あ、いや、誤解しないでくださいね。
私は霊能力的なものはありません。単純にチャートを読んでいると、わかることがある、という程度です。
それもあくまでも現状のチャートからの逆算的な推論に過ぎません。
だから、本当に正しいかどうかも分からないわけです。それに、いつもそのような観点で解読しているわけではないので、まったく分からないときもあります。
ポイントとしては、土星、冥王星、月のノース・ノード、サウス・ノードなどが挙げられます。
土星は現世での宿業的要素を示しますし、冥王星は過去世からの宿業的な要素を示します。月のノードの内、サウス・ノードは前世での悪縁(悪しき癖のようなもの)、ノース・ノードは前世のでの良縁(積み重ねた徳のようなもの)を表示しているという説があります。
もちろんこれらだけを読み取るのではなく、チャート全体の中でこれらの星がどのように機能しているかを解読することで、はたと「ああ、この人はこういうことを解消するために今回生まれてきたんだろうなあ」ということが、なんというのか、スパーンと理解できることが(たまに)あります。
言っておきますが、いつもできませんので(笑)。
私の場合、土星は水瓶座にあり非常に強力です。トランスサタニアンの支援を一身に受けている水星を除けば、最強に近いのがこの土星です。
この土星は5ハウスにあり、これは私が今回の人生で背負っていくべきもの、克服すべき障害を暗示しています。
5ハウスには子供という意味が単純にあります。二人の子供がこの土星付近の水瓶座で生まれていることは、ぞっとする符号です(怖くはないんですけど、できすぎています)。
そして二人の子のチャートには、どちらも土星の影響が非常に強く出ているのが読み取れます。
土星、父親です。
つまり私たち親子の間に、ものごっついつながりがあるわけです。それも普通の親子関係以上のものです。
この子供のことが、私の人生のテーマの一つなんだろうなと考えられます。
とすると、この子たちとのつきあいを誤れば、この土星は私に大変な苦難をもたらしてくるはずです。
私の場合、月のサウス・ノードも同じ5ハウスにあります。
やはりなんらかの「負」の因縁がありそうです。
私が過去世から抱えてきたであろう、なんらかの「負の要因、傾向」「今回の人生で解消すべきもの」は、どうやらこの5ハウス、水瓶座にありそうです。
5ハウスには他に遊興や恋愛、投機、ギャンブルなどの意味があります。
ギャンブルは、学生時代にはパチンコなどしたことがありますが、最近ではまったく縁がありません。する気も起きない。
投機も縁がございません(誰か株式投資が行えるぐらいのご支援を……)。
5ハウスは個人的な喜びの部屋で、ここに太陽や重要な星が入っていると、とにかく人生を謳歌したがります。ゲームに熱中する人もいます。個人的な楽しみですから。
ここに非常に強力で、この上なく真剣そのものの土星が入っている私は、趣味が真剣ものものになる可能性があります。つまり、これです。占星術。
ほかの創作活動もそうです。娯楽を真剣にやる。
こういう傾向が出てくる人がいるのです。
また5ハウスの土星は、恋愛問題、異性関係で様々な障害を引き起こすことがあります。
真剣な恋愛しかできず、遊べない。これが普通に考えられることです。
しかし、土星の負の部分を強く受けると、自ら好んで異性関係に問題を抱え込もうとする傾向も出てきます。こういうケースでは、土星に反発するように乱脈な関係を次々に作り出す人もいます(あ、私は作ってませんから

ただ、異性関係の部分では、過去には心が自壊しそうな体験をしたことがあります。
これについては、ここでカミングアウトする勇気はありません。いつかできるのかもしれませんが。
普通の失恋なんかじゃなかったのです。
とんでもない体験でした。
そのときのことはまだ心に残っていて、どのように解消すべきなのかもわかっていません。
こうして考えていくと、どうやら私に該当しそうなのはギャンブル以外の部分ではないかと想像されます。
ほかのすべてが実現したか、今なお進行形です。
私は今回の人生で、極端に「遊び」の少ない人生を送っているようです。
というよりも、他人からはそう見えるということでしょう。しかし、本人は真剣に遊んでいるので、じつは不満でもなんでもないのです。
ごく標準的な人は享楽のためにテーマパークに出かけたり、旅行に出かけたり、ゲームをしたり、ゴルフをしたり、恋人と濃密な時間を過ごしたりしているのに対して、私の喜びはもっと別な形を取っているにすぎません。
実は誰よりも真剣に遊び暮らしているのが私なのです。
だから、今回の人生はものすごく楽しいのです、じつは。
なぜ、このような人生を選択しているのか?
これは癖というのもあるでしょう。
確信的に言えるのは、私は過去世のどこかでもかならず占星術やタロットを学んでいたはずです。
そうでないと、独学だけでここまで至っていることが異常です。
しかし、勉強すれば次々に身に付いていくのです。
まるで思い出すかのように。
これを続けたかったというのはあるでしょう。
しかし、それ以外の要因もあるのかもしれません。
それを示唆してくれた人が、じつは二人います。
長くなったので、次回に続きます。
次回は、私の前世を見た霊能者のお話。
