ちょっと前にある人に問われたのですが、占星術的に「不妊」に関する星はあるのか?
何度も流産するような人もいるが、そのようなことはホロスコープ・チャートに表示されるのか?
そのような質問を受けたことがあります。
これらの答えはすべて「YES」です。
子供運に関わるハウスの状況、そこに入っている星の性格やアスペクトに厳しいものが示されている場合、上記のようなことは起きやすいと考えられます。
また私が個人的にこれまで相談を受けてきた不妊に悩む女性のすべてが、やはりそのような星位を持っていらっしゃいました(これについては、すべてでした。つまりそうした要因がチャート上にないのに、「子供ができない」と相談してきた人はこれまでのところ1人もいません。少なくとも自分が鑑定した範囲では)。
ただ、子供に関する星位に厳しいものがあるとしても、それは以下の二つが考えられます。
「できにくい」状態を示している場合(受精そのものが生じにくい場合と、受精はするが流産が起こりやすい場合)。
「できるのだけれど」そのお子さんが出生後、親御さんにかける苦労とか本人が苦労するとかの度合いを示している場合。
上記の二種類です。
この見極めは結構難しいものとなります。
たとえば、子供運のところに月や海王星があってハードアスペクトなら、実際に「流れやすい」ということが起きやすいはずなのですが、これはもしかすると生まれてくる子供の情緒が不安定だとか、生活が不安定だとか、そういうことを指し示している場合もあるのです。
が。
今日はそういう個人のチャートに示されている事に焦点を当てるのではなく、もう少し全体的なお話をしたいと思います。
この世に1人の人間が誕生することの意味。
その上で不妊という問題に対して、どのような姿勢であればいいのか。
ただ以下のようなことを述べている占星術師は、他にいないかも知れません。あくまでも私個人の私見ということでご理解下さい。
どのような姿勢でいればいいか、ということですが、まず結論から申します。
「子供は授かりものだと思い、天意に任せた気持ちになり、リラックスして明るい気持ちで過ごせばよい」
なんだ、そりゃ!?
そんなこと言われなくても、みんな、わかってるよ。
それでうまく行かないから悩んでいるし、治療も受けてるんじゃないか。
そんなものは解決方法でもなんでもない!
というお叱りの声が聞こえてきそうな……。
すみません。もう少し付き合ってやって下さい。
私がこういうことを言うのには、それなりの理由がありますし、子供は授かりものだというのも、従来の意味とはまったく違った理解があるからです。
それには、1人の人間がこの世に生を受けるとはどういうことなのか、知らねばなりません。
これまでに私はあまり多いとは言えないかも知れませんが、いくつかのファミリーのチャートを突き合わせて鑑定してきたことがあります。
これらの夫婦、親と子、そして子供同士(兄弟姉妹)のチャートには、多くの場合、明瞭な占星術的な深い関わりが確認できます。
たとえば親のチャートの子供運のところに金星がある。生まれた子供はその金星と同じ星座のほとんど同じ位置に出生太陽がある、とか。
どちらかの親のASCとまったく同じASC(出生時の東の地平線)で生まれている、とか。
子供のチャートの中で親を暗示する星が、親の出生太陽と重なっている、あるいはその星に強い影響を受けている親だとチャート上に表示されている、とか。
バリエーションはさまざまで、一口には言えませんが、親と子はかならずチャートがどこかでつながっています。よくたとえに出すジグゾー・パズルのピースがぴったり合うように、その二つは隣り合っているのです。
これは生命現象が織りなす、究極的なシンクロニシティです。
一見関わりのなさそうな出来事が意味のある偶然でつながっていることをシンクロニシティと呼びますが、占星術チャート上には親子のシンクロニシティ、その存在の共鳴というのか共時性というのか、あきらかに示されているのです。
1人の人間のチャートをつぶさに解読すると、その人=Aを中心に「親」「兄弟」「配偶者」「子」などの影がおぼろにつかむことができます。そしてAに隣り合う実在する「親」「兄弟」「配偶者」「子」のチャートを調べれば、それぞれの人からAの存在もまたおぼろげに示されているのです。
この整合性は、非常に神秘的です。うまく出来過ぎている、といつも感じます。
占星術など信じない人にとって、この整合性は「単なる偶然の一致」でしかありません。
しかし、積み重なる偶然の一致は、もはや偶然という確率論の域をはるかに超えています。
私たち1人1人の人間は、まるでよりおおきな生物を構成する細胞の一つ一つのように、ちゃんと関連し合い、補完し合って存在しています。
何度も繰り返し申しておりますように、大きなジグゾーパズルのピースの一つ一つが私たちで、全体で大きな絵が構成されているのです。
また「家族」というものが構成されているとき、その絆が深いものであれば、たとえば父親が病気になる、などの出来事が発生したときには、その妻、子らのチャートにもそれらしい影が出ています。
出生チャートだけではなく、その後の進行運の中にも、重要な部分では整合性が確認できるものです。
つまり、これは「人の出生」に関わり、何を意味するのか?
