくりまわすのはどうかと思います。
そんなことよりも今ある日常を、大切に生きた方がよい。
そう思います。

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