いつものようにホテルの勤務を終えて帰宅し、妻の作ってくれた料理で一杯やっていました。
すると、いつも離れ屋で寝ている父が、夜中だというのにやって来ました。
腹が痛い、と。
その様子、表情から不安がよぎりました。
とりあえず薬はないかというので、買い置きのものを飲ませたのですが、やはり治まらず、夜中にあちこちの病院へ電話をかけ、診察してくれるかどうか確認を取り、出かけることに。
私も行くつもりで、ほとんど着替えかけていたのですが、お酒が入っているため車の運転ができず、どうしても妻が行かなければなりません。
「三人も付き添っても、あまり意味はないでしょ。それより、パパちゃんは休んでくれた方がよい」
という妻の言葉を入れました。
結局、妻と母が父を連れてK大学病院へ向かうことに。妻は次の日の仕事が絶対に休めないし、そのとき私がちゃんと動ける状態であった方が良いという判断です。
父を乗せた車が走り去るのを見送って、押し寄せてくる不安がありました。
父は昔から大酒飲みで、酒に飲まれてしまう人間でした。
毎晩毎晩、限界まで飲み、当然のことながら今は肝硬変の末期です。
よくガンにならないものだと言われました。
父の肝臓はその大半がもはや働いておらず、肝臓の血液浄化機能などほとんどなくなっています。もちろん今でこそお酒は飲んでいません(やめさせるまでが、本当に大変でした。ちなみに私も、本当は飲みたいはずの父の前では決してアルコールは飲みません)。
しかし、そんな肝臓です。
もはやいつ壊れてもおかしくはないのです。
実際、ここ2~3年は落ち着いていますが、それ以前には何度も肝硬変が原因の内出血、吐血、下血などを繰り返してきました。
命の危険が幾度かあり、救急車で運ばれたことも何度もあります。
度重なる入院で(損保の医療保険などかけられない体なので)、家計は逼迫し、そのことが積み重なって、妻や母にも苦労を強いてきました。
今回の急な腹痛。
父の死の予感が、胸をよぎりました。
「だいじょうぶよ、きっと」
出かける前に、妻が言いました。
普通は気休めに言うとか、希望を込めて言うとかいう場合もあるのでしょうが、いつも妻の「だいじょうぶ」は魔法のような効き目がありました。
効き目なのか、予感なのか。
きっと予感的なものなのでしょう。
私はそれを無条件で信じました。
妻が「だいじょうぶ」というときは、きっとだいじょうぶなんだと。
おかしなものです。
占星術師の私よりも、妻の方が予言者のようです。
でも、なぜか彼女の言葉が的中し続けます。
私が一昨年、ホテルをやめて別な企業へ移ろうとしたときも、ほかの人間関係でも、彼女が懸念すること、忌避することはたいがいに悪い形で実現してきました。
一種の予知能力があるのでしょう。
未明に電話があり、父は事なきを得ました。
ただの腹痛だと。
特に原因は不明ですが。
妻は睡眠時間などほとんどなく、仕事へ行きました。
そっちのほうが心配されます。
今日は別な記事を書こうと思っていましたが、今日はこのへんで。
妻の帰りを、待ちたいと思います。