そうなのです。
このあまりにも出来過ぎた人間関係、運気の整合性を持つ人間しか、その夫婦の間には生まれてこない、という可能性なのです(これは100%、そうだとは断定できません。私もそこまで数多くのデータを集めているとは言い難いと思います。しかし、少なくとも今まで見た例から推測するに、そうだと判断するしかないというのが、私の現状での結論です)。
こういった運気の整合性を持つ人間は、しかるべき時でないと生まれてきません。
たとえばある夫婦、BCさんがいたとします。
このBCさんのチャートを詳しく解析し、将来2人が儲ける子供の生年月日を逆算的に予測しろ、と言われたら、これはもう無理です。
しかし、生まれてみれば、その子は整合性を持っている。
私たち夫婦は、ありがたいことに2人の子宝に恵まれました。
私自身は兄が1人いて、3才違いです。3年置きに子供を作ると、その後、なにかと学費などで苦労します。そんな親を見てきたので、2人目の子は早めに作ろうとしていましたが、なぜかできませんでした。
あきらめかけたとき、2人目が宿りましたが、これが生まれてみると、避けようとしてきたきっかり3年置きの子で、なんと最初の子と誕生日は1日違いの水瓶座。
私のチャートの中には子供運として土星が示されていて、この土星は水瓶座にあります。
ここでしか生まれようがなかったんだろうな、と後で思いました。
子供には子供(の魂)の都合があるし、それに家族全体の運気の整合性ということを考えたら、2人目の子はもはやここにしか入る余地はなかったのではないか?
そう思えます。
「たった今子供が欲しい」「来年中にはなんとか」「40才までには」など、人は置かれた状況の中でさまざまな欲求を出生に関して持ちます。これは人の情として、非常に良く理解できますし、決して悪いことでもなんでもないです。
あたりまえのことです。
しかし、その個人の思いと宇宙の摂理というのか、その夫婦に運気的整合性を保つ子が生まれる時というのは、一致する場合もあれば一致しない場合もある。
場合によっては、まだ望んでもいなかったのにできてしまう、ということすら起きてきます。
ある夫婦の間に、その夫婦に運気的に整合する子供が生まれる。
これは真の意味で神秘的な現象であり、本当の奇跡です。
このようなことが起こりえる確率は、天文学的な低さのはずです。
このような超奇跡を繰り返して、人類は種を存続させてきた。
私にはそう思えます。
この認識こそが「天からの授かりもの」という意味です。
この奇跡的な現象こそが、人がこの世に生まれる、という占星術的な解釈なのです。
そしてこれは、「人の出生」とは、シンクロニシティ現象以外の何者でもありません。
シンクロニシティはこの運気の整合のように、なにか見えざる手がその人に何かをもたらし、何かを示すような神秘的な出来事です。
そしてシンクロニシティには、起きやすいコンディションというのがあることが報告されています。
それがリラックスして、明るい気持ちでいること、なのです。
何かを打開しよう、突破しようとして、恐怖心や焦り、義務感などで必死になっているときは、逆にこれは起きにくくなってしまうのです。
この理由については、いずれ考えてみようとは思っていますが、今のところ不明です。
もちろん、不妊という現実があって、気持ちさえ切り替えたらなんでもうまく行くなどと申し上げるつもりはありません。
適切な療法や治療措置といったものもあるでしょうし、究極的には体外受精などというものさえありだと私は考えています(体外受精でも運気的な整合性は存在するはず、と考えていますが、今のところこのような例には遭遇しておりません)。
努力することは必要。
しかし、悲壮にならないで下さい。
そういう意味で、昨日の記事の「妊活」というフレーズは、人の気持ちにゆとりや希望、リラックス感を与える非常によいものと考えます。<広めよう、「妊活」!>
こういうリラックス環境、周囲の理解、そんなものに包まれていると、シンクロニシティは生じやすくなります。
ゆっくりと呼吸をし、空を仰ぎ、気持ちの良い風を招き入れて下さい。
その風に力をもらって下さい。
それがきっと自分を導くと信じて。
